これまでの仕事の中で自分の心も穏やかになれたのは、幼児との触れ合いだったと思う。
それは、幼児教室の教室開発職で入社した企業でのことだった。学習塾の新規教室開拓の経験が活かせると思って入社したところ、「君はまだ若いから現場を知ることも大切だ」と言われ、不得手な営業職(要は教室への入会を勧めること)に回った。
だがしかし、私の認識が甘くて、営業に全力を傾注していなかった面があった。「これは研修の一環であるから、私が入会させた方もチームの先輩や後輩の実績にしてもいいんだ」なんて、勝手に思い込んでいた。
また、男性であることや眼鏡をかけていること、スーツを着ていることもあり、小さな子どもたちは人見知りして、なかなか私にはなついてはくれなかった。だから当然営業ノルマも未達成の時期が続いて、当時の上司からも叱咤激励も受けた。
能天気なやっちゃな。
だがしかし、会社はどうやらそうは見ていなかったようで、なかなか数が上がらないことにイライラしていたらしい。それを聞いてからは……本気になった。
そして、勿論傍で親身に指導して下さった先輩方の御尽力のおかげで、小さな子どもたちと接するコツも少しづつ体得してきたし、スーツだろうが眼鏡だろうが子どもが逃げなく……なっていった。最初は……気が強い3歳の女の子でも遠くで私を見て泣いていた。
出張で日本海に面した、海の幸に恵まれた地に行った。
そこで1人の2歳半くらいの男の子、若干知的体験が不足していた子と出会った。彼が発達に遅れを持っていないことは接していれば分かった。
毎日のように体験コーナーに遊びに来てくれた。私にも容易になついてくれていた。当時彼は満足に一語文も喋ることができなかった。
ところがある日、色玉遊びをする中で、私たちの「じょうず~!!」の声に呼応するように、彼は自らの口から「じょうずー!!」との声を発した。
最初遊びに来たときには、知的体験の不足があって大変だろうと正直思っていたが、やはり子どもの順応力、吸収力、適応能力って素晴らしいんだな。
私たちと一生懸命知的なお遊びをする中で話しことばの獲得の第一歩を踏み出すとは……。
自然と涙がこぼれ出た。
仕事中に泣き出すのはまずいとも思っていたけれど……止まらなかった。
だがしかし、そうは言ってもやはり私の数字をトータルで見れば採算割れの状況はあり、入会数を上げるために様々な努力をするも、その約1年後にあえなく解雇された。
また性懲りもなく学習塾に就職したり、その他色々とやってみたが、なかなか上手くいかなかった。
自分は本当は何をしたいのか、徹底的に考え直してみた。
それこそここの生い立ち日記ではないが、幼児期に至るまで遡ってじっくり再考した。
そこで分かったことは、対人スキルにおいて著しい成長の遅れを抱えたままで大人になってしまったに等しい、そんな私に適していることは……職人的な仕事であると結論付けるに至った。
2冊の本「夢をかなえる一番よい方法」「『これだ!』と思える仕事に出会うには」を参考に、徹底的に演習に取り組み、自己分析した結果だった。
そして、校正と建築模型作製に絞って職探しをした。
そこで出会ったのが、大きな家庭用電化製品のメーカーからの仕事を受注しているカタログ制作会社だった。主に照明のカタログを制作していた。一昨年の夏までの1年間、校正職として働いた。仕事は結構きつかったが、楽しかった。
今でも時折、お洒落なスポットあるいはテレビドラマなどでちょっとカッコいい照明器具、ブラケットやペンダント、あるいはシャンデリアなどを見ると、ときどき注視してしまう。
その後、印刷・制作・出版関係を数社経験するが、いずれも私の希望していた校正業務と異なる部署への配属などがあり、続かずにいた。
Cafeに入ってから入社した、昨年春に勤めていた企業も、一旦在宅勤務に切り替えて、その後またアルバイトに行ったりしたが、また在宅勤務にして、契約解除して……その後は近所に住む友人が日雇い派遣の会社をやっている関係で、そこの手伝いをしながら現在就職活動中。夏から秋にかけて、よく土日や祝日に出かけていたのは、大抵、日雇いバイトだった。
マンションギャラリーの看板持ち、ドリンクやプリンターのメーカーのラウンダー補助、スーパーのミカンや柿の試食又は品出し、イベントのテント設営とか撤去、会議室のテーブルセッティング、などなど。
みんなをだますつもりはなかったんだけど……結局言い出せずに、結果的にそうなってしまった。
……申し訳ない。
結局、なんのかんの言っても、弱みを晒すのが嫌だったし、恐かった。「ええ格好しい」だった。格好というか、外見、形式にこだわって中身や本質に重きを置かないという姿勢、そんな上っ滑りの人生におさらばしたいという自分自身の意志表明でもある。
……大変長い文章の数編に渡って、自分自身の生い立ちのことを書いてきたけど……これで……完結。
長くて読みにくかったと思うし、重い内容のときには不快感を感じた方もおられるかもしれない。にもかかわらず読んで下さった皆さん、コメントを下さった皆さん……感謝!
