
イーロン・マスク氏の子どもが、父親が体外受精で男の子を選んだと非難。「私の性別はお金で買われた商品」
産み分けとかクローンとか、倫理を「要求」で叶えた時、従来「仕方ない」で済まされてきた領域に、意図が及べるフェーズを見せてきた。
選べたことで生命倫理を蠢く場所に転化したとき、おさまりのつかない混濁が破滅的な帰着に向くことも孕みもする。
「よくもこんなことを」と怨嗟され出す時、もはや人智で解決の手立てはあるのか、やり逃げ果すつもりか、どれも最適解に見えてこなくなる。
やれるので、する、というのは幸いではんし事柄に思う。
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