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向かい合うための支度

2025-03-18 07:52:00 | 教養

ホ・オポノポノなどの実践時にすべからくの起こることへの向い方に「自分が悪くてそうなっています」と向く実践法があって、それは例えるなら「いまウクライナがプーチンの号令のもと進行されてるのは私の責任です」などと諳んじてみてから、所定の文言を諳んじ続けるんですが、無論プーチンの野望と、私の日常はリンクをしてません。

 

されど、ウニヒピリと呼ばれるインナーな役立ちな存在が、心のなかに「自分の枠外」からの解決を持ってくる安堵が実際スペースとして確保される感じに、なにか心当たりを覚えていました。

 

最近気づいたのが「睡眠をたっぷり取ると、すごく調子がいい」という事実です。

そんなの当たり前じゃん、って言ってのける手合の睡眠量ではなく、本当に過分なほど睡眠を取ってる間に、悩んでたことや、うまくいってなかったことへの「開通」のような具合の良さが起き出すのでした。

 

眠ってる間にしか、回復しない部分がきっと生命の仕組みの中にあるのだと想うんです。

 

それって仕組みの解明はこの際しないでいいなって思ってもいまして、たっぷり眠れることに感謝しきりです。

 

冒頭に挙げたホ・オポノポノとウニヒピリに相当するのはきっと睡眠の代替に相当する「自分の手に負えない事態への対峙」を「見ないですます」とかではなく、まにあわないなりにも位置させる作用はちゃんとあって、心の置きどころを一緒に探してくれる感じがあると思うのです。

 

Kanさんの書籍「問題は解決するな」が今の愛読書ですが、ここにも通じるんですが、「応じ方」において、すべてを解決して回るのではなく、まずは心を向かわせてはおく、起きていることは起きている、で了とする姿勢であること。

 

解決できたから、できなかったからに軸足を置きすぎて、心・囚われるのではなく、振る舞いには自在さがあること。

 

私は従来、心が拘泥されるきらいがとても強く、自分でそれに振り回されて、その遠心力で参ってる有り様でした。

 

執着があってこそ、こなせたり手にしたものもありますが、それが故の毒にも十二分な作用で滅入ったのです。

 

ようやく、そこいらへんの「気持ちの置きよう」に塩梅が取れてきたのでしょうね。

この頃、やっと気持ちに波立つものが減ってきました。

 

永らく掴みそこねてたかんじが、ちょっと思い起こせてきました。ありがたし。







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