
この映画で名古屋弁のポジションすら決まった気がします。
笠さん東山さん演じられる老夫婦の、端々に「田舎のイントネーション」を薫わせるのに、関西弁でも東北訛りでもない地方の言葉の「うっすらとして、そして抜けきらずも、抜けきるつもりも」ないトーンが名古屋弁という采配。
滲む空気たちはゆったりや辛辣含みと、端々に覗く本音であたり線をとりつつ、「互いにほんのりとまでしか渡しきりもしない」遠慮と配慮。
腹の底にぐっと気を込めて「標準語」然としても、どのみち名古屋訛りの標準語。
このどうしようともしない間合いの良さは、白黒映画とも小津タッチともつかぬ、かの時代性の一過と済ますには惜しい風情と思いませんか?
「人間」って「人」と「人」の「間」の存在ですから。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます