copyright (c)ち ふ
絵じゃないかおじさんぐるーぷ
平成はじめのころです。
* 鹿路トンネル(057)
その日は、粉雪が舞っていた。私は、雪の日は、バイクに乗ることは避けている。道路が凍結してスリップを誘うからである。
しかし、そういう日でないと会えない景色も多い会えないとなると、無性に見にゆきたくなるのが、私の性分でもある。何事も経験できることはした方がいい、とも思っている。また、自分の眼で、雪に翻弄されているであろう山の木々たちの様子も確かめたかった。
私は、40を少しばかり越えた会社員である。バイクに乗り回すような年ではないのだろうが、わが愛バイク・Sサヤカの繰り広げてくれる、さわやか色のスペースの魅力には勝てないでいる。サヤカは、オンロード、オフロード兼用の250ccの黒い色をしたバイクである。元来、山の中が好きな私にとって、路無き道を走れる彼女の能力には感謝の手を合わせている。
下着を何枚も着込み、貼りつけ型の使い捨てカイロを腰のあたりに貼り、ラップを脚に巻きつけ、その上に革のジャンパー・ズボン、ロング・ブーツ、マフラーにマスク、皮手袋の完全装備で、身を固める。部屋の中は暖房でむんむんとしているので、玄関口でも、そんな格好で少し歩けば汗が湧き出てくる。
「こんな日に、何も」と言う、わが最愛の妻・Oさんの少しだけ険しい眉間に、引け目を感じながらも、外に飛び出す。
土曜日であった。シャッター雨戸を上げると、どんよりと重そうな雲が、天の香久山越しの吉野の峯々から、南大和の半空に拡がっていた。今にも雪が落ちてきそうな冷たさであった。
ぼんやりと電気ごたつに足を突っ込み、新聞などに眼を通していると、すぐに昼はやってくる。昼飯を食べ、テレビなどを見るともなしに眺め、ごろごろしていると、もう夕方だ。
私は、そんな生活が大嫌いである。少しも生きているというような実感が感じられない。たとえ、1秒たりといえども、己が納得できるように使いたいと思っている。会社に拘束される時間は、致仕方ないとしても、それ以外の己の時間は、有効に過ごしたいのである。身体は、ありがたいことに健康である。
「じっとしていられない性格なのね、もっと落ち着いたらどう」と、Oさんは、そんな私を評して、のたまってくれる。
「じっとしているのは、病気になったぐらいの時だ」と、軽く受け流しておく。これは、性格だ。じっとしているのと、動き回るのと、どう差があるのかと問われると、他人にはその差を伝えられない。
それは、超個人的な、私自身の心の中の問題であるからだ。少なくとも、家の中にじっと篭もり、大人しく過ごした後の私の心と、雪のちらつく山道を走った後の心の中をさらけ出してしまえれば、Oさんも、
「なるほど、後の方が白くなってるね」とうなづいてくれるだろう。サヤカのさわやかスペースに身を委ねることは、心の浄化にもなるのだ。これは、バイクに魅力を感じる人間にしか、わからない感性の世界である。
残念ながら、Oさんは、サヤカの持つ小宇宙を小馬鹿にしている。また、悲しいことながら、そういう感覚を与えるバイクの裏の世界が拡がるのも事実だ。
その悪霊は、暴走族という形をとって現われてきている。暴走族は好ましいとは言えたものではないが、実際、道路を走っていると普通車やトラックの交通道徳は、暴走族と50歩100歩のようなものであるのが実感だ。道路に出て、一走りするとそのことはよくわかる。8~9割方の者が交通違反を起こしている感じがする。
信号無視スピード違反、駐車、停車違反、無理な追越し、数えあげたら、きりがないのである。彼らには、暴走族うんぬんする資格はない。この国で車を運転する者が、道路の悪霊を怒らせ、育てあげているのだ。暴走族は、その悪霊の一つの顔にすぎないのである。ついこの間も、伊賀の山中の国道を制限速度いっぱいで走っていると、わずか1時間足らずの間に百数十台の車に追い越されてしまった。これは、立派なスピード違反である。
