酒匂川の東側、東海道から少し北に入ったところにある酒匂神社。
神社周辺は発掘調査されており、酒匂遺跡群として研究されている。
立派な宮彫
トタン小屋の中の境内社。確認できなかったのだけどこちらが八幡社かな。
境内には戦没者慰霊碑などに並んで砲弾があった。
境内の幅が広い。かつては参道も同じくらい広かったのかも。
最近かなり伐採したようでスッキリした雰囲気。
わかりやすい由緒書き。
もともとこの地には650年ごろに八幡社があり、
1149年に箱根権現を勧請し駒形社が祀られた。この駒形社が現在の酒匂神社の位置にあったという。
明治の世になり八幡社が駒形社に移され酒匂神社となり、のちに近隣の諏訪社や七夕社なども合祀された。
神社周辺は発掘調査されており、酒匂遺跡群として研究されている。
詳しくは小田原の遺跡探訪シリーズ「酒匂遺跡群」で。
境内のすぐ西、小田原保健センターの建つ場所には鎌倉時代に「浜辺御所」と呼ばれる将軍の別邸があった。現在は名残も何もないが、江戸時代までは土塁の一部が見られたという。
源義経が頼朝から鎌倉入りを禁じられ、やむを得ず留まったのがここだった。
なお、東海道から浜辺御所に向かう横道を「御所小路」と呼んだそうで、現在の酒匂神社までの参道がそうなのだと思う。
義経も歴代鎌倉将軍たちも、浜辺御所に滞在した折にはきっと隣接する神社(当時は駒形社)に参拝しこの境内を歩いたことだろう。
立派な宮彫
トタン小屋の中の境内社。確認できなかったのだけどこちらが八幡社かな。
はじめ系の狛犬(はじめちゃん)がいた。
手作りニットを着せてもらってる。大事にされてるんだね。
手作りニットを着せてもらってる。大事にされてるんだね。
境内には戦没者慰霊碑などに並んで砲弾があった。
大正年代に軍から贈られたものらしい。
このような軍からの記念品みたいなものは日露戦争後に非常に多く、太平洋戦争後にはだいぶ撤去されてしまったそうで、残存物を探して回ってるマニアもいるみたいだ。