保護猫活動する隠居爺の野菜作りとスキーの日記そして病気の記録

冬場の60日以上はスキー、夏場はそのための体力作り&自給用野菜作り、そして保護猫活動と病気の記録も綴ります。

江戸の銭湯(湯屋)が混浴だったという事実

2011年11月21日 | 世の中のあんなコト、こんな事

世の中、結構、江戸がブームになっているような…。

何年も前から江戸時代に興味を持っていて、それも武士に関することではなく
庶民の暮らしや風俗については事あるごとに知識を吸収して来た私にとっては
このブログでそれをヒケラカシタイと常々思ってはいるものの
どうも一つ一つの投稿記事の文章が長くなりそうで、心構えが整わずにいます。

これに興味を抱いた理由は、たかが150~400年前
つまり三代前の祖先が生きていた時代のことを、あまりに知らなさ過ぎると感じたためなのですが
ついこの間まで雑学で取り上げていたエネルギー問題を学んだ際に
ちょっとだけ昔のこの時代、自然を全く破壊することなく我々の祖先が暮らしていた事実を知るにつけ
ますますその思いは強くなって、近い将来に「雑学Ⅲ」としてぜひ投稿記事を寄せるつもりではいるのです。

それからでも遅くはないのですが、たまたま良い資料が手に入り
どうしても我慢できなくてこの話題を取り上げてしまいました。

それは、江戸の共同浴場、つまり銭湯についてです。

当時、銭湯の原型となった「湯屋」が“男女混浴”だった事実を知る人はあまりいません。

          
(普通、女性は素っ裸でなく左のよう布を巻き、男性は右上のふんどし姿です。黒い衣装は三助)

れっきとした男女混浴とは言っても、脱衣所と洗い場は男女別々、単に奥まった湯船だけのことで
それも50度にも沸かされた高温の湯が冷めることを防ぐため
洗い場からの入口上部板を下げた狭い「ざくろ口」をくぐって入る構造のため
小窓一つの室内は薄暗いうえ、湯気で視界はかなり効かなかったようではありますが…。


(男湯、女湯別々のざくろ口の奥が混浴の湯船)

それでも、当時訪れた外国人はその著書で、一様に驚嘆の文章を書いているのですから
今回初めてこの事実を知った方は皆、日本人と言えども、「えっ!?」と声をあげて驚くとともに
私を含めて男性などは羨ましがらないわけにはいかないと思うのです。

そのうえ、ぼんやりとしか見えない不満を補うためなのでしょうか
男性専用で別料金だった2階の畳敷きの休憩所&社交場には
漫画(絵草子)、囲碁、将棋が備えられ、さらに茶や菓子も売られていたにとどまらず
この女湯をのぞき見するための“のぞき窓”まであったというのですからなおさらです。


(女湯を覗くためののぞき窓)

と、ここで話が終わらないのがなんともスゴイところで
雑用全般をしながら、女湯で垢すりをしてくれる男性、通称「三助」の存在を知る人は多いでしょうが
男湯で同じように身体を洗ってくれる女性の「湯女(ゆな)」の実態は実は遊女だったのいうのですから
これはもう、驚きを通り越して呆れる、いえいえ、男性としては先祖を賞賛しないわけには参りません。

江戸は女性よりも圧倒的に男性が多かったことが、こうした湯女のいる湯屋を大繁盛させてらしく
中には20~30人の女性を置いていた所もあったと言います。

ただし、こうして湯女がいるのは「湯女風呂」と言われる一部の湯屋だけで
その他は普通の銭湯(もちろん混浴)だったようです。

一般の屋敷に風呂がない理由:火事の恐れ・水が貴重・薪が高い

ほぼ毎日湯屋に通った理由:強風で埃をかぶる・湿気が多い等の気候的な事情

文化・文政期 江戸の湯屋600軒

入浴料金  6文(90円)

2階の座敷  12文(180円)

湯女 200文(3000円)~位

 

 

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