絵じゃないかおじさん

言いたい放題、自由きまま、気楽など・・・
ピカ輪世代です。
(傘;傘;)←かさかさ、しわしわ、よれよれまーくです。

あ@つぶつぶ(日々)328 今日もまた日が過ぎてゆく前向きな

2019-12-30 05:56:03 | つぶつぶ

多層構造ぶろぐ→Multilayer structure blog

ピカ輪世代(世に団塊とも)の一断面を目指して。



copyright (c)地  宇
                     ち ふ
          絵じゃないかぐるーぷ
                   


*  English translation 


  328 今日もまた日が過ぎてゆく前向きな



        ↓
      (ほんやっ君のとある無料の英訳)

    The positive that day Yuku past also today
         ↓
      (ほんやっ君のとある無料の和訳戻し)

正当日ゆく過去にも、今日







     この項おわり



つぶつぶ(22”22”)・・・・・

あ@仮想はてな物語 嘆きのゴキオーラ 10/61

2019-12-30 05:54:53 | 仮想はてな物語 
  copyright (c)ち ふ
    絵じゃないかおじさんぐるーぷ


 やっと夜がやってきてくれた。
夕食後、「本屋にちょっと行ってくる」と言って
サヤカに跨がる。道具は昼間から
用意してあった。
近くの公園で本番開始だ。

 ゴキブリに変身するには、狸の置物がいる。
これは、ずっと昔に信楽で買い求めたものだ。
その狸を両手で撫で一心不乱に
{ごきごき母ちゃん、ごき父ちゃん、オイラを子供にしておくれ}と唱えるのだ。
頃合を見計らってサヤカが術を投げる。
変身時間は狸時間、嘘800秒、
人間時間にして5分である。
オレは、黒ヘルメ、ロングブーツの完全防備姿。
縮小コピーに掛かったみたいだ。


つづく

あ@仮想はてな物語 キヨヒメの整形手術 44/49  

2019-12-30 05:53:37 | 仮想はてな物語 

copyright (c)ち ふ
絵じゃないかおじさんぐるーぷ



日高川を蛇となって下る。キヨヒメは元々金槌だ。川などは洗濯で足首をつける以上のことはしたことない。それが、すいすいと泳げるものだから、すっかり有頂天になってしまった。新緑が川面を染めていて爽やかだった。水の冷たさが心地よい。スピードは50km前後。不思議と疲れない。それにしても、観音はんの改造力、大したものだ。キヨヒメは泳ぐ、泳ぐ。ストレスもすっかり取れてしまった。アンジンへの怒りも薄れる。



観音はんから、蛇姿に恐れをなしたアンジンは鐘の中に隠れるだろうと聞かされている鐘の中は、ある温度に達すれば観音はんの修業した世界、Gスペースへワープ出来るトンネルの入口になっているそうだ。そこに追い込む為に観音はんがキヨヒメを一目で身の毛もよだつような姿に変えたのだ。嘘も方便とはいえ、可愛い女の子をそんな姿に変えて観音はんもお人が悪い。



つづく

a@(Quiz-my answer)2156 12”410 252109 721098

2019-12-30 05:50:51 | NUM575


0843=おはようさん→Good morning Mr.→おはようさん

ピカ輪世代(世に団塊とも)の一断面を目指して。

英語は、お強い。
けれど、日本語も、ちょこっとは世界語に? と・・・・・
数字を書き連ねるだけで、世界に通用する。
すべてでは無く、話のついでに。
日本語のちょこっとの主張です。


   ・NUM川柳=NUMERICの川柳

【 WWW対応=だぶさん備え=ワープロ感覚でのネット参加 】


数字日本語の世界語化を夢見て213(じいさん)。


                         copyright (c)ち ふ
                         絵じゃないかオジさんグループ
                         仮想はてなグループ



 * 721046? (傘;傘;)  my answer


  2156 12”410 252109 721098
    
       一部始終 自業自得 納得や     


       ITIBUSIJYUU JIGOUJITOKU NATTOKUYA 

   

      ほんやっ君のとある英訳→とある和訳戻し ;
       
       It is convinced of my own self income all the time
               ↓
       私自身の自己収入はいつも確信しています




                           8”18”1 


411270!=YOI1NITIO!→よい1日を!→Have a good day!→良い一日を!

