猫も杓子もハラハラつけやがる、そんな感慨を抱きます。
この記事全体に漂う「気をつけなはれや」の指摘ポイントがあまりに日本的由縁で発せられてて、どこか教養としての指摘というよりも、微妙に密に入り込みすぎた日本的過剰忖度の源泉に見えてきます。そんな場当たり式な配慮要求の仕方そのものがいくらかしくじってます。
互いに心地よくあるって一点においてのみ配慮すればいい事柄を、心根のちょっとした譴責めいた感じにされるのって、なんなんだろう。
・・・・なんでしょう、この姿勢。言い回しに注意♫なのかしら。
上司さんも人恋しいんだろうよ、きっと。けど、気をつけなはれや。
今やってんのは配慮?
いいなりとどこが違う?
卑屈さがない?
堂々と家族に見せれる?その本音を。
くたびれ続けるのが仕事だわ、とか言ってるうちは、なんか狂ってる側に加勢してる。
積もるし詰むよそれ。
気をつけなね。
我慢をみんな一斉にするという。行きすぎた忖度すぎて。
やりたい放題をかませた勘違いの人らを増長させたのは、我慢してた人らの責任問題かも。
すべきは声を上げることだった時に、ダンマリと我慢で貫いた卑怯はあった。
怒らないで済ませたせいで世界をこんなにしてしまった無責任は許すのか。
後続の人らの災厄の種も見過ごす卑怯をまだ続けるのか。
ことなかれは調和じゃないよ
臆病かも
禍根が残るんだとしたら加害者だよアンタ
なのにまだそういくのか
まだみなかった
まだしらなかったって
しらを切るだけで行くのかい