おだにゃら記

地元小田原市中心のフィールドワーク備忘録。
歴史、神社仏閣、あとはいろいろ。


茅葺き屋根の湯船八幡神社

2023年12月12日 21時58分00秒 | 神社
金時公園の北の柳島地区にも金太郎関連スポットがいくつかあります。


ここは金太郎の母、八重桐の名のついた池。
池ではなくダムなんですけど。



現在ダムは干上がっており、周りの遊歩道なども殺伐として荒れた感じ。
熊注意の貼り紙もあったので車から降りずに写真だけ撮りました。


八重桐の池をぐるりとまわると
金太郎の鯉伝説が残る沼子弁天公園があります。



金太郎が大鯉に抱きついた池、弁財天を祀った祠などありなかなか素敵そうな公園なのですが


防獣ネットが張り巡らされていて物々しい雰囲気。

近くには電気柵を使ってる畑もあります。
農作物への獣の被害、本当に大変そう。



公園内に人の気配はなく…ちょっと入れそうもないです。
(3枚の写真はGoogleマップから)

せっかくの公園なのに気楽に立ち寄れないなんて残念です。


という複雑な思いで柳島から湯船地区へドライブしてましたら

素晴らしい神社を発見。
湯船の八幡神社です。







茅葺き屋根の社殿と大きな杉。
昔話の世界です。






大きな杉は階段横と社殿横にあり
2本で湯船八幡神社の夫婦杉として小山町の天然記念物に指定されています。

よく鳥居の前などに2本並んだ大杉はありますけど離れて立ってるのは珍しいですね。
このくらい離れた方が上手くやっていけるのは人間も杉も同じなのでしょうか。






この八幡神社は湯船城跡のある山の麓にあります。
小山町の城といえばほぼ大森氏関係。
でもここは少し毛色が違うよう。
まだ調べが進んでないのでいつか機会がありましたら。

ちなみに最近、新東名高速道路の工事のため湯船城の発掘調査があったのですが城跡らしきものは発見されませんでした。
もしかしたら場所が違うのかもー ということだそうです。



新東名工事のため神社参道は舗装道路に。
車は通りやすいけど味気ないですね。



スタジオタウン小山 より

以前の参道の様子。
新東名で渋滞緩和されるのは有難いけど、こんな里山の風景が減っていくのは悲しい。というか悔しい。



どうか小山町の景色がこれ以上変わりませんように。




金時公園の照紅葉

2023年12月07日 14時46分00秒 | 神社
小山町の金時公園

紅葉が見頃でした






昔は広場と金時神社しかなかったような気がします。
しばらく来ないうちに遊具や山の滑り台などができてお子様向けの楽しい広場になってました。



これミニボルタリングボードなんですよ。
かわいい。



こちらが金時神社


快晴の照紅葉がまぶしい












以前にも書きましたが金太郎と母である山姥の伝説は全国にあり、
源頼光四天王の坂田金時の幼少期というよりは、子供の健やかな成長を願う民間信仰のようです。

この金時神社は坂田屋敷と呼ばれた金太郎の伝生地跡に建てられています。



真っ赤🍁





裏山に残るちょろり七滝

水流は本当にちょろっと。
周りには謎の大穴があったり土砂崩れ箇所も。猪や熊も出るので奥には行かない方がよさそう。




拝殿裏の外階段の上にある本殿。
境内社かと思ったら本殿でした。
昭和9年に現在の拝殿ができるまではこの小さな社しかなかったのですね。

いろんな事情でこの状態なのでしょうが、ちょっと珍しいですよね。



もちろん土俵もあります



溶岩塚に建つ 割狐塚稲荷神社 

2023年09月20日 15時03分00秒 | 神社
長泉町に溶岩塚の上に建つ神社があります。

割狐塚稲荷神社
わりこづか と読みます。


木々で覆われたこの小山が溶岩塚。
この中に社があります。



およそ1万年前、富士山の噴火による溶岩が黄瀬川沿いに40キロメートルも流れ三島に達しました。
その溶岩は三島溶岩と呼ばれ、独特の地形を形成し富士山からの様々な恩恵を与えてくれる結果となってます。

溶岩塚とは溶岩の表面が冷えて固まる時、まだ熱い内部が噴き出て膨らんで割れてカルメ焼き状態で小さな丘になったもの。
以前は三島近辺にたくさんありましたが残ってるものは少ないそうです。



こんな感じで溶岩塚に神社を建てたわけです。


溶岩のある神社は見たことあるけど
(最近だと御殿場市保土沢の浅間神社)
まるごと溶岩の上にある神社というのは初めて。全国でも稀有だと思います。









溶岩塚の割れ目が参道になってて、全部で3ヶ所だったかな、こうして鳥居がずらっと並んでます。

溶岩と鳥居のコントラストが美しいです。



階段も溶岩


神社の名前の由来である「割狐塚」
老狐が割れ目に棲みついていたとの伝説。

今は神社の周りは普通の市街地ですが、昔は溶岩だらけの何もない寂しい場所だったのでしょう。







どこかのテーマパークにありそうな岩山を歩いてるよう。楽しい。
でもこれは本物の溶岩。






可愛らしい狛犬。
親戚のおばさんが飼っていたテリアにそっくり。







社殿の前に立つと自動で扉が開いて音楽まで流れるんです。

びっくりして変な声出ちゃった。



創立年代は不詳、寛永元年(1624)にこの溶岩塚の上に遷座した、
ということですね。
私も少し調べたのですが、一説の出所が不明でこれ以上のことは今はわかりません。
何かわかったら追記したいです。

