ペコのひとりごと

写真が趣味で旅行の写真や草花の写真を撮っています。

ペコの記憶

2012-12-08 23:17:25 | 日記・エッセイ・コラム

  我が家の愛犬ペコが死んでから一週間が過ぎました。

昔の写真を何枚か引っ張り出しましたので、御覧ください。

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日付が年月日ではなく日時になっていますので、1995年2月19日だと思います。

前の週の金曜日に体育館に行きましたら、子犬がうろうろしていました。その頃は私も家内のバレーの練習に行っていましたので、子供たちも体育館に連れて行っていました。それで絶対に家に連れて帰らない約束で犬と遊んでいいと言ったのですが、いざ練習が終わって帰ろうとすると長男の腕の中でスヤスヤと寝ておりました。それで無下に捨てるのはかわいそうなので連れて変えてもいいよということにしました。ペコが死んで長男からのメールでその時に「この子をほったらかしにするわけにはいかないでしょう」と言ってくれたのがとてもうれしかったと言っておりました。

ところで名前の由来ですが、拾ったときによほどおなかがすいていたのでしょう、パンをパクパク食べたので「腹ぺこのペコ」がいいと長男がいいまして「ペコ」になりました。それで拾った日はたぶん2月17日の金曜日だろうと思います。

鼻が真っ黒で足も少し大きいし、柴犬よりも大きくなりそうだなと思っていましたら、案の定体重が18kgぐらいになりまして中型犬の部類になりました。

本当なら写真もたくさん撮ってやるところなのですが、私がその一週間後にバレーの練習中に足首を捻挫してしまいまして、余裕がなくなってしまし。ペコの写真は5月までありません。

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5月に実家に弟の奥さんの実家から柴犬がやってきまして、その時に実家で撮った写真です。

200408

この写真は9歳くらいの時の写真ですが、小さい時から仲が良くよくじゃれていました。でも次の年でしたか、実家の柴犬はフィラリアにかかって死んでしましました。

それでは時系列で何枚か、

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この後お盆のころにメスですので避妊手術をするころにしました。ペコのような犬をつくるのはかわいそうですので。手術も無事に済んで先生から「人のいい犬ですね、というのも変ですが人を信頼しているようですね」と言われました。

避妊手術をすると妊娠の可能性もなくなりますし、犬にとっても子宮がんなどのリスクが少なくなるそうですので、こんなに長生きしたのかもしれません。

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このころ3歳ぐらいです。

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これで7歳ぐらいでしょうか。大型犬ですとそろそろ老齢期に入るそうですが、ペコも口の周りが白くなってきました。

10歳になる前くらいから、左の前足のもも辺りにこぶが出来てきまして、だんだん大きくなるので心配なって病院に連れて行きましたら、、手術自体は難しくないのですが10歳と老齢期に入っているので、全身麻酔をすると麻酔から覚めないこともあるので、と言われ迷ったのですが、あまりに大きくなったのでやはり摘出手術をうけることにしました。手術の時に手術の後皮が元通りに傷口を覆ってくれるかどうかわからないといわれてのですが、次の日電話をしてみると「大丈夫でした、皮がビヨーと伸びて奇麗に傷口を隠しましたので、すぐ迎えに来てもいいですよ」と言われこちらがびっくりした位です。

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ペコも気持ち悪かったようでいつもなめていましたので、奇麗になってよかったです。

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10歳から15歳くらいの写真です。まだまだ元気いっぱいのころです。すぐ上の写真がこのブログのプロフィールに使った写真です。

この後2009ねんに今度は左の後ろ脚の薬指にこぶが出来まして、やはり前回同様麻酔も大丈夫でしたし、皮が思ったより伸びて手術の後を奇麗に覆ってくれたそうです。

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これで3回目のラッパです。その後もこぶはあちこちの出来ましたが、さすがに高齢となりあまり大きくはならなかったので、その後は手術はしませんでした。

15歳くらいになると、さすがに顔つきも年取ってきました。いつもは倉庫にいるのですが、少し寒い時には、家の南側に連れて行くと嬉しそうでした。

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実家の犬が死んでからは時々ペコを実家に連れて行くと母が喜んでペコに餌をくれるのでペコも大好きだったようです。

