あと13日でplalaのブログはサービス終了、読めなくなります

2014-06-17 23:14:53 | Weblog
昨日は懐かしい今は無くなってしまったSNSの仲間たちと久しぶりに会ってきました。日経新聞のWagaMaga(ワガマガ)という名前のSNSでした。そこで私はパソコンについても本当にいろいろな知識を得ることができましたし、自分の狭い世界以上のものを知ることができました。本当にすばらしいSNSでしたが、残念ながら、サービス終了となり、今はfc2に少人数のグループ、それからfacebookにたくさんのメンバーが移動して、重複して続けておいでの方や、SNSは止めてブログだけになった方など、進んだ方向はいろいろでした。

そのときのサービス終了時の賑やかでいてさびしい、消えてしまって二度と戻ってこないパソコンの画面を見つめていたときの気持ちを思い出します。今回また、今度はブログのサービスが終わろうとしています。今のところ、ここをいろいろな使い方で試してみていますが、7月になったら、あまり無理のないそれほどたびたびの更新ではないごく普通のブログにいたします。

plalaもそうだったので元にもどるだけです。書くことは好きなので別に苦ではないのですが、ほかのしなければならないこともあるので、ここだけにかかっているわけにいかないのです。内容は今までと同じく。教会関係と、日経新聞の新日本食奇行以来の知人たちとの交流とか、秋になればまたテレビの相棒特集とか、今まで書いていたものを続けていきます。

以上簡単ですがお知らせしておきます。今後ともどうぞよろしく。


昨日の教会での講座のはなし、赦されることと赦すということで

2014-06-17 09:41:40 | Weblog
昨夜は久し振りに今はない日経ワガマガというSNS以来の知人達が集まっての早めの暑気払いが開かれ楽しい時間を過ごすことができた。

日経の事情でワガマガは終了しても、多くのメンバーはfacebookに移って今でも付かず離れずのお付き合いが続いているわけだが、考えてみると個人的にこの間の年月には様々なことも起きていたわけだ。

昨日はなんだかグループの移り変わりと自分個人の状況の移り変わりを重ねて考えながらちょうどそのちょっと前の時間に出ていた講座で伺ったはなしとも重なってくるような感じであった。この年月には、いろいろなこともあったのだ。詳しいことは言わないが、人間関係は外部とも複雑に絡んでいるから簡単にはいかないのである。

だから今朝別の某ページで読んだどこかの司祭への攻撃的な苦情の言葉も実はよく理解できる。でも、昨日の講座での赦しの話が思い浮かんでくる。たしかにそんなことは断じて納得できないというようなことも、年月が経つと少しずつ見えかたに変化が出てくるのも確かなのだと思う。

上にたつ人間が子供っぽい自己顕示欲で動いていたのでは下はたまったものではない。でも、年月がその頃の相手の言動が向こうの子供っぽさからでていたのだと理解できるようにしてくれると、相手に怒りを向ける気持が徐々に変化してきたりすることもあるのだ。(※ヒトラーのような世界を揺り動かすような本物の悪魔的な強烈な悪意というのはそんなには多くないのではないか、ただ、普通の悪意は単に自分が中心になれないのは面白くないとかそんなところから始まるような気がする)

赦すと赦されるはセットになっているというお話だったが、正直なところ一朝一夕にできるようなことではなくても仕方がないのだと思う。第三者がとやかく言っても問題は当事者の心が納得しないうちはどうにもならないし、それは時間が必要なのだ。時には生きているあいだには決着がつかないままだったりすることだってある。そういうものなのだと理解し、自分なりに納得がいくにはそれなりに時間、年月、経験が必要なのだ。そしてそれは神様のお恵みとしか言いようがないのかもしれない。具体的な説明なしだからわかりにくい話で申し訳ないがお許しあれ。

とにかく、そんなことに思いいたることができたのも良いグループに入れていただいたおかげと、あらためて感謝するばかりだった。ただ、自分も含めて、外見はとにかく体の中身は年齢相応にくたびれてきているので、入院だ、検査だといった話題も多いのが気になる。皆様、お体お大切に、いつまでも若く元気にお付き合いできますようにと祈り願わずにはいられないのは致し方がない。