なぜわざわざ溶岩塚の上に社を建てたのか、富士山の溶岩を神聖視するなら浅間神も祀るべきでは?
珍しい立地ゆえに素朴な疑問が湧いてきます。



夏の終わりにはこんなイベントが開かれてるそうで、
近隣でとても親しまれてる感が伝わってきます。

私が参拝してる間も
5〜6人の男の子たちが隣の公園と溶岩塚を
それはそれは縦横無尽に走り回ってて実に賑やか。

写真撮ってると
「あ、ごめんなさい!」って止まってくれて可愛いの。
こちらこそ邪魔しちゃってごめんなさい。

こんな微笑ましい情景、神様も喜んでいらっしゃることでしょう。




縄状溶岩の様子


石垣ももちろん溶岩



道路を挟んですぐ向かいにある長霊神社


戦没者を慰霊する神社です


こちらの境内にも溶岩があって
溶岩の上に忠魂碑が建てられてます。


日清、日露戦争後に全国に配られた砲弾が綺麗に残されてます。
砲弾マニアさん知ってるかな?



石灯籠に覆いがされてますが何かあったのでしょうか?
倒れやすいのかな?


割狐塚稲荷神社と長霊神社のおかげで市街地にも関わらず貴重な溶岩塚が見れるのはありがたいことですね。





御嶽神社 御嶽の山で転ぶ

2023年07月27日 23時00分00秒 | 神社

タイトルにありますように

転んだんですよ
御嶽神社で
  

南足柄市三竹にある御嶽神社です

正しくは御嶽権現神社。
奈良の金峰山寺を総本山とし、蔵王権現を祀る神仏習合色強い神社でした。

経緯は不明ですが、江戸時代には修験道要素が抜けて祭神は日本武尊になったようです。

 


 
南足柄広域農道から三竹集落に入って車で10分ほどなので気温はさほど変わらないのですが、木々が茂る山深いところに来るだけでも気分は良いです。
 
三竹という地名の由来は御嶽神社で、
新編相模國風土記稿には三竹山村とあります。

村名は簡単な漢字が採用されてよかった。



鳥居左手にみたらしの水と呼ばれる湧水があります。



みたらしの水については弘法大師やヤマトタケル由来などが伝えられてるようですが、
ここは御嶽権現なので下に貼られてる権現様の伝説が一番しっくり来ますね。
(これなんのコピーかな?)


御嶽権現は狼を眷属としており、武蔵の御嶽神社では狛狼や狼のお札が有名です。

ここ、三竹の御嶽神社では本殿に蔵王権現ら18体の像が納められた厨子があり、その前に狼像が置かれてるそうです。


ところで、
すぐ北にある塚原のグリーンヒル分譲地はかつては玉峯山といい、
麓の玉峯山長泉院には凶悪な山犬を退治してくれた黄色大権現の話が伝わってます。
黄色大権現によって山犬は石に変えられ、その石のある場所が現在もグリーンヒル内にある笹子地蔵です。


6年くらい前に撮った笹子地蔵

笹子地蔵にも湧水があります。

笹子地蔵の話をすると大変長くなるので別の機会に。


権現様による恩寵、湧水、そして山(狼)
御嶽神社の伝説がお隣の玉峯山まで伝わったかその逆か。

権現様がおられるところにはこの話はセットで伝えられてるかもしれないので心にメモしておこう。



手を洗わせて頂きました。
冷たくて生き返ります。



手を洗って鳥居に向かったこのあたりで突然宙を舞ってうつ伏せに倒れました。
まぁ、
石につまづいただけなんですけどね。
あんな派手に転ぶのは10代の頃以来な気がします。

御嶽神社の祭神はヤマトタケルですから
最近足柄明神のことでブツブツ文句垂れてたバチが当たったのかもしれません。

でも転び方の割にはどこも痛くはなく怪我もなかったのは
(ふんわりと砂利に落ちたような気がする)
ヤマトタケルの温情なのかもしれません。


ありがとうミコト
文句ばっか言ってごめんなさい許してください



鳥居杉
樹齢500〜700年、高さ50mの美しい2株の杉。
神奈川県の名木100選に選ばれています。





伸び伸びと高く美しい姿



階段はこのように大変急で手すりもありません。
みたらしの水の奥に迂回路があるので自信のない方はそちらからどうぞ。
決して無理に登らないでください。
私はもちろん迂回路からです。









上から階段を見下ろす。
階段が怖いので狛犬がちゃんと撮れません。






社殿左手のスダジイ
この木も素晴らしくて、この木を目当ての参拝客も多いそうです。



トチバニンジン


ヤブミョウガ


この子はアジサイの仲間でしょうか?

