ゲイリーマンのカミングアウト的思考

長年サラリーマンしながらLGBT活動。45歳にしてフリー。同性愛者らが自分らしく生きられる社会を地方から目指す。ミラー版

アニメ「銀河英雄伝説」に靖国を思う

2006-01-15 03:24:20 | Weblog
心の問題と小泉首相は言う。

それを言ったら侵略された国々の人だって心の問題だよ、めちゃくちゃなことを堂々と言うのも恥ずかしいことだと思うけれど、強く言い張りつづけることで状況を変えようとしているのだろう。
それに同調する日本人が増えることは危険だと思う。

戦後60年、日本は先の戦争の総括をしないままここに来てしまったと書いてきた。
靖国神社の問題もその大きなシンボルであると思う。

死んだお祖父さんも、お祖母さんも靖国には並々ならぬ崇敬を感じていたようだったが、
不思議に思うことがある、
確かに当時の日本は神国日本、お国のために死ぬことは英雄で、死んで神様になれること、
そのことが日本人として生まれたことの誇りであったのだろう。

でもその理由で戦争に容赦なく借り出され、ずいぶんな犠牲も出した。
言うならば、靖国によって殺されたようなものともいえるのに、今なお平気でお参りなんて出来るものだなと思ってしまうのだ。

戦前の時代の象徴をなぜに今も敬うのか?親族が戦死して英霊として靖国に祭られている家族は神様になって本心うれしいわけじゃないのでは?生きてこそだと恨みには思わないのかな?

靖国がお墓的な意味合いがあるとしても、まつっているのはそこだけじゃないだろう。
個々ではお寺などで戒名を作り自分のお墓もあるはずだろうし。
皆が神道になったわけでもないし。

お祖父さんが生きていたら聞いてみたいのだが・・。
死んだ人を敬う気持ちは当然だと思う。
国のために戦った先祖を思う気持ちも大切なことだと思う。
でも、なぜそれが今なお靖国神社でなくてはならないのか?単純に分からない。

俺にはどう見ても靖国は戦争で無くなった英雄を歴史に刻むところで、平和を祈る場では無いように思う。

信じてきたものが崩壊して、アイデンティティを失った人たちが拠り所にしてきたところが靖国神社なのかなあ?そんな印象を持っている。

俺も一度訪問してみたことがあるが、昔よき時代を懐かしむ怨念めいた場所だなあと感じた。
周辺には同じような団体のイカメシイ門構えの事務所も多くて。

昔あったアニメで「銀河英雄伝説」というのがあったのを思い出した。
結構好きであの長丁場の作品をハマッテ見た。「人間の営みは・・・」に始まる定期的にある歴史講釈シーンに学生だった俺は唸ってみせられたものだった。

「銀河英雄伝説」もう古い作品だから見たこと無い人が多いのかな?
また久しぶりにCATVですべてを再放送してくれないかと思うけど、レンタル屋にあるから見ると結構勉強になるよ。

で、そのなかである危ない宗教団体が銀河の時代では偏狭の地となった地球で地下世界を作り、
いずれまた地球が宇宙を仕切る時代を復活させたいと企んで暗躍しているシーンを思い出した。

その宗教団体の元は、大昔の地球が繁栄していたころに栄華を極めていた階層の人たちが昔を懐かしんで、よりどころを探すかのように集まった団体で、宗教団体として身を潜めていたのだった。
ああ、靖国のことかあ、なんて思い出したんだ。

60年も経って遅いことではあるが、今からでも俺は無宗教の国立慰霊施設を作るべきだと思う。
中国に言われたなどと捕らえずに、60年一昔の総括とこれからの時代のためにそうするべきだ。

靖国神社は一宗教法人として今後も彼らの中でやっていけばいいと思う。
A級戦犯を分詞する必要も無い。
靖国を信じる人はそれはそれでやってもらえばいい。
信教の自由だからいろいろな考えの宗教もあるからね、と切り離してしまいたい。

小泉はこの切り離しを認めたくないようで施設の検討予算を06年度に認めなかった。
日本全体の戦争慰霊施設は靖国で十分と言うことにしてしまわなければ、心の問題、先祖を敬う日本の風習の問題とできないからだろう。

勝手を許してはならないのだが、国民の興味の無さを見透かすように小泉は言い張り続け、
現実化させていく。
コメント (18)
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