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やんちゃや悪いことをしても、咎めきられずに、どこか愛嬌のようなもので、やんわり許される人が世の中にはいる。
いいなあ、うらやんじゃうなあ、と思いつつ、法則性がある。
悪さをしても許されがちな人には、結局品がある。品がそなわってて、悪さのゲージよりも、品の良さがリカバリできる範囲が広く、悪いには違いないけど、許すとするか、に至る。
この「品位」なるものの有無が、分水嶺。
その向こう側か、こっち側かで采配が「真反対になる」になるのだから、仕込むにしても周到であらねばならない。
ここを見誤る人がいる。
「いつものように、自分は守られる」などと余計な自負に乗っかり、いつもより大股で要求とせびりをした挙句に、「許されなくなってる」側に足を突っ込んでる、なんてなこと。
品位は万能ではないし、神のご加護などでもない。悪さは基本的に律法でギュウ!とされるものだ。
猶予されてきた、なる強運は、ちゃんと尽きるし、その節は「いつもより早めに凋落の足音を聞く」から、なんで今回に限ってこんな酷い目に、などと騒ぎ立てもするでしょう。
品位を損なって見えた時、その「容赦のなさ」は当人には驚きの景色だろう。
だけどね、品も消え去るんだよね。
本当にお慈悲の欠片もなく、無様な凋落の姿になる。運気の良さも「先食い」で品位の喪失に加勢してるんだろう。
品で許されてた間に、慎むべきだったんだよ。慎めないという「品のなさ」は、本当に全てを失わせるから。
本当に全てね。
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