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15歳を過ぎたころ、このブログでも書きましたが、人間でいうメニエール病のようになりまして、朝目が回った状態なっていましてびっくりして病院に連れて行きました。

それでその後遺症からかからか左右の耳の位置が前と後では少し違います。

201012

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左のほうが少しさがっているのがわかると思います。

2・3年前から白内障が出てきたり、耳が遠くなったりして高齢の症状が出てくるようになりました。今年に入ってからは私たちが帰ってきても気づかずに寝ていることが多くなりました。

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最後の撮った写真が次の写真です。

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寒くなってから、犬小屋にヒーターを入れてやっていましたのでその中でよく丸くなっていました。11月23日の写真ですがこのころには食欲もかなり減ってきて犬小屋からあまり出てこようとしなくなりました。

実はペコは2年前くらいから血尿が出るようになっていまして、病院の先生から腎臓でしたかにこぶのようなものがあるので、手術をするのであれば大学病院を紹介すると言われたのですが、山口まではちょっと遠いですし。麻酔の件もありますので最後まで家で過ごさせたいと思っていましたので、手術しないことにしました。でも最近は血尿の色が濃くなってくるのがわかり心配していました。

しぬ前日くらいからは夜は家の玄関に入れてやっていましたが、おなかが痛いのか「わおーん」と小さく泣いていました。家内も痛そうなのがかわいそうなので、楽にしてやってはどうかと言ってくれたのですが、やはりそれも今までかわいがってきたのでかわいそうでした。

前日の夜も玄関に入れてやっていると朝方痛そうになくので、鎮痛剤のバファリンを飲ませてみました。朝二人が出勤する時には泣くことはなかったのですが、きつそうでした。一度外に連れて行った時にはもう自力では立てなくなっていました。

夕方帰った時には朝出勤した時と同じ姿勢で頭を落とした格好でしたので、まだ生きていたのかと思って触ったところ、もうすでに死んでいました。でもまだ少しぬくもりがあったような気がしましたので、もう少し早く帰られていたら、と残念でした。

次の日に町内にあるペット霊園で火葬しました。今骨は今においています。子供たちが正月までには全員帰ってくるようですので。それまでは今においてやろうと思います。

こどもたちもみんなペコが大好きで、帰省してもまずペコに挨拶してから家に帰ってきます。

長女な小さい頃動物が苦手で子猫やリスも触ることが出来なかったのですが、ペコが来てからは、家内の仕事場で乗馬療法の馬の世話をボランティアで行くようになりました。子供たちがちゃんと成長したのもペコのおかげかもねと家内と話しました。

ペコと家族の写真です。

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末っ子などは5歳位でしたのでしばらくはペコから自分より下に見られていたようです。その子も就職して3年目です。月日のたつのは早いですね。

ペコが使っていた犬小屋は先週の日曜日に解体して、燃やしました。小屋はペコのために私が作ったものですから。

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ペコは雷や大雨が嫌いで特に雷は、少しでも遠くで光り出すと「わんわん」と泣き家に入れるまで吠えます。でも昼間だと私たちは仕事に行っていますので、怖い時や歯がゆい時は犬小屋を噛んでいたようで、入り口や、屋根がボロボロです。

このブログのタイトルにペコの名前がありますので、ペコが死んだらどうしようとずっと思っていました。ペコがいない以上ペコの名前のついたブログはやめようかと思っていたのですが、最近は、たくさんの方が見ていただいていますので、このまま続けていこうかと思います。

でもペコはずっと17歳のままです。

18年近くよほどの雨や雪でない限り私が帰ってくるとリードをいっぱいに引っ張って私を待ったいてくれて、私の顔を見ると大喜びで散歩に行こうと尻尾を切れんばかりに振っていたのを思い出します。

ペコもいい人生が送れたと思ってくれていると思います。それ以上に私たち家族がぺこにいろんなものをもらったような気がします。

最後に、「ペコ、うちに来てくれてありがとう。」

コメント
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