長女が一人住まいを始めることになった。
大学在学中に一年間休学して
ニュージーランドに語学留学はしたものの、
25年間一緒に暮らしてきただけに、
一人前に育った喜びと、巣立つ寂しさが入り交じった日々を送っている。
「三つ子の魂百まで」を試したくて、
出産時は3ヶ月の休み(産休)を取った。
当時はフリーの演出家だったのでプロデューサーに
「なんせ♀がこれなもんで」と蒲田行進曲のヤスばりに
めちゃくちゃ仕事をもらい産休を取ったが、
産休明けに仕事をしても直ぐに金にならず
6カ月無給生活であやうく日干しが三匹出来上がるところだった。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/7c/09/f4a8c60b556f846072d691ab5fa088de.jpg)
必死で生まれようとする長女
約2年後、次女の出産時も3ヶ月休みを取ったが、
妻が生まれたばかりの次女と実家に帰るというので、
間もなく2歳になろうとしていた長女と二人で車に乗って四国巡りをした。
当時は父とオムツのまだ取れない幼子の旅行は珍しく、
旅館に泊まると誘拐犯か無理心中に間違えられて、
行く先々で宿の女将に事情聴取を受けた。
ビジネスホテルがまだ一般的でない時代だったので、
事情を理解した女将が
「ゆっくり一人でお風呂に入ってください」とすすめてくれたが、
人見知りの泣き味噌の長女は私を一人にすることはなかった。
高松の栗林公園では修学旅行の女子中学生が
カメラのシャッターを押してくれ初のツーショットとなったが、
四国ツアーの証拠写真はこれ一枚だけ。
長女が大学に合格した時に彼女の部屋に入ったのだが、
この写真が机の本棚に飾られていたのには驚いた。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/5b/cd/1d603a1b5859b9abe070ec721614d03d.jpg)
その後も「三つ子の魂百まで」を実践すべく、
公園デビューをはじめ、ベビーカーに長女を、
オンブダッコで次女を抱き、各地を遠征した。
当時所属していたオフィス・キネティックの沖縄旅行にも
3歳になった長女を連れていくなど、
若干無理強いしたところもあり、
連れてくるんじゃなかったと反省もした。
幼い時から彼女達の友達とも遊んだので、
イジメに合うこともなかった。
また引きこもりもなく、
「お父さんのパンツと一緒に洗わないで!」という
強烈な反抗期もなく、
正に「三つ子の魂百まで」を今日まで謳歌している。
ご近所のお父さん方には
「妻から少しは多田さんを見習って子供の面倒をみてよ」と
家内から抗議されて困るという苦情やら、
「多田さんはプータローの変人だ」と
今では考えられない風評被害にもあった。
断っておくが私はフリータ~ではなくフリーランスの売れっ子演出家だった。
「三つ子の魂、百まで」は社内外に伝授し
数名はその教えに従って子育てをしている
男どももいる。いずれその論理の素晴らしさがわかるはずである。
その長女が大学を卒業し、会社に入って一年、我が家を巣立つ。
引っ越しの手伝いやら、転出入の手続きやらをバタバタと済まし、
長女は寂しさを見せぬように(?)ご陽気に旅立った。
さすがに私の娘だ、誉めてツカワス。
大学在学中に一年間休学して
ニュージーランドに語学留学はしたものの、
25年間一緒に暮らしてきただけに、
一人前に育った喜びと、巣立つ寂しさが入り交じった日々を送っている。
「三つ子の魂百まで」を試したくて、
出産時は3ヶ月の休み(産休)を取った。
当時はフリーの演出家だったのでプロデューサーに
「なんせ♀がこれなもんで」と蒲田行進曲のヤスばりに
めちゃくちゃ仕事をもらい産休を取ったが、
産休明けに仕事をしても直ぐに金にならず
6カ月無給生活であやうく日干しが三匹出来上がるところだった。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/7c/09/f4a8c60b556f846072d691ab5fa088de.jpg)
必死で生まれようとする長女
約2年後、次女の出産時も3ヶ月休みを取ったが、
妻が生まれたばかりの次女と実家に帰るというので、
間もなく2歳になろうとしていた長女と二人で車に乗って四国巡りをした。
当時は父とオムツのまだ取れない幼子の旅行は珍しく、
旅館に泊まると誘拐犯か無理心中に間違えられて、
行く先々で宿の女将に事情聴取を受けた。
ビジネスホテルがまだ一般的でない時代だったので、
事情を理解した女将が
「ゆっくり一人でお風呂に入ってください」とすすめてくれたが、
人見知りの泣き味噌の長女は私を一人にすることはなかった。
高松の栗林公園では修学旅行の女子中学生が
カメラのシャッターを押してくれ初のツーショットとなったが、
四国ツアーの証拠写真はこれ一枚だけ。
長女が大学に合格した時に彼女の部屋に入ったのだが、
この写真が机の本棚に飾られていたのには驚いた。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/25/c7/88f3accae032b72f9a8b7a0576f08105.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/5b/cd/1d603a1b5859b9abe070ec721614d03d.jpg)
その後も「三つ子の魂百まで」を実践すべく、
公園デビューをはじめ、ベビーカーに長女を、
オンブダッコで次女を抱き、各地を遠征した。
当時所属していたオフィス・キネティックの沖縄旅行にも
3歳になった長女を連れていくなど、
若干無理強いしたところもあり、
連れてくるんじゃなかったと反省もした。
幼い時から彼女達の友達とも遊んだので、
イジメに合うこともなかった。
また引きこもりもなく、
「お父さんのパンツと一緒に洗わないで!」という
強烈な反抗期もなく、
正に「三つ子の魂百まで」を今日まで謳歌している。
ご近所のお父さん方には
「妻から少しは多田さんを見習って子供の面倒をみてよ」と
家内から抗議されて困るという苦情やら、
「多田さんはプータローの変人だ」と
今では考えられない風評被害にもあった。
断っておくが私はフリータ~ではなくフリーランスの売れっ子演出家だった。
「三つ子の魂、百まで」は社内外に伝授し
数名はその教えに従って子育てをしている
男どももいる。いずれその論理の素晴らしさがわかるはずである。
その長女が大学を卒業し、会社に入って一年、我が家を巣立つ。
引っ越しの手伝いやら、転出入の手続きやらをバタバタと済まし、
長女は寂しさを見せぬように(?)ご陽気に旅立った。
さすがに私の娘だ、誉めてツカワス。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます