――――遠野の人間は人間ではない。
かつて、そう父から教わったのはずいぶんと昔だと遠野秋葉は思いだす。
その時はただ父が悲しそうにしていると感じたが、今思えば父はただ怖かったのだと思う。
混血の末裔である遠野は能力が開花した時から、それを制御できずに人としての歯車が狂ってゆく。
自分が自分でなくなる自我の崩壊、それに耐えられる人間はなく遠野の人間は常に短命である。
だからこそ、父は琥珀で――――したのだ。
生きたい、という何よりの欲求を叶えるために。
父が琥珀で――――していると知った時、遠野の暗部を知ったときから決心した。
最後の瞬間まで人間らしく振舞おうと。
琥珀が何か企んでいるのは知っている、恐らく遠野家を滅ぶものかもしれない。
混血の発作を抑えるために、彼女が自身の血を提供すると言いだした時から何となく察した。
けど、いいと思った。
あの日兄の命を背負ったときから、自分の寿命は人より短いものになると決まっていた。
どのみち混血の能力が顕在化した以上うまく制御できたとしても、父と同様に長くは持たないだろう。
だから、兄を親類の反対を強引に押し切り遠野家に戻した。
せめて自分が人間である内に、想い人である兄と共に短くも平穏な日々を送りたかったからだ。
吸血鬼が三咲町で暗躍していると聞いた時、即座に――――を連想した。
その時湧きあがった感情は色々あったが、遠野秋葉は決断した。
遠野志貴がいる日常を守るためならどんなことをすると、なのに――――。
「あ……」
生暖かい赤い水が秋葉の手にかかる。
血の匂いが鼻を刺激し顔から血の気が引く。
足は生まれたての小鹿のように震えが止まらない。
覚悟していた、自覚していた。
混血である以上、自分はまっとうな人間でない。
――――兄さんと一緒にいる日常を守るためなら、なんでもすると誓ったのに、なんてザマ。
「……震えているのですね」
能力を酷使して疲労し、もはやただ殺されるだけと絶望していたが、
彼女、シエルは何を考えてたのか自身が使用していた細剣を持たせると同時に彼女自身の右目に深々と突き刺させた。
眼球を貫通し、頭の反対側に刀身がでるほど刺されているにも関わらず、
秋葉に対して子供をあやかしているのと変わらない口調で穏やかにシエルは話す。
「やっぱり貴方はこの町を騒がす吸血鬼とは違うようですね――――貴方に人は殺せません」
ずぶり、と剣を引き抜き眼から血が滴るがすぐに傷が再生を開始する。
「さようなら、秋葉さん」
シエルは傷ついていない眼でウィンクすると、素早く立ち去った。
その姿を追いうちせず呆然と秋葉は眺める。
そして、再度彼女が言った言葉を噛み締め、思う。
――――本当に、なんてザマ。
「秋葉さま…お怪我は?…御無事ですか…!?」
辺りが焦土化した庭の端からようやく琥珀が駆けつける。
その声を契機に緊張が溶け、背にある木にもたれかかる。
今晩はまだ彼女の、琥珀の血を飲んでいないので今日はいつもより多く必要かもしれない。
――――琥珀を見て真っ先に血を思い浮かべる、なんてまるで吸血鬼ね。
いや、自分は遠野の人間か。
と自虐し、吸血鬼の単語でふとシエルが言った人物の名を思い出す。
――――遠野君は弓塚さんに夢中ですがもう一度会って聞くとしましょうかね…。
「弓塚…さつき…」
「え?」
弓塚さつき、
この名前については兄を遠野家に戻す前の調査で何度か名前が出ていたの知っている。
兄と仲がいいとのことで始めは嫉妬を覚えたが、
男女の仲として交際しているわけでもないのでこれまで強く意識してこなかった。
が、その彼女が兄を、遠野志貴と共にいる日常を破壊する原因となるならばこれを排除しなければならない。
「ふ、ふふ……琥珀、弓塚さつきについて調べなさい」
「は、はい。ですが秋葉様いったい…?」
困惑の顔を浮かべた従者の疑問に凄味すら浮かべた笑顔で夜叉が口を開く。
「ええ、決まっていてよ。
兄さんにまとりつくその女郎蜘蛛を―――――」
こうして吸血鬼をめぐる三咲町の夜に遠野秋葉が参戦した。
※ ※ ※
シエル先輩の追撃が途中からなくなったお陰でなんとか逃げ切ったが、
また死者の気配をまた感知したので現場に駆けつけてみれば全吸血鬼にとって最悪の処刑人、
