何処より

2014-06-25 08:37:07 | Weblog
釧路市動物園のホッキョクグマで今ミルクと同居しているツヨシの双子の妹のうちポロロは徳島のとくしま動物園へ。朝から昔の思い出話だの、しろくまさんだの、そんなの読んでる暇ないぞ、よくそんなものを書いてる暇があるなあとおっしゃる皆様、暇はないけど、なんたって今日はこの後、夜までパソコンいじれないので仕方がないのです。

それに動物の話題ってなんかこう、ほのぼのとするじゃありませんか。朝の満員電車でぎすぎすしてくる心も、動物園のはなしでムカついたりはしませんものねえ。

人間でも動物でも、赤ちゃんや小さい子はほんとにかわいらしい。それがいつかハイティーンともなれば親に逆らいだして実に小憎らしい餓鬼に変貌していくわけですが、しかし、それも含めて考えてみれば実に不思議ではありませんか。

赤ちゃんたちはみんなほんの1年前はこの世のどこにもいなかったのですよ。お母さんのおなかの中にもいなかったかもしれない。ゼロだったのが今は生きてないたり笑ったり動き回っている、これって本当に不思議ではないですか。

還暦を過ぎた皆様方だって、今何歳かは知りませんけれど、何十年も前はこの世のどこにもいなかったし、またそのうちいつか、いなくなる、これも不思議でしょう。みんな、自分で生まれて自分で大きくなったようなつもりになっているけれど、全員、ちょっと前までこの世のどこにもいなかったんですねえ。

動物たちを見ていると命の不思議さ、どこにもいなかったものが今はこの世にいていつかはまたいなくなる不思議を思わずにいられません。

命を、というかこの世界のすべてをつくりだした大いなるお方の存在を思わずにはいられないのです。



ほのぼの~とくしま動物園の動物たち~Animals in Tokushima Zoo


高田 渡

2014-06-25 07:16:00 | Weblog
もう40数年も前のこと、まだ高校生で夜中に勉強しながら深夜ラジオを聴いていて、フォークルや高石友也、風船、岡林といった方々の歌に出会って感激し、東京のフォークソングにはない、関西のフォークソングの魅力に取り付かれてわざわざ関西まで聴きに出かけたりしていた十代、二十代の頃、都市センターホールでのアングラ音楽祭で初めて高田渡の歌を聞いたのではなかったかしら。まだこちらは親が心配してコンサートに一緒についてくるような少女の頃の話だ。当然高田渡もまだ若い頃だ。

それから何十年もたってこちらはフォークソングのことから歌の持つ力、そしてキリスト教の讃美歌、聖歌の働きにひかれて聖歌隊で歌い始めたのだった。それからいろいろなことがあって、杉並区の住人になり、西荻窪に越したら隣の街になんと高田渡がいた。あれは驚いたなあ。いやはや、すっかり忘れていた若い頃の思い出になっていた人々、中川五郎や中山ラビ、大御所の小室等がすぐそばにいたりしたのは吉祥寺ならではだったのだろう。

吉祥寺教会に行く途中、伊勢屋の前を通るたびにいまだに高田渡を思い出す。関西で初めて実際に会った頃はまだ本当に若かったのが荻窪や吉祥寺で見かけるようになったときは見違えるようなおひげのおじさんに変貌していた。もうちょっと長く生きていてほしかったけれど仕方がない。今は息子さんの漣さんの活躍を応援したいと思う。



高田 渡が「生活の柄」を完唱





こちらはまだ高田渡が本当に若かったころ。むかしからこの人、老けていたのだ。

「銭がなけりゃ」 高田渡