先日の三保ダム紅葉狩りの本来の目的は神縄地区の頼政神社参拝でした。
三保ダムのマップにも出てます頼政神社
県道76の神縄バス停前を左折、途中の別れ道を右に行くとダム広場駐車場
左に行くと頼政神社とひだまりの里(キャンプ場)
ひだまりの里スタッフさんによると、神社専用の駐車場はないので鳥居横に路駐していいそうです。
頼政神社
頼政とは源頼政のこと。
平安時代末期に活躍した摂津源氏の武士です。
保元の乱、平治の乱以降に平家政権に属しましたが、
やがて以仁王と共に平家打倒を謀り、宇治平等院での戦いに敗れて自害しました。
大河ドラマではわりとおなじみで
近年では
「平清盛」では宇梶剛士さん
「鎌倉殿の13人」では品川徹さん
が源頼政役を演じています。
(おもしろかったですよね。この2作品は…)
源氏なのに平家政権に与していたのはなぜかと不思議がられることも多い頼政。
一口に源氏と言っても源氏二十一流と呼ばれるほど系列が多く、
源氏を名乗ってるからと言って遠縁どころか全くの他人だったりするので、同族意識なんてないのです。
(美濃源氏フォーラムより)
頼政の摂津源氏は源満仲の嫡子である頼光の子孫。あの英雄頼光の血筋です。
一族は京に住み天皇近くに仕え教養も高かったので、野蛮な東国武士の河内源氏とは家の格が違いました。
もしも以仁王と頼政の挙兵が成功していたら頼政こそが源氏の棟梁として歴史に名を刻まれたのでしょうが
天はなぜか伊豆で燻っていた河内源氏の源頼朝に運を与えたのですね。
そんな源頼政を祀る神社は全国でも珍しく、
茨城県古河市の頼政神社は
頼政の従者下河辺氏が自らの領地に主君の首を運び供養したのが由緒で、
その関連で竜ヶ崎市にも小祠が伝えられ、
群馬県高崎市には江戸時代になってから藩主大河内松平氏が先祖である頼政を祀る社を建てています。
愛知県豊橋市の豊城神社は明治以降の建立で、藩主大河内松平氏および頼政を祭神をとしています。
調べて出てくるこの4社くらい。
どれも頼政の家臣や子孫が建立してるので由緒も地域も理解できるのですが、
山北町神縄はポツンとこんな山奥に。
いったいなぜ?
何らかの事情で古河まで首を運べずにここに埋めたとか
実はこの地区には頼政の子孫が隠れ住んでいたとか。
扁額には頼政宮とあります。
新編相模国風土記稿では
「頼政社 村の鎮守、神体木造 長五寸、仲春李秋の望を祭期とす、
覆殿に第六天、姥神の二社を置、村民持、下同」
程度の記述しかなく由緒は不明。
山北町公式では
「神縄ではかつては麻をたくさん作っていたが、頼政が麻の先で眼を痛めたことから麻を作らなくなったという。
また、地元の旧家の人は片目が細い。これは頼政の子孫だからだといっている。」
頼政が麻で眼を痛めた真偽は不明ですし、後天性の障害が子孫に伝わるはずはないのですが、
他に史料が見当たらないので今はこれを信じて納得したいと思います。
頼政の子孫の誰かがこの地に来て暮らし始めた、その一族は片目が細い人が多かったのでしょう。
境内にかながわの名木100選、県の天然記念物に指定されているトチノキがあります
最初はどこにあるのかわからなくて
社殿背後にありました。
説明板読みにくい。
樹高25メートル さすがの迫力
でも大掛かりな剪定をしたのか枝ぶりがちょっと寂しい
謎の大きな丸石
力石でも道祖神でもないですよね。
神縄地区も三保ダム建設の影響で昔とは大きく環境が変わり、住民も少なくなったそうです。
でも神社の周囲は木々が美しく、静寂に包まれ居心地よい空気感でした。