ときには「これはここに書いていいのだろうか?」と私自身でも思うような描写もあったし、女性読者からすれば恥ずかしくなるようなあるいは理解しがたいような箇所もあったかもしれない。
けれども、普段書いていることからは想像できないような側面も持っていることもお知らせしたいと思ったし、どうやらこれまでの日記内容や書き込みの中では私という人物が間違って理解されている面もあるのではなかろうかと思ったのもこれを書いた動機だった。
私でもときにはおかしなことも考えるし、ふざけた行動も取ったりしたことがあった。たまにはギャグや冗談の1つでも言うだろう。そしてときにはスケベなことも考える。どこにでもいる普通の1人の男性と思って差し支えないだろう。まあ、普通じゃない面も多いのも事実だけど……。
で、確かなことは……年末からこれまでの生い立ち長編日記で書いたことに嘘はないということ(思い違いや勘違いはちょっとはあるかもしれないけれど……)。
年内に全部アップしようとしたんだけど、ちょっと無理があった。
まあ、私の個人情報やら友人知人のそれらがばれないようにも気をつけたけど……うん、多分大丈夫……でしょう。
長々とお付き合いいただいて……おぉきに、ありがとうございました!!
それは、幼児教室の教室開発職で入社した企業でのことだった。学習塾の新規教室開拓の経験が活かせると思って入社したところ、「君はまだ若いから現場を知ることも大切だ」と言われ、不得手な営業職(要は教室への入会を勧めること)に回った。
だがしかし、私の認識が甘くて、営業に全力を傾注していなかった面があった。「これは研修の一環であるから、私が入会させた方もチームの先輩や後輩の実績にしてもいいんだ」なんて、勝手に思い込んでいた。
また、男性であることや眼鏡をかけていること、スーツを着ていることもあり、小さな子どもたちは人見知りして、なかなか私にはなついてはくれなかった。だから当然営業ノルマも未達成の時期が続いて、当時の上司からも叱咤激励も受けた。
能天気なやっちゃな。
だがしかし、会社はどうやらそうは見ていなかったようで、なかなか数が上がらないことにイライラしていたらしい。それを聞いてからは……本気になった。
そして、勿論傍で親身に指導して下さった先輩方の御尽力のおかげで、小さな子どもたちと接するコツも少しづつ体得してきたし、スーツだろうが眼鏡だろうが子どもが逃げなく……なっていった。最初は……気が強い3歳の女の子でも遠くで私を見て泣いていた。
出張で日本海に面した、海の幸に恵まれた地に行った。
そこで1人の2歳半くらいの男の子、若干知的体験が不足していた子と出会った。彼が発達に遅れを持っていないことは接していれば分かった。
毎日のように体験コーナーに遊びに来てくれた。私にも容易になついてくれていた。当時彼は満足に一語文も喋ることができなかった。
ところがある日、色玉遊びをする中で、私たちの「じょうず~!!」の声に呼応するように、彼は自らの口から「じょうずー!!」との声を発した。
最初遊びに来たときには、知的体験の不足があって大変だろうと正直思っていたが、やはり子どもの順応力、吸収力、適応能力って素晴らしいんだな。
私たちと一生懸命知的なお遊びをする中で話しことばの獲得の第一歩を踏み出すとは……。
自然と涙がこぼれ出た。
仕事中に泣き出すのはまずいとも思っていたけれど……止まらなかった。
だがしかし、そうは言ってもやはり私の数字をトータルで見れば採算割れの状況はあり、入会数を上げるために様々な努力をするも、その約1年後にあえなく解雇された。
また性懲りもなく学習塾に就職したり、その他色々とやってみたが、なかなか上手くいかなかった。
自分は本当は何をしたいのか、徹底的に考え直してみた。
