株式会社プランシードのブログ

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その127.わが町、此花(このはな)

2014-03-19 07:33:47 | 制作会社社長の憂い漫遊記
事情で生まれ育った神戸を6年前に離れ、
大阪市福島区に移り、
3年前から大阪市此花区に住んでいる。
娘が一緒だから各自一部屋を確保すると、
けっこうお気に入りの福島区には4LDKが見つからず、
此花に住むことになった。

若者の多い福島に比べ、家族住まいの此花は下町だ。
子供の声が町にこだまし、
自転車が無秩序に歩道を占拠している。
福島で住んでいた家族向けのマンションでは、
エレベーターで小学生に出会うと
「おはようございます」と朝の挨拶をする行儀のよさ。
正直ちょっと気持ちの悪いくらい
クソ丁寧な挨拶をしてくる子供が多かったが、
此花では地ベタに座り込んでガヤガヤしている子供が多い。

私の育った神戸市灘区西郷は灘五郷の一番西の町で、
「沢の鶴」や「忠勇」といった酒蔵の町で、
今住んでいる此花と同じく一度火事が起これば
消防車も入れない細い路地が入り組んでいた。
酒に関連した家内制手工業、
例えば杉の板を組んで酒樽を手作業で作ったり、
酒樽の周りを縛る竹の輪っか(箍=たが)を作ったり、
シゴイて酒樽に巻くコモを作る小さな作業場がいくつもあり、
作業場の区切りが路地を形成していた。

阪神淡路大震災で酒蔵の町は全滅した。
酒蔵の瓦屋根は白壁と共に崩壊し、西郷、御影郷、住吉郷にある
作り酒屋は今もって元の姿に戻ることはない。
板張りの酒蔵や作業場と、入り組む細い路地に代わり、
消防車が通れる広い道になり、
廃材が撤去された元作業場は更地になり
駐車場にしているが契約者もいない有り様だ。
板張りの町は、プレハブ建売の風情のない家に変わった。

今住んでいる此花の町並みも細い路地が入り組んでいる。
風呂のない家もあるようで、
夕方になると銭湯のある界隈は賑わっている。
もちろん銭湯も生活の一部としてちゃんと存在しており
風呂上がりの親父達を迎える立呑屋や、
ドアを取っ払ったバリアフリー?のお好み焼き屋もある。
しかし東南海地震が来ると
間違いなく津波で埋没する海抜0m地帯であり、
淀川の堤防が決壊するのは想像に容易い。
仮に直下型が来れば神戸の二の舞は避けられない。

阪神淡路大震災の朝、
家族4人で暮らしていた
東灘区御影の5階建てのマンションのラセン階段をかけ登り、
屋上から見渡した神戸の町は炎で燃え盛っていた。
目の前の地獄絵図に、
もはや世界滅亡かと身体が凍りつき
ただただ立ち尽くすしかなかった。
それでもなんとか生き残り、
神戸のその地で約15年住み続けた。
此花の路地を歩くと生まれ育った西郷の酒蔵の路地を思い出す。

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