一昨日までの岡山県日生市での仕事でしたが、宿泊は播州赤穂でした。活動記録を紹介していませんでしたので、記録として記事にします。
前日入りしまして、赤穂城に行ってきました。天守閣は創建当時から建てられなかった城です。が甲州流の非常に戦闘効率を考えられた強固な印象を受けました。
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到着時間が閉門と同時でした。。残念。
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ぐるりと城周りを歩いてみましたが、地元の方々が往年の赤穂城を蘇らそうとコツコツと綺麗にしている印象です。
江戸時代が終わり明治の世に入ると旧体制への反発から城の取り壊しが全国で一斉に始まりました。特に諸大名城下は激しいものでした。
この赤穂城も例外ではなく明治に入り取り壊しされています。私達がよく知る忠臣蔵の四十七士が命を賭して守ろうとした赤穂のシンボルさえも例外ではなかったんです。
新しい時代に入るというのは古いものへの反発からどうしても入って行くもんなんです。人間というのはそんなもんです。
大石神社というのがありまして見学して来ました。浅野内匠頭即日切腹に大きく怒った赤穂藩士は結託し仇の吉良家討ち入りを計画。当初200名ほどが宣誓書に署名したそうですが再度、その本意を量るべく討ち入りを募った所、よく知る47名(48名とも。。)になり決行。赤穂大石家断絶、吉良家も断絶に追い込み、江戸時代武士のルール喧嘩成敗に結果、持ち込んだのです。
こちらの日本刀は大石内蔵助の物と伝わってい備前の名刀「長船」。美しい刀でした。
と言うわけで、当日は非常に暑く、今年初のアロハシャツでの散策となりました。
では、播州赤穂編でした。
paikaji