それこそここの生い立ち日記ではないが、幼児期に至るまで遡ってじっくり再考した。
そこで分かったことは、対人スキルにおいて著しい成長の遅れを抱えたままで大人になってしまったに等しい、そんな私に適していることは……職人的な仕事であると結論付けるに至った。
2冊の本「夢をかなえる一番よい方法」「『これだ!』と思える仕事に出会うには」を参考に、徹底的に演習に取り組み、自己分析した結果だった。
そして、校正と建築模型作製に絞って職探しをした。
そこで出会ったのが、大きな家庭用電化製品のメーカーからの仕事を受注しているカタログ制作会社だった。主に照明のカタログを制作していた。一昨年の夏までの1年間、校正職として働いた。仕事は結構きつかったが、楽しかった。
今でも時折、お洒落なスポットあるいはテレビドラマなどでちょっとカッコいい照明器具、ブラケットやペンダント、あるいはシャンデリアなどを見ると、ときどき注視してしまう。
その後、印刷・制作・出版関係を数社経験するが、いずれも私の希望していた校正業務と異なる部署への配属などがあり、続かずにいた。
Cafeに入ってから入社した、昨年春に勤めていた企業も、一旦在宅勤務に切り替えて、その後またアルバイトに行ったりしたが、また在宅勤務にして、契約解除して……その後は近所に住む友人が日雇い派遣の会社をやっている関係で、そこの手伝いをしながら現在就職活動中。夏から秋にかけて、よく土日や祝日に出かけていたのは、大抵、日雇いバイトだった。
マンションギャラリーの看板持ち、ドリンクやプリンターのメーカーのラウンダー補助、スーパーのミカンや柿の試食又は品出し、イベントのテント設営とか撤去、会議室のテーブルセッティング、などなど。
みんなをだますつもりはなかったんだけど……結局言い出せずに、結果的にそうなってしまった。
……申し訳ない。
結局、なんのかんの言っても、弱みを晒すのが嫌だったし、恐かった。「ええ格好しい」だった。格好というか、外見、形式にこだわって中身や本質に重きを置かないという姿勢、そんな上っ滑りの人生におさらばしたいという自分自身の意志表明でもある。
……大変長い文章の数編に渡って、自分自身の生い立ちのことを書いてきたけど……これで……完結。
長くて読みにくかったと思うし、重い内容のときには不快感を感じた方もおられるかもしれない。にもかかわらず読んで下さった皆さん、コメントを下さった皆さん……感謝!
ときには「これはここに書いていいのだろうか?」と私自身でも思うような描写もあったし、女性読者からすれば恥ずかしくなるようなあるいは理解しがたいような箇所もあったかもしれない。
けれども、普段書いていることからは想像できないような側面も持っていることもお知らせしたいと思ったし、どうやらこれまでの日記内容や書き込みの中では私という人物が間違って理解されている面もあるのではなかろうかと思ったのもこれを書いた動機だった。
私でもときにはおかしなことも考えるし、ふざけた行動も取ったりしたことがあった。たまにはギャグや冗談の1つでも言うだろう。そしてときにはスケベなことも考える。どこにでもいる普通の1人の男性と思って差し支えないだろう。まあ、普通じゃない面も多いのも事実だけど……。
で、確かなことは……年末からこれまでの生い立ち長編日記で書いたことに嘘はないということ(思い違いや勘違いはちょっとはあるかもしれないけれど……)。
年内に全部アップしようとしたんだけど、ちょっと無理があった。
まあ、私の個人情報やら友人知人のそれらがばれないようにも気をつけたけど……うん、多分大丈夫……でしょう。
長々とお付き合いいただいて……おぉきに、ありがとうございました!!