絵画に興味を抱き始めてしばらくして、少しづつ抽象画に興味が行った時期がある。極めて写実的な、つまり金属の光沢がそのまま、あるいは陰影のボカシなどがそのまま描かれている作品に注目するようになった。
写真みたいに書けないかな、と思って何度か練習したのが鉛筆デッサンによるボカシ。落書きなどでもそんなことをしていたから、当然みんなは注目していた。
そんな風に……絵を描くのは好きだったので、小4~小6までの3年間、絵画教室に通っていた。2年間はクレパスと絵の具で、最後の1年だけは油絵で。
こども二科展に2回、佳作で入賞したが、どちらかと言えば会心の作といえない作品が入賞したので(会心の作はなぜか別の児童の名前になっていた)、驚きと不満が残った。
油絵になってからの出展はなかった。
絵画教室や学校の授業以外で、専ら好きで描く絵は、……鉛筆デッサンの習作以外だと、富士山とか、未来都市……そうそう、未来の生活とか、UFOとか、地球外生命体、四次元空間、ブラックホール、そんなのに憧れていた時期もあったな。
でも未来都市っていっても……予想していた年月が経ちつつあるけれども、当時予想していたほど例えば建築物の姿が激変しているわけでもないし、乗り物が発達しているとも思えない。通信網と通信手段が想像以上に発達しているかな。
どちらかと言えば現実より空想が好きだったせいか、学校に行くのは好きじゃなかった。
でも、小学校6年間は風邪と伝染病(風疹、流感)と学級閉鎖以外は休まなかったし、中学校3年間も無遅刻・無欠席で通した。
学校を休みたくて仕方なかったから、たまの社会見学に行った工場で、そこは週休2日制であると工場長さんから説明を聞いて、羨ましく思った。工場長さんは「でも学校は土曜日休みにはならないと思います。」っておっしゃってたけど……。ん、これは低学年の頃だったかな。
そんな中で、小5の年末に祖父が肺炎をこじらせて入院したとの知らせが入った。「見舞いとかで学校が休めるぞ。」と思ったけれど、実際にはその知らせが入って数日後、冬休みに入ってしばらくしてから見舞いに行き、その翌朝亡くなった。
祖父のことは実はあまり覚えていない。
帰省した折にはよくマンガ雑誌を買ってくれていたのだが……物心ついたときには入退院を繰り返しており、ごくたまに会うとすれば病院の面会室だった。口癖で今でも耳に残っているのは「早う小便して寝ろ。」あと、見舞いに行ったときに当時私の好物だったキャラメルとかヌガーを持っていくと、入れ歯が外れるから食べられないと返答を頂いたことくらいか……。
運動があまり得意でなかった私は、自転車に乗れるようになったのも遅かった。小5の夏だった。当時小1だった妹に1日だけ先を越された。
あ~~、情けねぇ……。
水泳も先に書いた事情で不得手だったが、小6のときに「早めに水泳の許可証を出してくれる耳鼻科がある。」と聞いて、かかりつけの耳鼻科を変更した。あっと言う間に出してくれた。そしてようやく、学校のプールにデビューできた。
あまりにも苦手なままだと不憫だと思った親は、水泳の夏季集中講座に入れてくれた。そこで初めて味わった感覚……水に浮くということ、水上を進むということ……ノビタ君じゃないけれど、一生カナヅチを通すんだろうと諦めていた自分にとって、俺でも泳ぐことが出来るんじゃないか、と思って、少し不思議な気持ちになった。
丁度このころから、色々と手を動かしてする、いわゆる「モノづくり」に対する興味が拡大していったのかもしれない。小5で「家庭科」が始まり、裁縫や調理……結構好きだった。調理実習で教わったものは大抵その後に我が家の食卓に登場した。失敗作もときどきあったけど……。今でもときどき厨房に立ったり、たまには縫い物をする基本はこのときに習ったものだ。中学・高校時代は今と違って男子に家庭科はなかったからね。
プラモデルに熱中したのもこの頃だ。当時スーパーカーのブームで、テレビ番組とかでも「スーパーカークイズ」なんてのがあった。
車の名前も色々覚えたかな、ランボルギーニ・カウンタックとか、ミウラ、イオタ、フェラーリ、デ・トマソ、ランチア、ロータス、ポルシェ……など。
少しづつ歌が好きになったのもこの頃だ。今は歌が大好きだ。歌うのが好きだ。カラオケもよく行くし、いっときGyaoに投稿しようかと思ったこともある。
子どものときには歌が苦手……というよりも、音程が上手くとれなかった。ジャイアン並み。低学年のときには、あんまり歌が下手なので、音感育成のためにエレクトーンを親は買い与えてくれて、ヤマハエレクトーン教室にも通わせてくれた。クラスメイトの妹が後から入ってきたのに、課題をこなすのが早くて先を越されたことがショックで、臍を曲げてすぐに辞めてしまったのだが。
因みに鍵盤は今はあまり出来ない。バイエルのうちの簡単な何曲かと、小学校の共通教材の弾きやすいのが何曲かだろう。あとは定番「猫踏んじゃった」。
小5か小6の頃、なぜかジャイアン並みの音程が急に私から消えた。
そして、家にあったクラシックギターでフォークソングの伴奏を弾いてみた。
Amはこう、Dmはこうで、アルペジオって分散和音だな、お?音が出るじゃん!!で、歌は……
♪きょ~ねんのあ~なたの……あれあれあれ?……
こらこら、伴奏と同じラミラドラミの音階とちゃうねんって!!
ミ~レドミ~レドファ~ミレレ、だろが!!……。
そして日々の興味の主体が弾き語りの練習に移っていった。