事情で生まれ育った神戸を6年前に離れ、
大阪市福島区に移り、
3年前から大阪市此花区に住んでいる。
娘が一緒だから各自一部屋を確保すると、
けっこうお気に入りの福島区には4LDKが見つからず、
此花に住むことになった。
若者の多い福島に比べ、家族住まいの此花は下町だ。
子供の声が町にこだまし、
自転車が無秩序に歩道を占拠している。
福島で住んでいた家族向けのマンションでは、
エレベーターで小学生に出会うと
「おはようございます」と朝の挨拶をする行儀のよさ。
正直ちょっと気持ちの悪いくらい
クソ丁寧な挨拶をしてくる子供が多かったが、
此花では地ベタに座り込んでガヤガヤしている子供が多い。
私の育った神戸市灘区西郷は灘五郷の一番西の町で、
「沢の鶴」や「忠勇」といった酒蔵の町で、
今住んでいる此花と同じく一度火事が起これば
消防車も入れない細い路地が入り組んでいた。
酒に関連した家内制手工業、
例えば杉の板を組んで酒樽を手作業で作ったり、
酒樽の周りを縛る竹の輪っか(箍=たが)を作ったり、
シゴイて酒樽に巻くコモを作る小さな作業場がいくつもあり、
作業場の区切りが路地を形成していた。
阪神淡路大震災で酒蔵の町は全滅した。
酒蔵の瓦屋根は白壁と共に崩壊し、西郷、御影郷、住吉郷にある
作り酒屋は今もって元の姿に戻ることはない。
板張りの酒蔵や作業場と、入り組む細い路地に代わり、
消防車が通れる広い道になり、
廃材が撤去された元作業場は更地になり
駐車場にしているが契約者もいない有り様だ。
板張りの町は、プレハブ建売の風情のない家に変わった。
今住んでいる此花の町並みも細い路地が入り組んでいる。
風呂のない家もあるようで、
夕方になると銭湯のある界隈は賑わっている。
もちろん銭湯も生活の一部としてちゃんと存在しており
風呂上がりの親父達を迎える立呑屋や、
ドアを取っ払ったバリアフリー?のお好み焼き屋もある。
しかし東南海地震が来ると
間違いなく津波で埋没する海抜0m地帯であり、
淀川の堤防が決壊するのは想像に容易い。
仮に直下型が来れば神戸の二の舞は避けられない。
阪神淡路大震災の朝、
家族4人で暮らしていた
東灘区御影の5階建てのマンションのラセン階段をかけ登り、
屋上から見渡した神戸の町は炎で燃え盛っていた。
目の前の地獄絵図に、
もはや世界滅亡かと身体が凍りつき
ただただ立ち尽くすしかなかった。
それでもなんとか生き残り、
神戸のその地で約15年住み続けた。
此花の路地を歩くと生まれ育った西郷の酒蔵の路地を思い出す。
大阪市福島区に移り、
3年前から大阪市此花区に住んでいる。
娘が一緒だから各自一部屋を確保すると、
けっこうお気に入りの福島区には4LDKが見つからず、
此花に住むことになった。
若者の多い福島に比べ、家族住まいの此花は下町だ。
子供の声が町にこだまし、
自転車が無秩序に歩道を占拠している。
福島で住んでいた家族向けのマンションでは、
エレベーターで小学生に出会うと
「おはようございます」と朝の挨拶をする行儀のよさ。
正直ちょっと気持ちの悪いくらい
クソ丁寧な挨拶をしてくる子供が多かったが、
此花では地ベタに座り込んでガヤガヤしている子供が多い。
私の育った神戸市灘区西郷は灘五郷の一番西の町で、
「沢の鶴」や「忠勇」といった酒蔵の町で、
今住んでいる此花と同じく一度火事が起これば
消防車も入れない細い路地が入り組んでいた。
酒に関連した家内制手工業、
例えば杉の板を組んで酒樽を手作業で作ったり、
酒樽の周りを縛る竹の輪っか(箍=たが)を作ったり、
シゴイて酒樽に巻くコモを作る小さな作業場がいくつもあり、
作業場の区切りが路地を形成していた。
阪神淡路大震災で酒蔵の町は全滅した。
酒蔵の瓦屋根は白壁と共に崩壊し、西郷、御影郷、住吉郷にある
作り酒屋は今もって元の姿に戻ることはない。
板張りの酒蔵や作業場と、入り組む細い路地に代わり、
消防車が通れる広い道になり、
廃材が撤去された元作業場は更地になり
駐車場にしているが契約者もいない有り様だ。
板張りの町は、プレハブ建売の風情のない家に変わった。
今住んでいる此花の町並みも細い路地が入り組んでいる。
風呂のない家もあるようで、
夕方になると銭湯のある界隈は賑わっている。
もちろん銭湯も生活の一部としてちゃんと存在しており
風呂上がりの親父達を迎える立呑屋や、
ドアを取っ払ったバリアフリー?のお好み焼き屋もある。
しかし東南海地震が来ると
間違いなく津波で埋没する海抜0m地帯であり、
淀川の堤防が決壊するのは想像に容易い。
仮に直下型が来れば神戸の二の舞は避けられない。
阪神淡路大震災の朝、
家族4人で暮らしていた
東灘区御影の5階建てのマンションのラセン階段をかけ登り、
屋上から見渡した神戸の町は炎で燃え盛っていた。
目の前の地獄絵図に、
もはや世界滅亡かと身体が凍りつき
ただただ立ち尽くすしかなかった。
それでもなんとか生き残り、
神戸のその地で約15年住み続けた。
此花の路地を歩くと生まれ育った西郷の酒蔵の路地を思い出す。
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