8”18”1=バイバイ.→Bye-bye→バイバイ

914”=QUIZ


4203=失礼さん

あ@仮想はてな物語 朽の柿村のおイトばぁさん

2019-12-30 05:49:02 | 仮想はてな物語 
copyright (c)ち ふ
絵じゃないかおじさんぐるーぷ
            
           平成はじめのころです。


* 朽の柿村のおイトばぁさん(060)

 朽の柿村は、奈良県のS市から3時間ばかりいったところにある山間の集落だ。おイトばぁさんは、その村はずれに一人で住んでいる。

 彼女と知り合ったのは、バイクでツーリングに出掛けた帰りのことだった。その時、山の中で、咽喉が乾いていた。もちろん自動販売機などは見当らない。最近はどんな山奥の中の小川といえど、うっかり川の水などを口にすると、とんでもない目に遭いそうだ。どこで農薬をばらまいているかもしれない。ヘリコプターで散布していることもある。

地域の人は、放送や広報で知らされているが、私のようにふらりと何百kmも離れた所から、のこのことやってくる者には、何も知らされない。まあロクに調べもせず、やってゆく方が悪いと言えば悪いのだろう。そんなわけでどんな山深くの川であっても、手足を洗うに止めている。

 ゆっくり走っていると、広い庭に井戸のつるべがあるのが見えた。山の中、それも井戸だったので、興味を覚えた。そこで、立ち寄って水を飲ませてもらうことにした。

 赤いつつじの垣がきれいに手入れされていた。庭には砂利が敷き詰められ、鶏が数羽放し飼いにされている。

「こんにちわー」

 4~5回声を掛けたが、誰も出てこなかった。奥の方で犬の吠え声が聞こえてくる。薄暗い土間のかなり向こうには、裏山の緑が見えていた。墨で掛かれた門札に歌の字だけが判読された。新生活云々とかいう貼り紙が黄ばんでいる。人が出てくる気配もなかったので、上を見上げると、瓦には苔が生え、軒は波打っていた。私は、タバコを取り出して吸った。犬は鳴き止みそうな気配はなかった。私は、気がひけたのだが、どうしても井戸の水が飲みたかったので、少し待つことにした。玄関を開けたままだから、そう遠くにいってもいまい。

 私の趣味の一つに、バイクツーリングがある。土曜日になると、一人でふらりと出掛けてゆく。むろん日帰りである。サタディ・ストローラー、土曜日専用漂泊者とでも呼べばいいのだろうか。

 週休も2日制が定着し、その恩恵にあずかるようになってくると、自然時間が余ってくる。子供が小さい頃は、その休みを待ちかねて、手ぐすねひいて待ってくれていたのだが、中学生ともなると、お呼びでなくなった。ということは、時間を持て余すようになる。

7~8年も、子供の相手であちらこちらに出掛けていたのを、止めてしまうと、結局は、彼らが私の時間を潰してくれていたのかと錯覚を起こしてしまった。実際は、私の時間を子供たちに食われていたはずなのだが、私もそれを義務のように思って、子供の相手をするように自分で自分を制約していたのだろう。子供が鼻も引っかけてくれなくなると、あり余る時間を何かで塗りつぶさなければならない。

 私は、ぢっとしているのが、嫌いなタイプである。まあ大病にもかからないので、どちらかと言えば、健康にも恵まれている部類に入るのだろう。健康であれば、出歩きたくもなる。バイク・ツーリングは、そんな私の性格にぴったりする趣味であった。バイクは高校生の頃から乗っているので違和感はあまり感じられなかった。バイクの良さは、数えるといくらもあげられる。

 また反面問題も多い。バイクの持つマイナーな面ばかりに目を向けると、これは決して誉められた趣味ではない。しかし、いい面を見てやれば、もうあばたもエクボに見えるほど素晴らしい世界を展開してくれる文明の利器でもある。プラスとマイナス、私は、マイナス面に後ろ髪を引かれながら、バイクと付き合っている。