皆そんなに急いで何したいの! と、声の一つも掛けてみたかった。
サヤカのエンジンは、なかなか始動しなかった。1週間も放ったらかしにしていたのだから、機嫌を損ねるのは当たり前だろう。こちらの都合次第で、付き合っているのだから気紛れは、私の方だ。
「ごめん、サヤカ」と、つぶやきたくなるころに、バリンと快音を発する。数分間、サヤカの心に暖かい風を送り込んでやる。サヤカも、吹きさらしで、シートを掛けられているとはいえ、心が冷えきってしまっているのだろう。けれども、ありがたいことに、サヤカは、それが当たり前のことだと認識しているから、人間のように根に持ったりはしない。実にあっさりしたものだ。数分間も走ってやれば、ご機嫌はすこぶる良くなってくる。
その頃になると、意地悪なことに、じんじんと、手先、足先が痛んでくる。メットのシールドの隙間から、顔を切るような冷たさが襲ってもくる。
身体が慣れるまでの30分ぐらいは、冬場の走りは厳しい。ただ合わせる、自然に同化する、これしかないのである。そうしていると、いつの間にか私も、仲間の一人として、奴等は受け入れてくれるのである 道路は、軽く湿った程度で、雪は積もってはいなかった。白い雪は、時おり思い出したように舞い下りてくる。カーブやシンカーやドロップ、変化球さながらの姿を見せながら、「オッさん、よう来たなあ」と歓迎してくれているようである。
雪ん子が カーブにシュートに シンカーに
ヘルメット打つ 冬の吉野路
ち ふ
国道を折れて、山道に進んでいった。その道は、私の練習用のコースであった。細いくねった上り下りの山道が20kmばかり続いているのである。
この道を往復すると、山陰から紀伊半島までの山中の走りは、だいたいマスターできるのである。それほど変化に富んだコースでもあるのだ。鹿路トンネルは、その山道への結界門とも呼ぶべきトンネルである。100m足らずの長さであるが、明かりはついていない。入口には、氷がはりついていた。
「これは、ヤバイぞ」
咄嗟に、サヤカのスピードを弛めた。凍結は、大事故につながる。無理はしない、これは私の鉄則である。Oさんに言わせると、
「こんな雪の降る日に、バイクに乗るのが、そもそもの無茶」だと言うのだが、私は、もう少しだけ奥の方に無理の線を引いている。これも、見解の相違だ。道路が凍結していなければ、雪は雨よりも扱いやすいと思っている。雷の恐さに比べると、これはもう比較にならないほど、走りやすいのである。ただし、寒さに耐えれればの話なのだが・・・
10km前後のスピードで、暗いトンネルの中を進んでいった。ザッザッ、所々、凍結しているようである。気持は、半分引き返していた。遠くに、白い半円形の出口が見えていた。パクパクと口を開けて、私たちを呼んでいるようであった。
「行ってみようか、サヤカ」
スリップに細心の注意を払って、おそるおそる近寄っていった。腋の下には、冷や汗が流れていた。天井から、シールドに雫が落ちた時には、心臓が暴走しそうになった。だんだんと、出口は明るく大きくなってきているのだが、私には分からなかった。暗い足元に全神経を注ぎこんでいるのだから、無理もない。さいわいにして、スリップさせるような平面氷は存在してなかったのだ。これは、後からになってわかることである。数m先は、闇の世界なのである。これは、もう人生そのものの歩み走りであった。
そんな時である。
目の前が、真っ白になり、白銀の世界が、パーッと全面展開したのだ。すごーい。そこには、道も何も無かった。ただ、白い清浄な空間が、陽の光にさらされていたのである。冬といえども緑の葉を持つ木々に、また枯れた木に、雪は降り積もっていた。黒い何重にも重なった雲をかき分けて、太陽の光も差し込んでいるのである。キラリとシールドの水玉が光る。
私は、サヤカに感謝しながら、
白雪を心に埋めこんでいた。
