株式会社プランシードのブログ

株式会社プランシードの社長と社員によるブログです。
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その39.失敗はいつも値千金

2012-08-20 07:15:16 | 制作会社社長の憂い漫遊記
2012年8月。
盆休み翌日から愛媛県西条に出張で
このブログも丸1週間あいてしまった。
また再開しますのでよろしく。


さて愛媛出張の間に、
15年振りに「入社案内ビデオ」制作の依頼が舞い込んできた。
いまや会社案内・入社案内の類は、HPが一般的になっており、
とりわけ「入社案内ビデオ」なんて、世の中から消失したと思っていた。
これから打合せなので、どんな形になるかまだ未定であるが、
もちろん私が構成・監督をするつもりである。


(私が映像館時代に監督した
 理系学生向け求人情報ビデオ「インタービデオマガジン」)

今から25年ほど前のバブリーな時代は、企業が学生を選ぶのではなく、
学生が自分の夢を叶えてくれる企業を選べる時代であった。
学生はいくつも内定を取り、企業は学生からの返事を待つ。
就職難の今では考えられない話だが、確かにそんな時があった。
そのため上場企業は、こぞって会社案内や入社案内を制作した。
「会社案内用」としてビデオとパンフレットを作り、
「入社案内用」は理系学生向けと文系学生向けに、
それぞれビデオとパンフレットを作っていた。


(「インタービデオマガジン」)

ちなみに会社案内と入社案内は異なる。
「会社案内」は会社の概要、経営理念、進む方向性を示す。
これに対し、「入社案内」は主に先輩の働く姿をドキュメントで撮り、
この会社で働くことで得られる働き甲斐や生き甲斐を示す。
第一段階で「会社案内」を見せて企業を知ってもらい、
第二段階で「入社案内」を見せて入社の気持ちを固めてもらう。
さらに第三段階では、会社訪問の際に、
「入社案内に出演した先輩社員」が社内を案内しながら
就職のアドバイスをするなど、マンツーマンで相手をし、
好印象の内に内定を取るという段取りが一般的だった。

今は企業がふるいを掛けて学生を選ぶのでそこまで致せり尽くせりはない。
一般的には、HPで会社案内をし、企業セミナーで学生を集めて説明をし、
書類審査で絞り込み、面接は2回以上してから、ようやく内定を出す。
したがって「会社案内」のパンフは作っても、
「入社案内」のパンフやビデオまで作る企業はメッキリ少なくなった。
今でも理系学生は、相変わらず教授との強いコネで
学生の意志に関係なく就職先が決まるが、
文系学生は今も昔も自力で就職先を探すしかない。
国公立大学生でも30~50社を企業訪問するのが普通といわれている。
買い手市場なので企業側はHPがあれば十分で、
お金のかかるビデオまで作る必要はない。

私は20年ほど前、入社案内のビデオ監督として一時期、飯を食っていた。
それほど、どの企業も人材を求めていた。
その私がフリー監督として初めて入社案内ビデオの依頼を受けたのは、
大阪の中堅鉄鋼商社で、営業職を求めていた。
バブリーな時代だったので国内ロケ1週間に加えて、
タイにも1週間ロケに行く大作。
当時は中堅企業でも会社案内や入社案内には、
それ位の費用はかけなければならない時代でもあった。

当時の入社案内ぽく、現場で生き生きと働く20歳代の若手社員を
ドキュメント的に取材するという企画が通り、発注がきていた。
商社というのは、口八丁手八丁の営業の世界だ。
学校出たての若者に海外で何億円もの取引きが出来る訳がない。
現実はパシリである。
それをやっているように撮ることはできても、
インタビューで働き甲斐や生き甲斐を語らすには無理があった。
会社の推薦で選ばれた若手社員とタイで会った時にはもう手遅れだった。
25年前は私も経験不足の若手監督である。
何を撮ればよいのか?何を聞き出せばよいのか?
私はタイに来てから途方にくれた。
1週間はあっという間に過ぎ、ロケは終了した。

