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普通が普通にしてても手に入らないとき

2025-01-01 14:38:00 | 日記
「おせちを見ると地震を思い出す」輪島朝市の焼け跡は公費解体で広大な更地に「ぜいたくは言わないので平凡な暮らしを」復興への歩み


私はかつて住んでいた部屋を階下のガス漏れ火災で全焼させられたことを経験しています。

そのとき、「まずゼロ地点に気持ちと生活を戻す」までを「失った人間」は願うんです。

テレビもラジオも「周りの健常で、普通の生活」してられる人のためばかりの放送で、自分だけが惨めに悲しくって、辛い気持ちになり続けてたのも思い出せます。

「普通」がまぶしいんです。
「当たり前」が手元にない時ってあるんです。

そのとき、人は恵まれてなくたっていいので、「まずプラス、マイナスのゼロ地点」にありさえ叶えば、どんなにうれしいかって心地になるんです。

普通、が普通にしてて手に入らないとき。
その気持ちが記事から痛いほどわかります。

大家さんの配慮で仮住まいできた時、床と屋根があって、ゴロンとするだけが、当時どんなに嬉しかったか。

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