忠犬と打ち込もうとしたら、中堅と出てきた。仕方がないから忠実と打って犬を打って、やっと出来上がり。忠という言葉自体があまり使われない時代だからかしら。それでも現実に今でも世界のあちこちで飼い主の子供を守ろうと自分より大きな敵に勇敢に挑んでいく犬や猫の話は今の時代でもたびたび出ている。忠実という言葉が流行らなくても、太古の昔から人間のよき友だった動物たちは今でも何かあれば子供たちを守って戦うのだ。
今日のニュースでお手柄の犬、めごちゃんの話を読んで、ふと昔我が家にいた北海道犬のロクという犬を思い出した。これは血統書つきのいいお値段の狩り犬だったのが、普通の家庭の愛玩用になったために甘やかされてどうしようもない出来の悪い犬になってしまった見本のような犬だった。
性格は悪くないのだけれど、甘ったれで人間が誰でも自分を可愛がってくれるものと思い込んでいたふしがあって、よその犬が近づいてきても尾っぽを振って待っているばかり、いきなり噛み付かれてみてやっと悲鳴を上げて逃げるという情けなさ。だからうちの猫たちにも馬鹿にされていたものだ。
猫は親子で、子猫のときに大怪我をしているのを拾われてあのころは犬猫病院も田舎にはほとんどなかった時代に、猫好きだった亡母が子供の私がこのままでは死んでしまうよ、助けてよと騒ぐとすぐに猫の治療費を出してくれたおかげで命を助かった白黒のタキシードのメス猫とその猫がお母さんになって生まれた大きな鯖トラのオス猫がいて、ロクは猫親子より家の中でのランクも下だった。だって犬のくせに猫より役に立たないおバカ犬だったのだから。
どうしようもない犬だったけれど、なぜか今でも忘れられない。この子のもっと前にいた雑種のチビという犬は、それこそ忠実の見本のような犬で、頭もよく、気立てもよく、父に可愛がられていた。父としてはロクにもチビのような犬になってほしかったのだろう。でも現実はおバカさんだった。そういえば父はロクはお前とそっくりだと言っていたのも思い出した。そういえば確かにそうだ。犬は飼い主に似るというけれど、今思えばまったくそのとおりだったわけだ。それでもいいさ、犬って、いや、犬も猫も、いつの時代でも人間の最善の友なのだもの。傍にいるだけでいい。