おわり
絵じゃないかおじさんぐるーぷ
平成はじめのころです。
* 鹿路トンネル(057)
その日は、粉雪が舞っていた。私は、雪の日は、バイクに乗ることは避けている。道路が凍結してスリップを誘うからである。
しかし、そういう日でないと会えない景色も多い会えないとなると、無性に見にゆきたくなるのが、私の性分でもある。何事も経験できることはした方がいい、とも思っている。また、自分の眼で、雪に翻弄されているであろう山の木々たちの様子も確かめたかった。
私は、40を少しばかり越えた会社員である。バイクに乗り回すような年ではないのだろうが、わが愛バイク・Sサヤカの繰り広げてくれる、さわやか色のスペースの魅力には勝てないでいる。サヤカは、オンロード、オフロード兼用の250ccの黒い色をしたバイクである。元来、山の中が好きな私にとって、路無き道を走れる彼女の能力には感謝の手を合わせている。
下着を何枚も着込み、貼りつけ型の使い捨てカイロを腰のあたりに貼り、ラップを脚に巻きつけ、その上に革のジャンパー・ズボン、ロング・ブーツ、マフラーにマスク、皮手袋の完全装備で、身を固める。部屋の中は暖房でむんむんとしているので、玄関口でも、そんな格好で少し歩けば汗が湧き出てくる。
「こんな日に、何も」と言う、わが最愛の妻・Oさんの少しだけ険しい眉間に、引け目を感じながらも、外に飛び出す。
土曜日であった。シャッター雨戸を上げると、どんよりと重そうな雲が、天の香久山越しの吉野の峯々から、南大和の半空に拡がっていた。今にも雪が落ちてきそうな冷たさであった。
ぼんやりと電気ごたつに足を突っ込み、新聞などに眼を通していると、すぐに昼はやってくる。昼飯を食べ、テレビなどを見るともなしに眺め、ごろごろしていると、もう夕方だ。
私は、そんな生活が大嫌いである。少しも生きているというような実感が感じられない。たとえ、1秒たりといえども、己が納得できるように使いたいと思っている。会社に拘束される時間は、致仕方ないとしても、それ以外の己の時間は、有効に過ごしたいのである。身体は、ありがたいことに健康である。
「じっとしていられない性格なのね、もっと落ち着いたらどう」と、Oさんは、そんな私を評して、のたまってくれる。
「じっとしているのは、病気になったぐらいの時だ」と、軽く受け流しておく。これは、性格だ。じっとしているのと、動き回るのと、どう差があるのかと問われると、他人にはその差を伝えられない。
それは、超個人的な、私自身の心の中の問題であるからだ。少なくとも、家の中にじっと篭もり、大人しく過ごした後の私の心と、雪のちらつく山道を走った後の心の中をさらけ出してしまえれば、Oさんも、
「なるほど、後の方が白くなってるね」とうなづいてくれるだろう。サヤカのさわやかスペースに身を委ねることは、心の浄化にもなるのだ。これは、バイクに魅力を感じる人間にしか、わからない感性の世界である。
残念ながら、Oさんは、サヤカの持つ小宇宙を小馬鹿にしている。また、悲しいことながら、そういう感覚を与えるバイクの裏の世界が拡がるのも事実だ。
その悪霊は、暴走族という形をとって現われてきている。暴走族は好ましいとは言えたものではないが、実際、道路を走っていると普通車やトラックの交通道徳は、暴走族と50歩100歩のようなものであるのが実感だ。道路に出て、一走りするとそのことはよくわかる。8~9割方の者が交通違反を起こしている感じがする。
信号無視スピード違反、駐車、停車違反、無理な追越し、数えあげたら、きりがないのである。彼らには、暴走族うんぬんする資格はない。この国で車を運転する者が、道路の悪霊を怒らせ、育てあげているのだ。暴走族は、その悪霊の一つの顔にすぎないのである。ついこの間も、伊賀の山中の国道を制限速度いっぱいで走っていると、わずか1時間足らずの間に百数十台の車に追い越されてしまった。これは、立派なスピード違反である。