7月も終わりなのにアジサイがまだ見られます


御嶽神社前の林道は今でこそひっそりとしており車も滅多に通りませんが
かつては小田原から最乗寺を結ぶ狩野みち、狩野街道として賑わっていました。

平野部の道が酒匂川の氾濫でしばしば通行不可能になったので、狩野街道は長い間重宝されたようです。



御嶽神社前には細い道が伸びており
古地図でも確認できる狩野街道の一部と思われます。先を歩いたことはないので現在の様子はわかりませんが、斎場の西側に続いてます。


笹子地蔵関連といい狩野街道といい
私にとっては興味のつきない神社です。

 

坂東の英雄 足柄明神の苦難

2023年06月26日 19時59分00秒 | 神社
前回のつづきです。

足柄神社の起源である足柄明神社は足柄峠にありました。
足柄連発!



wikipediaによると
足柄峠(あしがらとうげ)は、静岡県駿東郡小山町神奈川県南足柄市の間にある箱根外輪山から北に伸びた尾根上に位置し、箱根峠とともに東海道を構成する。標高759m。

画像は何年も前に大雄山駅前でもらった便利な観光マップです。
愛用してるので汚れております。



足柄峠は更級日記の頃は

山の中のおそろしげなること言はむかたなし
雲は足の下に踏まる

と、山深く高く恐ろしい場所でしたが
現在は県道78号線が通り車やバスで、
または古道ハイキングなどで気軽に訪れることができます。



足柄万葉公園


足柄の関跡


聖天堂


足柄城址

などなど、足柄峠の観光スポット。



そんな足柄峠に足柄明神社跡はあります。
いや、跡ではなく現にあるので足柄明神社ですね。


県道沿いに鳥居が見えるけどちょっとわかりづらい。




鳥居近くの案内板
内容がすごいです


ヤマトタケルの時代、いえ、もっと前からこの地の神として崇められてきた足柄明神は
天慶3年(940)にここに鎮座。
前回の記事で書いたように平安時代末期に矢倉岳に遷座、
矢倉明神社と呼ばれるようになりました。
鎌倉時代末期には現在の地である苅野に再遷座します。

そして1873年(明治6)
なんと祭神から足柄明神が外されヤマトタケルと入れ替えられてしまいます。

これはいったいどうしたことか。

ヤマトタケルが通った地の神社に祭神ヤマトタケルが加えられるのはごく普通のことです。むしろ加えたい。
何しろ古代の人気者の英雄ですから。

でもその代わりに足柄明神を消すのはどうなんでしょう。
土地の人たちが何千年も崇め続けてきた古き神を消して、これからは人気者のヤマトタケルを祀りましょうなんて、
まるでシシガミ様を消してアシタカを神にしましょうと言ってるようなものです。
(でもアシタカ神ってステキかも)



鳥居の先は足柄城の一部、明神曲輪


この祭神交替劇にどのような事情があったのかは不明ですが、
氏子たちからかなりの反発があったことは
田代静平さんたち矢倉沢村の人々が氏子から抜けたという案内板の記述を見れば明らかです。
この案内板では足柄明神こそ坂東人の誇りを守った古代の英雄だと讃えています。

祭神から足柄明神を外された悔しさが伝わってきますね。
こんな案内板なかなかないです。

氏子から抜けた矢倉沢村の人たちは、遷座以来荒廃していたこの地に石祠を建て、苅野の神社から外された足柄明神を祀ります。


「明治六年酉八月吉辰」
「矢倉沢村中」と銘記あり

祭神交替したその年にすぐに建ててるんですね。怒りMAXで仕事早い。

でも年月が経つにつれこの石祠も荒れてやがて忘れられるように。
何しろ山奥ですから管理の継続が難しかったのでしょう。

案内板によると
「万葉公園からも外れ、森の陰で眠らされていました」
ここにも怒り感じる。


2001年に地元の有志たちにより再発見され
その後鳥居や案内板が作られ
足柄明神で「開眼式」 古事記ロマンに光を  | カルチャー | カナロコ by 神奈川新聞

足柄明神で「開眼式」 古事記ロマンに光を | カルチャー | カナロコ by 神奈川新聞

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カナロコ by 神奈川新聞

 
2015年にはチェーンソー彫刻による白鹿像と足柄明神白鹿堂が建てられました。


元気なお姿が愛らしい。

坂東の英雄と書いてあります。さすがです。


これは何かしら?


南足柄市教育委員会のこの説明、
なんかモヤモヤします。要らないんじゃないかなこれ?





足柄明神社からの眺め。
房総半島まで見えます。


人間の歴史の中で人間の都合で祀られたり鹿にされたり消されたり忘れられたり
大変な苦難の続いた足柄明神。
この峠にいらしてこその神さまだと思います。
これからも坂東の英雄として東国を守ってくださいまし。



でも
苅野の足柄神社にも明神様戻すべきだよね。
足柄峠を守ってくれるのはヤマトタケルじゃなくて明神様だと思うもの。



足柄城からの富士山ビュー