当時はオフィス キネティックという事務所を持っていたので、
事務所にVHSのデッキを入れて粗編集を行なった。
粗編集とは、撮った素材にタイムコード(チャプター)を入れながら
VHSテープにコピーし、納得いくまで監督一人でVHS編集する。
そのタイムコードにしたがって、本編集で文字を入れたり、
様々なエフェクトをつけて完成させるのだが、
本編集は当時、時間単価3~5万円する編集スタジオで行なうので、
粗編集で予め固めておかないと、すぐに予算オーバーになる。
いわば粗編集は本編集のために必要不可欠な事前編集なのだ。


(当時は本編集では編集時の劣化が最も少ない1吋テープに原版を作成し、
VHSにコピーして配布していた)

今では様々な試行錯誤を行ない、
完成イメージが次第に固まっていく工程を実感できるので
粗編集作業が最も楽しいが、この時ほど孤独と感じたことはなかった。
撮影現場で途方にくれただけあって、
素材を何度見ても編集のイメージがわかない。
どこから手をつけていいのかもわからない。
冷や汗が滝のように出てきて、時間だけが無駄に過ぎていく。
当時お付き合いしていた彼女が私の異変に気づき、毎夜、
差し入れを持って事務所にやってくる。
日頃、自信満々の私の小刻みに震える姿に困惑しながらも
「今ある素材で少しだけでもつないでみて」と言われハタと気づいたが、
1週間経っても数分も編集できていなかったのだ。
ようやくの思いでつなぎ始めたが「素材がイマイチだ」と言っては手が止まり
「ナレーションにあう映像がない」と言っては落ち込んだ。
なんかの罰ゲームかと現実逃避もしたが、
彼女がそのたびに「うまくつながっているよ」と励ましてくれ、
ようやく粗編集を終えた。
おなごにはかなわん。私などより余程、度胸が座っている。
ちなみに私はこの後、彼女と結婚することになる。

しかし仕上がったモノを見直してみると、冷や汗がまた止まらない。
死にたくなった。スポンサー試写をトンズラしたかった。
今から思ってもこんなに落ち込んだことはない。一生分の冷や汗をかいた。
出来映えは、百点満点でどう見積もっても10点かそこらだったが、
スポンサーも営業マン(被写体)の人選ミスに気づいていたのと、
本編集でさらに短く刻み、編集でリズムをつけたことで、
私が思い詰めたほど悪い評価ではなく、何とか納品に漕ぎ着けた。
それでも私は立ち直れず、約1ヶ月仕事を休んだが、
その間、私は励ましてくれた彼女と呑んだり遊びにいったりして、
悪夢からの脱出に躍起になった。
つまりなかったことにして、記憶から抹消しようとしたのだ。
しかし、再度私を監督指名してきたのは同じプロデューサーだった。
奇しくもこの仕事で私が大打撃を受け、深く落込んだとは、
そのプロデューサーはついぞ知らなかった。そんなものである。

しかしその時に学んだのは、「どうあがいても撮った素材でしか編集できない」
ということだった。ならばあらゆることを想定して撮影しなければならないし、
編集の段階で「カットがない」などと悩んでも仕方ない。
ないものねだりはせず、あるもので料理する!と覚悟を決めることも学んだ。

あれから20年。
今でも当時の失敗を「若気の到り」とは笑い飛ばせないし、
思い出すだけで冷や汗がにじみ出るが、
もちろん今では当時のような落込みをすることもない。
経験を積み、多少のリスク回避を事前にできるようになったし、
失敗も含めて仕事を楽しめるようになった。
この失敗で失ったものはない。
むしろこの失敗があったからこそ、インタビューもできるようになったし、
取材モノを自分の十八番として取込めた。
失敗はいつの時代も次のステップへの良薬である。
この時の「冷や汗、一生分の失敗」もまた「値千金の失敗」だった。


さて今回の入社案内ビデオの依頼について、どんな仕掛けにするか、
どう仕上げるか、そのためにどんなスタッフを集めるかなどなど、
今からワクワクしている。
全てオーケー、なんでもオーケー。
オーケー、オーケー、OK牧場だ!


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