株式会社プランシードのブログ

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その228.サンキューな、荒井さん&石丸くん

2015-05-18 06:03:36 | 制作会社社長の憂い漫遊記
全6話のショートアニメーションを現在作成しており、
その第1話が完成した。
なかなか見ごたえがあり、わかりやすい。
そもそもVPで育った私の信条は「わかりやすさ」。
その私がプロデュース・演出・脚本を担当したのだから、
「わかりやすい」は、まっ当たり前か・・・


スタジオ・マックスで音が作られる

私はかって日本道路公団製作で40頁ほどの漫画本の
脚本・演出を担当したこともあるし、
富士火災製作で事故再現シーンを声優を使って
数枚のイラストをカメラワークで紙芝居風にしたビデオを
脚本・演出したこともあるが、
今回のような全編アニメーションの
脚本・演出を担当したのは初めてだ。
そもそもドキュメンタリー系の巨匠と自認する私は、
現場での、突拍子もない仕掛け→
突撃インタビュー→時空を越えた編集→
闘争的なコメント作成→刺激的な音楽構成という、
監督の技量を遺憾なく発揮できる力仕事を
思いを込めてやってきた。
しかしアニメーション制作では私の仕事は
企画・脚本・絵コンテまでで、
編集はほぼアニメーター任せになる。
唯一の楽しみは、アニメーションには現場音はなく、
音は全て作るので、効果音と音楽の編成は
私に仕事感を与えてくれている。

ドキュメンタリーは撮ってきた映像と現場音(インタビュー含む)に
音楽を付けるので、全体としては引き算で構成する。
音楽を入れたかったら現場音やナレーションを
カットすることもあるし、場合によっては
映像を(インタビュー時の被写体の表情や声すら)
あえてカットすることもある。引き算が産み出す不協和音だ。
しかしアニメーションは映画制作と同じで、
何もないゼロから組み上げていく。
起こった事柄をつなぐのでなく、想像力で映像や音を作り上げていく。
結果は同じ3でも、1+1+1が映画の編集であり、
5一2がドキュメンタリーの編集だ。作業は真逆になる。
しかし足し算であっても、シーンをつなぐたけでは、流れは生まれない。
アニメーターの作るシーンとシーンの「間」、
台詞と台詞の「間」が絶妙でないと、流れが生まれないし、
効果音や音楽の転調もうまく決まらない。
この「間作り」こそが本来は監督の妙なのだが、
今回は初めて組むアニメーターということもあり
様子見で編集が上るのを指をくわえて待つしかない。
ストレスは第1話制作だけでピークに達しているが、
残り5話ある、この第1話は凌ぎ合いだ。
ということで2話以降は、
編集の「間」作りにまで参加させていただきます。
つまりアニメーターが作る「間」がいまいちなら
作り直すということになる。
「間」にまで介入するとこの作品の予算では成り立たないが、
第1話制作でアニメーターが私のやり方を
少しだけ理解していただけたということで、
予算は棚に置き「俺もよせて」とばかり、介入を決意した。
そもそも自分の存在を示そうとするのは、
愛が欲しいという裏打ちだ。
言い換えれば、存在は「間」であり、
「間」は愛がなければ作れない。

私は30年強、今の仕事を続けてきた。
若手スタッフから見ると単なるオッサンだ。
しかしノレンにあぐらをかいてたらあかん。
伝統とは常に新しい物(者)を取り込む
チャレンジをしてこそ作れるものだ。
頭でわからなきゃ体でおぼえるまで。
体力勝負で乗り切るしかない。
眠くてしんどくて死にそうになっても、
人にはやらなければならない時がある。
私は毎回そう思って力仕事をしてきた。
今回はアニメーターに荒井さん、
録音に石丸くんの二人の若手スタッフが関わってくれている。
もはや絶滅危惧種に指定されている「映像PR監督」に
最後までお付き合いください。
ということで先に御礼を言っておく。
「サンキューな、荒井さん&石丸くん」

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