縁あってこの本を読む機会に恵まれました。
朝鮮戦争の時代に生き抜く女性のお話です。
家族の離合集散や、生き別れ、心無い言葉、世知辛い世間の目。
食べるのに必死である事実、生きて過ごすだけが精一杯の時代。
ひもじく、悲しく、さみしく、それでも生きて、それでも過ごして、人のために心を費やし、育てることを主人公の女性「モンシル」が否応のなさのうちにも、心根を持って過ごすお話でした。
最初、この本を手にして読み始めると2〜3ページで閉じてました。
全然読み進められないのです。
私の気持ちは、ひどくぬかるんだ水はけの悪い道のようなさなかに放り出され、ここを進むのかとめまいに似た心地を覚えたのです。
その都度、本は伏せられ、しばらくよそ事に時間を費やし、不思議と再び読み進めに戻るのですが、やはり「さっき」以上に読み進められない。
ひもじくて、せつなくて、心細くて、親が恋しい。
お腹が空いて、住むところに事欠き、身内があるがゆえに裏切れもせず、献身しても新しい苦難が覆い被さるみたいに自然と厚くまとってくる。
このコラムで筋立てを語れないのは、悲しいだけの話にしか印象されないストーリーテリングになるからでして、それではこの本の本懐ではないからです。
私がこの本をいつもの調子でスイスイ読み進められないのは、この「たくさんの生きる上での苦労・苦難」たちが、本当であって、誰もが「モンシル」自身の悲しみようや、切なさや、やりきれなさを、自分ごとに重ねられる事ゆえでした。
日々を嬉しく、楽しく、明るく、健康続きで過ごせてれば、人は正しく素直に生きれるでしょうか。
たぶん、それだけでは足らないような気がします。
人はお腹の空く切なさや、それが近いうちに満たされなさのうちに、「今じゃないなにか・どこか」を心に育めるほどの余裕をたぶん持ちえないでしょう。
この本は終始繰り返し海岸に流れてくる波のような、いろんな悲しさを終始繰り返し打ち付けてきます。
そしてそれは憐憫やお情けを刺激するためのなにかではなく、「それらの本当さ」の向こう側にだけ、ほんの少し顔を見せる、心の幹の部分を太くさせるエッセンスを渡してきたのでした。
解決、決着だけでない、引きずり、こだわられ、断ち切れず、迷い、途絶えず、うろたえ、涙をこらえ、分からなくなり、助けてもらい、かすかに助けに行き、根こそぎだめになり、それでも、それでも「生きて・すごしていく」だけの描写の連続のうちに、「輪郭のような・いいようのないもの」を強く身近に覚えるのです。
この本の読了まで、描かれている筋書きやエピソードの簡潔な描写は、常に読者の側に「普段使いにしてない」方の感情を芽生えさせ、ためらわせ、なかったことにさせない「なにか」を当て続けてきました。
ふしぎと、それは読了後、この本の、どのページを不意に手繰っても容易に「心当たりがある」感傷があり、そこはおぼれるものではなく、ひどく乾いてもいて、人の誰もに分かち合えるものですが、日常的には人が互いに「すっかりしまっている」ものでした。
それは懐かしくもあり、日々の平常のうちには露見しにくいものですが、とても偽りのない、人間の心の根っこに根付きがあってくれました。
読書開始時に、全然読み進められなかった当書籍が、半分を超える辺りからは一気呵成に読み進められ、「そうか、この本は最初から最後までこうでいくんだ」とわかりました。
わかりやすいテーマと見やることもできる本にもなりますし、サブテキストばかり積み重なる本にもできる本でした。
口当たりの良いものだけではたどり着けない部位が、人の心にはあるものです。
そこに勘づき、そこを時々空気に当てたい時に、クラウド状の「輪郭」めいた人間の業に基づく感性が、息を吹き返したくなったら、この本はとても力強い友になります。
読ませてくれてありがとう。