株式会社プランシードのブログ

株式会社プランシードの社長と社員によるブログです。
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その126.旅立ち

2014-03-18 07:02:09 | 制作会社社長の憂い漫遊記
長女が一人住まいを始めることになった。
大学在学中に一年間休学して
ニュージーランドに語学留学はしたものの、
25年間一緒に暮らしてきただけに、
一人前に育った喜びと、巣立つ寂しさが入り交じった日々を送っている。

「三つ子の魂百まで」を試したくて、
出産時は3ヶ月の休み(産休)を取った。
当時はフリーの演出家だったのでプロデューサーに
「なんせ♀がこれなもんで」と蒲田行進曲のヤスばりに
めちゃくちゃ仕事をもらい産休を取ったが、
産休明けに仕事をしても直ぐに金にならず
6カ月無給生活であやうく日干しが三匹出来上がるところだった。


  必死で生まれようとする長女

約2年後、次女の出産時も3ヶ月休みを取ったが、
妻が生まれたばかりの次女と実家に帰るというので、
間もなく2歳になろうとしていた長女と二人で車に乗って四国巡りをした。
当時は父とオムツのまだ取れない幼子の旅行は珍しく、
旅館に泊まると誘拐犯か無理心中に間違えられて、
行く先々で宿の女将に事情聴取を受けた。
ビジネスホテルがまだ一般的でない時代だったので、
事情を理解した女将が
「ゆっくり一人でお風呂に入ってください」とすすめてくれたが、
人見知りの泣き味噌の長女は私を一人にすることはなかった。
高松の栗林公園では修学旅行の女子中学生が
カメラのシャッターを押してくれ初のツーショットとなったが、
四国ツアーの証拠写真はこれ一枚だけ。
長女が大学に合格した時に彼女の部屋に入ったのだが、
この写真が机の本棚に飾られていたのには驚いた。

  

その後も「三つ子の魂百まで」を実践すべく、
公園デビューをはじめ、ベビーカーに長女を、
オンブダッコで次女を抱き、各地を遠征した。
当時所属していたオフィス・キネティックの沖縄旅行にも
3歳になった長女を連れていくなど、
若干無理強いしたところもあり、
連れてくるんじゃなかったと反省もした。
幼い時から彼女達の友達とも遊んだので、
イジメに合うこともなかった。
また引きこもりもなく、
「お父さんのパンツと一緒に洗わないで!」という
強烈な反抗期もなく、
正に「三つ子の魂百まで」を今日まで謳歌している。
ご近所のお父さん方には
「妻から少しは多田さんを見習って子供の面倒をみてよ」と
家内から抗議されて困るという苦情やら、
「多田さんはプータローの変人だ」と
今では考えられない風評被害にもあった。
断っておくが私はフリータ~ではなくフリーランスの売れっ子演出家だった。

「三つ子の魂、百まで」は社内外に伝授し
数名はその教えに従って子育てをしている
男どももいる。いずれその論理の素晴らしさがわかるはずである。
その長女が大学を卒業し、会社に入って一年、我が家を巣立つ。
引っ越しの手伝いやら、転出入の手続きやらをバタバタと済まし、
長女は寂しさを見せぬように(?)ご陽気に旅立った。
さすがに私の娘だ、誉めてツカワス。

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