ゲイリーマンのカミングアウト的思考

長年サラリーマンしながらLGBT活動。45歳にしてフリー。同性愛者らが自分らしく生きられる社会を地方から目指す。ミラー版

映画「アイランド」を観た

2005-08-09 01:11:19 | Weblog
2005夏映画の「アイランド」を見てきた。
汚染された地球の生き残り達は隔離された世界で無菌生活を行っていた。
皆は毎晩自分の名前が発表されるのを待つ。
ゆういつ残されたパラダイス「アイランド」への移住の当選発表。
面白くも無い生活に疑問を感じた男は施設の外に侵入してみる・・・

そこで見たものは、実は自分はクローン人間で
本物が病気や怪我の場合の代替部品であったのだ!
地球の滅亡もアイランドへの移住もすべて大嘘、そこは死を意味していたのだ。
生きるために施設を抜け出し本物とかいう自分に会いに行くのだが・・・

俺の好きなテーマのSFモノ。
「ブレードランナー」「AI」「甲殻機動隊・イノセンス」「マイノリティリポート」自分とは何なのか?という究極の命題を突きつけてくる。

難しそうな話だけれどとっても分かりやすく、
それにスンゲースピード感に満ちた度迫力のアクションシーンの連続で魅せる魅せる!
マトリックスリローデットの高速道路シーンの連続といったところ。
ヒャーたまらん気持ちよさ!楽しめます。

画像は高速道路走行中にこんなとんでもない荷物を突き落とすシーン!強烈・・・妙に興奮

去年か、クローン猫が出来たというニュースがあった。
溺愛していた猫が死んで、死んだ猫からクローンを作った。

毛並みの模様も、なんと癖もそっくり。
飼い主は猫がよみがえったと喜んでいる、
多分言葉をしゃべるわけでなし、
一緒にいて本当によみがえったと言っていいほどの感覚なのだろう。

そのニュースを聞いて思った。
クローン猫は前の猫と経験が違うだけで本質は変わらなのではないか?
別次元上の自分の一生と捉えれば分かりやすいだろうか?

未来に向けて進行中である自分の未来は分からない、
その経験によりどう自分が変わるのかも分からない。
自分とは「今」この今でしかない。
となってくると、クローンは記憶(経験)のない生まれ変わり
ということではないのか?

どちらが本物なんてことは無意味でどちらも本物。
長い短いを別としてそれぞれの経験が積み重なっていって自分がある。

命のいとおしさとは経験のいとおしさであるということか・・・。

映画では人間は徹底的に自分は自分を守ることを考えていく。
本物?もクローンも自分自身の命を守ろうと必死になる。
当然なのだろうが恐ろしいほどの本質であった。
そのためには容赦をしないのだ。
コメント
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