アルクェイド・ブリュンスタッドと遭遇してしまい一戦を交えることを覚悟した。
しかし、志貴が駆けつけて来てくれ、
さらにお互いに単独でこの三咲町を騒がす吸血鬼を打倒することはできないと語り、
その話に同意してくれたアルクェイドさんの後をついて行くように公園に集まり現在に至る、と。
「さて、さつきについて私から聞きたいこともあるけど、
先に志貴に【死者】について講義してあげようじゃない」
さっき見せた弱弱しさは嘘のように眼前のアルクェイドさんは偉そうにのたまう。
美人は何をしても綺麗に見えるというがそれが妙に似合うから困る。
「それじゃあ聞くけどさっきのも吸血鬼なのか?」
久々に会った志貴は躊躇いながらアルクェイドに質問する。
彼を見てちょっと変な感情が浮かぶが喉に食らいつきたいまでの吸血衝動は幸い出てない。
しかし、なぜだろうか妙に彼の顔が気になってしかたがない。
そんなに間を空けていたわけでもないのに、自然と視線が彼に集中し、彼の一挙一動に注目してしまう。
「違うわ。あれはただの下僕、
【敵】はあれを増やして力を蓄えるから塵に還しただけ」
「…アルクェイド、吸血鬼との違いってなんだ?
あんまり説明を、というか全然そうした話を受けたことがないんだけど」
「あ、そうね。志貴にはまともな吸血鬼について話してなかったものね、ネロは特異だったし」
今更思い出し、彼女は説明をさらに続ける。
「本来貴方達人間が想像する吸血鬼、人間の血を吸って、
吸った被害者を吸血鬼にさせ太陽に弱い、さつきのようにね。」
アルクェイドは意味ありげに赤い目をこちらに向ける。
志貴もつられて不安そうに横にいるボクに首をこちらに回す。
三人の間に一気に緊張が走る。
っ…気まずい、しかも志貴は「信じてるからな」といいたげだ。
「いや、その。シエル先輩以外は吸ってないけど……一応普段は輸血パックだし」
嘘偽りのない事実を述べる。
たしかにふと気づいたら、人を襲いたくなるような衝動が起こる。
気づいたらごく自然に獲物を狙うかのように、対象をストーカーしたこともある。
時折シエル先輩の血の味を美味しい料理を食べたような感覚で思い起こすこともある。
シエル先輩のは同じ血液でも恐らく魔術師ゆえか、最高の味わいでだった……しみ込んだカレー臭さを除けば。
と、こんな感じで今のところ暗示で輸血パックを頂く以上のことはしていない。
「……嘘はついていないみたいね」
アルクェイドがしばし間を空けてからそう言った。
それで、ようやく緊張が溶けるが、もしボクが人を襲い血を吸っていたらどうなっただろうか?
「で、吸血鬼に直接吸われるさいに吸血鬼の血が送られる。
それで吸血鬼の言いなりな使い魔、志貴にはゾンビといえば分かりやすいかな?それが【死者】よ」
「え、でも弓塚は?」
どうも志貴が気ついたようだボクの異端性に。
「これが何事も例外が存在するのよ、
生まれつきの霊的ポテンシャルが高ければ即座に吸血鬼に成るのだけど、
さつきの場合ははっきり言って異常よ、それこそ原初の死徒二十七祖に匹敵する才能だわ」
自分もまた出鱈目だとはいえ、
こう改めて言われると【原作】の弓塚さつきの出鱈目さ加減がわかる。
「で、聞くけど。貴女の【親】は蛇かしら?」
紅い瞳が自分を見つめる。
アルクェイドにとってロアは憎悪の対象でしかなく、その子である自分に対して容赦なく威圧する。
その重圧は凄まじく胃が緊張して吐き気がする、
しかも体内の吸血鬼の意識がつられて浮き上がりそうであったが、一生懸命こらえて質問に答えた。
「分からない、突然後ろから咬みつかれて、気がつけばこんなことに」
「ますます呆れたわ、親の顔も見ずに冗談抜きで独立したのね貴女」
再度ボクの出鱈目加減に呆れ威圧が解ける。
まあ、たしかに【原作】の弓塚さつきの固有結界以上にチートな空想具現化が使えるなんて、
無茶苦茶だと思うのは確かだ、例えそれが使うと吸血鬼側に引っ張られる諸刃の刃であっても。
「気が変わった。貴女、わたしのモノにならない?」
「はい?」
「え?」
等とやり取りしていたら理解不能な単語が聞こえた気がした。
いや、あの、その、それはどういう意味なんでしょうか?