皆そんなに急いで何したいの! と、声の一つも掛けてみたかった。
サヤカのエンジンは、なかなか始動しなかった。1週間も放ったらかしにしていたのだから、機嫌を損ねるのは当たり前だろう。こちらの都合次第で、付き合っているのだから気紛れは、私の方だ。
「ごめん、サヤカ」と、つぶやきたくなるころに、バリンと快音を発する。数分間、サヤカの心に暖かい風を送り込んでやる。サヤカも、吹きさらしで、シートを掛けられているとはいえ、心が冷えきってしまっているのだろう。けれども、ありがたいことに、サヤカは、それが当たり前のことだと認識しているから、人間のように根に持ったりはしない。実にあっさりしたものだ。数分間も走ってやれば、ご機嫌はすこぶる良くなってくる。
その頃になると、意地悪なことに、じんじんと、手先、足先が痛んでくる。メットのシールドの隙間から、顔を切るような冷たさが襲ってもくる。
身体が慣れるまでの30分ぐらいは、冬場の走りは厳しい。ただ合わせる、自然に同化する、これしかないのである。そうしていると、いつの間にか私も、仲間の一人として、奴等は受け入れてくれるのである 道路は、軽く湿った程度で、雪は積もってはいなかった。白い雪は、時おり思い出したように舞い下りてくる。カーブやシンカーやドロップ、変化球さながらの姿を見せながら、「オッさん、よう来たなあ」と歓迎してくれているようである。
雪ん子が カーブにシュートに シンカーに
ヘルメット打つ 冬の吉野路
ち ふ
国道を折れて、山道に進んでいった。その道は、私の練習用のコースであった。細いくねった上り下りの山道が20kmばかり続いているのである。
この道を往復すると、山陰から紀伊半島までの山中の走りは、だいたいマスターできるのである。それほど変化に富んだコースでもあるのだ。鹿路トンネルは、その山道への結界門とも呼ぶべきトンネルである。100m足らずの長さであるが、明かりはついていない。入口には、氷がはりついていた。
「これは、ヤバイぞ」
咄嗟に、サヤカのスピードを弛めた。凍結は、大事故につながる。無理はしない、これは私の鉄則である。Oさんに言わせると、
「こんな雪の降る日に、バイクに乗るのが、そもそもの無茶」だと言うのだが、私は、もう少しだけ奥の方に無理の線を引いている。これも、見解の相違だ。道路が凍結していなければ、雪は雨よりも扱いやすいと思っている。雷の恐さに比べると、これはもう比較にならないほど、走りやすいのである。ただし、寒さに耐えれればの話なのだが・・・
10km前後のスピードで、暗いトンネルの中を進んでいった。ザッザッ、所々、凍結しているようである。気持は、半分引き返していた。遠くに、白い半円形の出口が見えていた。パクパクと口を開けて、私たちを呼んでいるようであった。
「行ってみようか、サヤカ」
スリップに細心の注意を払って、おそるおそる近寄っていった。腋の下には、冷や汗が流れていた。天井から、シールドに雫が落ちた時には、心臓が暴走しそうになった。だんだんと、出口は明るく大きくなってきているのだが、私には分からなかった。暗い足元に全神経を注ぎこんでいるのだから、無理もない。さいわいにして、スリップさせるような平面氷は存在してなかったのだ。これは、後からになってわかることである。数m先は、闇の世界なのである。これは、もう人生そのものの歩み走りであった。
そんな時である。
目の前が、真っ白になり、白銀の世界が、パーッと全面展開したのだ。すごーい。そこには、道も何も無かった。ただ、白い清浄な空間が、陽の光にさらされていたのである。冬といえども緑の葉を持つ木々に、また枯れた木に、雪は降り積もっていた。黒い何重にも重なった雲をかき分けて、太陽の光も差し込んでいるのである。キラリとシールドの水玉が光る。
私は、サヤカに感謝しながら、
白雪を心に埋めこんでいた。
おわり