おだにゃら記

地元小田原市中心のフィールドワーク備忘録。
歴史、神社仏閣、あとはいろいろ。


地獄の隣の極楽寺

2023年04月15日 22時28分00秒 | 

清左衛門地獄から徒歩10分ほどのご近所さんには極楽があります

 
 

上関山極楽寺
 
開山は今川2代当主今川基氏の子、大喜法忻(仏満禅師)
開基はその弟で駿河今川家の初代今川範国。
今川氏と関係の深い臨済宗の寺です。
 
 
こんなに近い距離に地獄と極楽という名が並んでるなんて面白い
 
 





散る桜が美しい参道

極楽ですね
 


極楽寺には中興開基である松田憲秀の供養塔があります。
 
この南足柄市による説明板は、清左衛門地獄のものもそうですがかなり古く、
小さい子どもに聞かせる昔話のような内容なので そろそろ新しくしてほしいところ。
 
 



立派な彫刻な施された鐘楼
 




 

裏山にあるという松田憲秀の供養塔を探します。
 
案内板などはないので
(あとで寺のサイトに境内の案内図があることに気づきました)

墓地を抜けて適当に坂道を登り
古い無縫塔や宝篋印塔の並びをさらに奥へ進むと
 


ありました。
一番右が松田憲秀の供養塔です。
 
 

読めない部分が多いですが
寛永10年に松田憲秀25回忌追福のために建てられたようです。
 
松田憲秀が切腹したのは小田原城開城直後の1590年、
寛永10年は1634年なので25回忌というのはおかしいですね。
 
憲秀の没年は明確になってないので、もしかしたら1600年以降も生きていたのかもしれません。
それとも25回忌の供養塔を10年以上後に作ったとか。
 
そもそも松田憲秀の本当の墓はどこにあるのか?
というか松田家の菩提寺ってどこなんでしょう?
 
 


左から二番目は開山大喜法忻の供養塔(開祖寂照塔)
 
一番上の空輪を丸くして文字を刻んでる珍しい五輪塔。
 
入定という文字に慄いてしまい後で調べたところ
大喜法忻は応安元年(1368年)、鎌倉円覚寺の続燈庵にある岩窟で入定したそうです。
 
入定の意味はいろいろあるようですが
一般的には僧が岩窟などに籠りそのまま亡くなることですよね。中には即身仏になられる方もいる。
 
 
わかってはいるけど
複雑な思いが駆け巡ってしまいます。
 
あ、でも大丈夫。
高僧が開かれたこの寺は極楽。
 
 


墓地の隣のこんな穏やかな景色に癒されながら
極楽から現世へと帰りました。


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