ここに語られていることで多分全部で、手立ても多分この通りで良い。
実際、その心象の時は満足がわかった。
「ニコニコしてやり通せるのは、最後になんの意味もない時だけ」って言葉、侮らずに真に受けておいた方がいい。
わかります?
額面通りにだけ、でも勘違いしかねないですね。
結果に先食いで必須に成果を照準すれば、その叶っていく行程が安堵の心象で済むはずがない。
行程が楽しめないとは、もはやエンジョイできる部位を食い散らかした後ですからね。
行程が結果であるとわかりますか?
見栄とか慧眼ぶるとしくじりますよ?
そんなんじゃねーんで。
もっと、息してるくらいの日常使いの感性の話です。神棚に据えて崇めるものでは決してない。
土塊(つちくれ)のついたもんなんです。
前述の通り「どこかでいいことが」がもはや誤解。結果は行程のうちに既得し終えている。
そう、楽しんでやれてたってだけで、成果はすでに全般でした。
そんでいいのよ。
刹那的とも違う。
でかい何か美しくて素晴らしくって永続的な慧眼だなんてゆめゆめおごりなさんな。
「明るくあてるとこはどこであるか」を明示してるケースって長老には珍しいなっていう機会の動画で、随分はっきり語っておいでですし、これ以上でもこれ以下でもないですもんね。
ちょうど、これ。
いいことってのはさ、「最後にも、その後」にもないから。そうおっしゃってる通りです。
それでいいのよ。