松田町松田庶子にある最明寺史跡公園は
鎌倉時代にあった西明寺(昔はこの字だった)の跡地です。
石碑やわずかに石像仏がある程度で寺の遺構らしきものはないので今まであまり心惹かれてなかったのですが
最近ネットの動画で桜の隠れた名所だと知り
行ってみたい気持ちが沸々と。
でもかなりの山奥。
松田山山頂のチェックメイトカントリークラブのさらに先です。
おまけにGoogleのクチコミでは公園までの道路はすれ違いできないほど狭いとか。
登山する方達にはちょうど良い休憩地点なのでしょうけど、車で行くのはちと大変そう。
それでも気持ちは沸々してますので、本格桜シーズン前なら人も少ないだろうと、
下界で春めき桜を満喫した後に登ってみました松田の山。
公園入り口
この先に5台ほどの駐車スペースあり。
チェックメイトカントリーまでは普通の山道でしたが
山頂過ぎて公園までの残り500メートルほどがクチコミ通りかなりの狭さ。
山道の運転大好きな夫でも(私は滅多に運転しません・・)
対向車が来ないことを祈るしかないと焦りながらなんとか到着。
池を中心としたこじんまりとした公園です
情報が古すぎる案内板 笑
松田町公式に掲載されてるこのマップが現在の姿
ヤマビルに名前がついとるー
山野ヒルくんですよろしく
寄の方では令和4年にもクマ情報出てますし、
松田山北には普通にクマいます。
気をつけましょう。
管理事務所に貼られていた写真
4月上旬にはこのようになるんですね。
素敵です。
この時見られたのは散りかけの河津桜と早咲きの白い桜(?)くらい。
下山中の登山者が数組通っただけで人はおらず。
しんと沁み渡る静けさです。
階段の上の護摩堂跡
この盛り上がりに石積みが残されてるらしいのですが気づきませんでした。
護摩堂跡の石碑と石造物
不動明王や聖観音ですが年代はわかりません
最明寺の開山源延はこの由来碑では加藤実長となってますが、実長という人物は加藤家系図には見られないので加藤景長の誤りだとされています。
そして源延は景長本人ではなくその叔父です。
加藤氏は源頼朝挙兵に初期から参加しており、源延の兄である景廉が山木兼隆を討ち取るなど大きく貢献して鎌倉幕府の重臣となってます。
執権北条氏の保護を受け栄えた西明寺でしたが、
鎌倉幕府滅亡後は関東争乱の中で荒廃。
1469年(文明元)に大井町金子に引っ越して最明寺と字を変更して再興されます。
やはりこんな山奥より平地のほうが何かと楽ですよね…
ピクニックできる広場
公園入り口すぐにある
からさわ古窯跡群の のぼり窯
なんと奈良時代の窯です。
昭和40〜50年代に東名高速道路拡張工事で発見され道路のため壊されることになったので、
のぼり窯一基だけ最明寺史跡公園に移築されました。
実際の窯の場所は東名高速沿いで
ここで焼かれた瓦が酒匂川を舟で下り千代廃寺に使われました。
のぼり窯と一緒に横穴墓も発見されていて、
瓦職人集団との関連性が窺えます。
このあたりに瓦職人が大勢住んでいたんですね。
移築とはいえ奈良時代のこんなに状態のよい窯跡を見たのは初めてだと思います。
なかなかの驚き。
なお、
4月に入ったら桜を見にもう一度行きたいのですが
夫があの道はもう走りたくないと言ってるので
たぶん行けません。
参考文献
「伊豆山源延とその浄土教」三田全信
「相模国分寺の研究」國平健三
私はいつも歩きで行ってますが、なかなかのハードなお散歩となります。
満開って解ってて、なおかつ晴天でなきゃ行かないな(^_^;)
桜が咲くと素晴らしいですね。本当に隠れた名所だと思います。
ハードな散歩って…ハード過ぎます 笑
あそこまで歩けるなんて尊敬です!