なんだかキマシタワーが立ちそうな単語が聞こえた気がするのでうが?
「アルクェイド……おまえアレなのか、それとも冗談なのか?」
呆れ交じりに志貴はアルクェイドに尋ねる。
「志貴が何を言ってるか知らないけど違うわよ、わたしの使い魔にならないかっていうこと」
【アレ】の意味も分かってないだろうけど即座に否定した。
というか、そんなことできるのか?それにもしアルクェイドの使い魔になったら黒レンが先輩となるのか…。
無口猫幼女にこき使われる新米女子高吸血鬼、なかなかシュールだ。
「わたしと契約を結べば貴女のロアの影響力は低下するはずだし、
もしかすると、わたしは力を少しだけ取り戻せる。ね、一石二鳥でしょ」
にぱー、なんて笑顔すら浮かべてよって来る。
男のころなら鼻の下を伸ばしていただろうが、TSして同じ女性として分ったのだが。
あの、向日葵のような笑顔は馬鹿な男を騙す類の罠だ、本人は意識していないようだけど。
あとそれに、契約と知ったら真祖の血を飲むんじゃないだっけ…。
「ねえ、拒否するの」
無意識に後ろに後退してしまったのに、後悔したが後の祭り。
あからさまに否定的な態度をとったせいで再び公園の温度が下がった錯覚がした。
な、なんでこのくらいでここまで怒るのかな!?
「このわたしがさっちんを気にいったのよ、どうしてわたしのモノになりたくないの」
色々と無茶苦茶な話だと思う。
というか、何故彼女はここまで自分に執着するのだろうか、まるで子供だ。
いや待て子供、か…考えてみれば今のアルクェイドは志貴に殺されて生まれたようなもの。
【原作】でもアルクェイド自身が知識があっても経験がないと、
言ったように彼女の精神年齢は未だ子供のようなものかもしれない。
しかし、相手をする側としてはたまらないけど、ここは正直に答えよう。
「気に入ってくれたのは嬉しいけど、人をいきなり使い魔にするのは頂けないね。
それにボクはまだアルクェイドさんのことを良く知らないから、アルクェイドさんとはまずは友達から始めたいかな」
「…………」
沈黙が重い。
先ほどから空気な志貴は一連のやり取りについてゆけず唖然としている。
アルクェイドは納得できなさそうな表情……というより、新鮮な驚きを覚えた表情であった。
「トモダチ、友達かぁ……じゃあ、いいわ!