 決して、全面的に肯定しているものではないのだが、愛妻のあゆかは、そうは見てはくれない。妻といえども、この微妙な心理の動きは伝わらないのだろう。

 {いい歳して、若者のように、バイクに乗って}というような見方に支配されているようだ。いつか、あゆかに免許を取らして、二人でツーリングに出掛けるのが、私の願いの一つでもある。
 しかし、あゆかは、小馬鹿にして相手になろうともしてくれない。私は、それはそれでよいと思っている。夫婦で趣味など一致すれば、喧嘩ばかりして対立するだろうなあとも思っている。同一趣味といえども、その深さ、姿勢が一致するなどとは、とうてい思えないからだ。下手をすると、逆に近親憎悪のようなものが生まれるかもしれない。

 あゆかは、クラシックが趣味でもある。私は、音痴なものだから、あんなものじっとして聞いていると、イライラしてくるのだ。オーケストラなど、目にすると、大の大人があんなに沢山、あんな狭い場所で、何を汗かいてやっているのだと思う。しかし、その反面、人と人との共同作業に憧れもする。だが、私自身は、一人でツーリングでもしている方が楽しいのだ。人に合わせて、何かをするということは、苦手でもある。そんな性格が物事の見方を制してしまっている。

 しばらくしていると、訝しそうな目つきをした年寄りが、

「何んか用かい?」と、声を掛けてきた。私は、家の中から人が出てくるものばかりと思い込んでいたものだから、道路の方からの出現に意表をつかれた。

「咽喉が乾いたものですから、井戸の水を飲ませていただきたいと思いまして」

「そうか。咽喉が乾いているんかい。しかしな、その井戸は飲料には不向きじゃ。洗濯と泥落としぐらいにしか使ってないんじゃ。こち来」

 慣れて来ると、老婆は人なつっこい顔に変わった。背は、私の肩より少し低かった。頭に手ぬぐいを巻いて、鼠色の格子のエプロンをかけていた。色黒いシワの平たい深い顔には、愛敬が漂っていた。

「あの井戸の水、旨そうなんだけど・・・」
「表面はな。保健所の人が来て、検査したところ、飲むには適してないということじゃよ。何でも、この先の山上にあるゴルフ場の農薬が沁みこんできていると言っていた。夏は、冷たく、冬は暖かくて、いい水だったんだけどなあ。だんだん年が経つと、暮らしが便利になって、いいことはいいんじゃが、昔のいい所まで殺されてしもうた。長生きするのも良し悪しじゃのう」

 私は、冷えた麦茶を飲みながら、玄関の上がりカマチに、そのばぁさんと腰を降ろして話し込んでしまった。犬のヤツも、そんな私とばぁさんの馴れ合いぶりをみて吠えなくなった。

 ばぁさんは、おイトばぁさんと言った。男の子が一人いるのだが、東京で就職して、今は孫も二人になったという。連れ合いは、5年ほど前にボケて、谷底に落ちて亡くなったらしい。東京へは、数年に一回顔を出すだけで、十分だ。一人暮しは、決して人に勧められるものではないが、コンクリに囲まれた団地暮しは、2日以上は、ごめんをこうむりたいとも言った。家には、猿の桃子と犬の猫助、豚のデン子がいるので、淋しくはないという。
 犬に猫とは変わった名前の付け方をするばぁさんだ。話を聞いていると、孫が赤ちゃんの犬と猫の区別もつかなくて、つけたものらしい。お歌ばぁさんも、目に入れても痛くないような孫の命名なので、そのままにしているらしい。


 ばぁさんの歳は71歳で、年金収入と杉山が少しばかりと、2反ほどの田をアテアゲにしているらしい。アテアゲとは、米作りを一切他人にまかせて、収穫した米の2割ばかりをもらう方式のようだ。収入は減るが反面、田圃づくりから開放されるので、気楽になったとも言っていた。杉の方は、枝落としに、その歳でも行っているらしい。孫が大きくなった時、ばぁちゃんの育てた杉だよと残してやるのが夢だとも語っていた。

 その日、私は、小1時間ばかり居て別れた。半年に一度ぐらいは、ツーリングで傍を通るので、お歌ばぁさんの姿が見えれば、寄ることをしている。バイクも乗りっぱなしでいると、緊張して疲れる。休憩するには、気の休まるところでもあった。ばぁさんと話していると、ごみごみとした都会生活とは、かけ離れた話になるから、私もホッとするのだ。