さつきとはそれから始めましょう!!改めて言うけど、
私の名はアルクェイド。まずは一緒に【敵】を倒しましょう、よろしくねさつき!!」
「え、あ、はい!?こちらこそ…よろしくお願いします」
こちらの両手を握りぶんぶんと振り回す。
どうも妙にハマったらしくこちらはただただ困惑するばかりである。
「あー仲が良くなったのはいいけど、そろそろ本題に入らないか?」
先ほどから置いてけぼりな志貴がアルクェイドに本題に入るように促す。
「あ、そうね。それでその死者は親玉である吸血鬼の力の供給源となるのよ。
だから親玉の吸血鬼の力を少しでも削ぐために死者を退治しなければいけないけど、これが100人くらいいるのよ」
「え?な!100人、そんなに!!」
志貴が声を挙げて驚く。
信じられないのはボクも同意である。
何らかの工夫はしているだろうとはいえ、100人もの死者がいるなんて。
「アルクェイド、一つ聞くけどその【敵】は強いのか?」
「う~ん。さっきの死者の五つくらい上かな」
散歩にでも行く感覚で陽気に答える。
「でも安心して。わたしとさっちんで2、3日中に始末するから」
2、3日中か、【原作】でもだいたいその位だっけ。
あれ…?今アルクェイドさんが自分のことをあだ名で呼んだ気が。
「だから志貴は日常に帰っていいのよ。代わりにさっちんと二人で解決するから」
アルクェイドさんが眩しささえ覚える笑顔で志貴に向かって言った。
普通に考えて見れば志貴は異常な能力と特異な体術を使うとはいえ、ただの人間に今の三咲町で動くのは危険である。
事実、ネロ相手には彼は一度死にかけており、ましてやこの問題はアルクェイド・ブリュンスタッド自身の問題。
ここ数日共に過ごした仲に言うにしては惨酷かもしれないが、賢い人間ならばここでアルクェイドさんの話に乗るのだが、
「こんぉ、バカ女ども!!」
「へ?志貴?」
「ボクもかい!」
だけど志貴は公園中に響くくらいの音量で叫んだ。
「ああ、自分の馬鹿さ加減には頭に来る。
2人共黙ってとにかく【手伝わせろ】
そもそもお前達が駄目だと言っても俺は付いてくるからな!!
くそ、ネロにあんな目にあったのにこんな事を口にするなんて」
普段温厚な志貴が珍しく口を荒げる。
これってアルクェイドだけでなくボクの事でも心配してくれて、だろうか。
心臓がドキドキ鼓動する……待て、ドキドキするってまんま恋する乙女じゃないか。
「――――――え?」
芽生えた奇妙な意識を意識しつつ横のアルクェイドさんを見れば呆然としている。
「弓塚」
「あ、うん!?」
視線をずらしていたので気がつかなかったが、気づけばボクの手が志貴に握られる。
手を握られることは別に不自然なことではないが、考えてみれば男の人に手を握られるのはこれが初めてだ。
遠野志貴の手は病弱とはいえやはり男の人の手をしていた。
今の自分とは違い大きく、がっしりとしており、前世の自分を思い出すと同時に誠実で、真っ直ぐな意思が暖かい肌から伝わる。
だけど、同時に心拍数が上昇する。
信じられない――――――男にドキドキされるなんて。
「もう二度と離さないからな」
凄まじく青臭いセリフが放たれた。
いつもなら、聞く側として爆笑しても可笑しくないが、
志貴は今まで見たことのない真剣な瞳で自分を見つめ、ボクは困惑していた。
困っているという意味ではなく、
どう反応すればいいのか思考停止状態であった。
本当に、本当に信じられない。
こんな困惑を抱くなんて本当に――――。
「うりゃ」
「ごほ!!」
内心で生まれた感情に仮説を出す前にアルクェイドさんが志貴の腹に深々とボディーブローを放った。
「げ、げほっ、げほ、
あ、アルクェイド、おま「握手」はい?」
ぷー、と頬を膨らませたアルクェイドさんが志貴に手を出す。
「さっちんだけズルい、わたしも握手」
まるっきり子どもが駄々をこねる態度だった。
でも、そんな生き生きとした姿こそ自分が【知っている】アルクェイド・ブリュンスタッドなのだろう。
そしてもっと見たい、なんて考えるのは自分が【ファンだった】だからなのか【彼女のトモダチ】だからだろうか?
「ごめん、そうだったな。今後もよろしくなアルクェイド」
「うん…!志貴とさっちんなら恐いものなんて何もないんだから!」
アルクェイドは嬉しそうにぶんぶんと志貴と握手する。
ここまで単純で屈折のない感情表現を真近で見てるとこっちまで幸せな気分になる。
が、内心これで生き残れるという薄汚い利己的な考えが芽生える。
志貴をとうとう巻き込んでしまったという自己への嫌悪感が良心を刺激する。
しかし、実際にはロアに他行するには自分一人では不可能だと理性が理解している。
だから思う、今はちょっとぐらい甘えてもいいかなと。
折角ハッピーエンドへの道筋ができたのだからそれを目指すのも悪くないと。
ともかく、根拠のない自信と嬉しさが心を満たし、星が見えない夜空を見上げそう思った。