それから、数年経った頃である。

 私は、おイトばぁさんの所に寄った。玄関が開いていたからである。声を掛けると、猿の桃子が走り寄ってきた。もう、3匹とは顔なじみである。彼らは、ペット用のフードをお土産がわりに持っていってやっているものだから、すっかり私を認めてくれているのだ。

桃子が、私の革ズボンをしきりと引っ張るので、奥に入っていった。おイトばぁさんが、布団に寝ていた。犬の猫助と豚のデン子は、その傍で寝そべっていた。私が傍へ行くと、2匹とも力なく頭をあげた。

「おイトばぁちゃん、病気かい?」
「おうおう、これは休人はん、よう来てくれたのう。変なヤツに捕まってしもうてな。このざまよ。何とも情けない」

 うっすらと目尻に涙が滲んでいた。

「どこが悪いの」
「足腰をやられてしもうてなあ。寝たきりなんじゃよ」

「ええっ、いつから」
「もう2月にはなるかいな」

「医者には?」
「3日に一度は来てくれるが、あんなものでは治らんて」

「ご飯や洗濯は?」
「みんながやってくれるのでな。助かるよ。畜生でも、日頃から子供のように可愛がって世話してやっていると、恩返ししてくれるんじゃのう。ありがたいことじゃ」

 おイトばぁさんは、手は動くので、メモを書けば、犬の猫助が使い走りをするらしい。下の世話は、豚のデン子にまかせている。炊事は、猿の花子が受け持っているという。息子も、近所の知らせで東京から帰ってきて、病院に入ることを勧めたのだが、ガンとして拒否してやった。

病院などに入ると、余計に悪化しそうな気がする。何人もの知り合いを見て、そう感じたらしい。養老院の世話にもなりたくはない。ここで、じっくりと病と戦いながら暮らしてみせる。他人の手を煩わせたくはない。私自身も、人の世話など御免を蒙る、お相子でいいじゃないかと呟くように言った。

 私は、それを聞いて、心の中で拍手を送った。といって、私に出来ることと言えば、それぐらいである。毎週訪ねてやりたいが、往復6時間も掛かるので、そうもいかない。というより、それが義務化するなると、これは私の重荷にもなる。そういう真似は到底出来かねる。2~3度ならまだしも、常時となるとハタと考え込んでしまう。

私の奥底には、どうしようもないほど、冷たい血が流れているのだろうか。しかし、おイトばぁさんは他人の、いや自分の息子の手さえ借りようとはしないのだ。私が、そういうことをするなど望んでもいないだろう。逆に、そんなことされると、ばぁさんは余計に気を悪くするであろう。そういう事を望むなら、とっくに病院に入るか、近所の世話になつているはずである。

 ペットには、迷惑をかけるが、どうせ彼らは他に取り柄もないのだ。単に人間の慰みものとなって、ノホホンと寿命を尽きるよりも、おイトばぁさんの役に立って感謝されながら、生きる方が素晴らしいに違いない。畜生といえども、心はある。感謝の心で、日々接するばぁさんの気持ちが伝わらないわけは無いのだ。

 私は、ばぁさんの中に人間の強さを見た。何の変哲も無い山の中に埋もれた一人の朽ち女に過ぎないが、彼女の姿勢は現代に生きる人類の求めるべき姿勢でもあった。と同時に畜生と呼ばれているモノとの限りない共存、といっても、彼らが人間の意向を無視しては、この地球では、生き延びることは出来ないのだ。その畜生に与えられた生きがいというようなモノを垣間見たように思った。

 もし、万一、ばぁさんが死んだりすれば、後はどうなるのだろうという気がしないでもない。けれども、おイトばぁさんは生きているのだ。生き続けてゆくのだ。根性を貫いて生きていれば、また歩けるようになるかもしれない。治るかもしれない。いや、あの心がまえなら、必ずや歩けるようにはなるだろう。

 ずっと先の話になるのだが、この世に、神や仏が居るものなら、せめての慈悲として、4者の寿命を同時に尽きさせてやって欲しいという、願っても叶えられそうにもない願いを抱いて、暗い夜道に、バイクを踏み入れた。
                                おわり