盆明け早々の17日から新山口で取材のため
山口県に向かうことになった。
車で460キロ。6時間の行軍だ。
カメラマンが仕事で遅れ新幹線入りのため一人で走る。
8月の西日本豪雨災害後に高知に取材に行った時は
高知道がやられて下道を7時間かけて入ったが、
同じ豪雨で岡山、広島、山口も甚大な被害を受けている。
中国道と山陽道は走れるが、
枝状に伸びる支線はいまだ通行止めの道もある。
朝10時。撮影機材を積み込み、阪神高速福島ICから
中国道池田を経由して、山陽道に入る。
目指すは小郡なので中国道でも山陽道でも行けるが、
カーブとトンネルが少ない山陽道をチョイスする。
昨日の大阪は台風と前線の影響で、スコールのような
激しい雨が断続的に降ったが、今日は一転、爽やかな晴れだ。
以前、新潟までの460キロを一人で走った時も
残り2時間が辛かった。
走ってはサービスエリアで一服を繰り返したものだ。
今回も恐らくはと思いつつも空腹には勝てない。
昼食は走り出して1時間半、
山陽道・三木サービスエリアで取ることにした。
このあとのサービスエリアラッシュを考慮してラーメンのみとした。
何故ならば私のストレス解消は食べることだからだ。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/32/f4/805a3a1b310c86bdcc3bc77acc893714.jpg)
三木サービスエリアを出て1時間半。
2回目休憩は岡山県の中央にある吉備サービスエリア。
桃太郎・きびだんごの地である。
ストレス解消方法が食べることだと一途に信じる私は、
アイスクリームをチョイス。
350円もしたのにまろやかさがない。
こいつはいただけなかった。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/17/12/51736a975d6e2519a4e2d8917cdb2786.jpg)
吉備サービスエリアを出て1時間半。
3回目の休憩は広島県竹原市にある小谷サービスエリア。
広島県に入ってすぐのサービスエリアだから
広島県通過にまだ時間はかかる。
何か旨いものはないかと探ったが、さすが広島、
牡蛎の串焼きにひかれた。
しばし焼き上がった串焼きとニラメッコしたが、
無料の熱いお茶2杯で我慢する。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/29/2e/6122fcb34caac454a1838deaa1c7fabe.jpg)
小谷サービスエリアを過ぎると先日の豪雨で南側の山が崩れて
山陽道下り線に土と樹木が押し寄せた痕跡が続く。
下り線にはまだ土が残っている。
山がV字型に削れて樹木をなぎ倒し、
土砂が押し寄せる様がイメージできるほどハッキリわかる。
ブルーシートもあちらこちらに張られている。
もう一度あの豪雨がくるとブルーシートごと流されるに違いない。
トンネルの壁面にも泥の跡がはっきりと付いている。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/5b/bd/f4a5a9920d75896134170e1155e4b6e7.jpg)
さらに走って1時間半。
4回目の休憩は山口県下松サービスエリア。
トイレのみ拝借。
新山口までは残り約60キロ。一気呵成に走る。
ロケをすると色んな方に出会う。
今回現場で最初に出迎えてくれたのは20年前に取材したK氏。
今回、K氏の取材ではない。今回の取材対象者はK氏の後輩だ。
K氏は、いち早く私たち一行を見つけて、出迎えてくれた。
当時のK氏はトップセールスで、その考え方や技法を取材した。
営業担当のK氏の日報には顧客ごとに見込度が記入されていたが、
顧客と会うだけで見込度は80%。会話したら85%。
カタログを渡して説明できたら90%だ。
30%とか50%なんて中途半端な数字は
日報のどこにも記入されていない。
どの顧客をみても80%以上しかない。
日報は自分の行動の記録であり決意だ、自分のためのものであり
上司への報告書ではないとK氏は言った。
会えればそれだけで見っけもん、それだけで見込度80%!と笑う。
極めてポジティブだが、
当時の私は営業たるものそうあるべきだと共感したものだ。
あれから20年、K氏を取材することはなかったが、
何だかだと連絡を取り合うなど親交は20年たった今でも続いている。
私の仕事(演出稼業)に多大なる影響を与えた出会いであった。
今回もまた様々な方と出会い、私は刺激を受けた。
今回の仕掛人N氏は、自分が動けば回りも動き出す。誰かがその風を見て、
皆さんが取材に来たのでしょ!?と笑う。
20年前のK氏がそこにいるようだった。
今回お会いしたN氏を仕掛人としたチームNの方々と
20年後にお会いすることはないが、
なんだか出会えそうな気になるのもK氏のお陰だと思う。
演出とは出会いで始まり、想いは引き継がれ、紡いでいくものだ。
私は約30年この稼業を続けてきて(お金持ちにはならなかったが)
演出稼業を貫けたことで様々な方々との出会いを得て、
そのたびに至福の時をいただいてきた。
ほんま、ええ稼業。ありがたいことです。
山口県に向かうことになった。
車で460キロ。6時間の行軍だ。
カメラマンが仕事で遅れ新幹線入りのため一人で走る。
8月の西日本豪雨災害後に高知に取材に行った時は
高知道がやられて下道を7時間かけて入ったが、
同じ豪雨で岡山、広島、山口も甚大な被害を受けている。
中国道と山陽道は走れるが、
枝状に伸びる支線はいまだ通行止めの道もある。
朝10時。撮影機材を積み込み、阪神高速福島ICから
中国道池田を経由して、山陽道に入る。
目指すは小郡なので中国道でも山陽道でも行けるが、
カーブとトンネルが少ない山陽道をチョイスする。
昨日の大阪は台風と前線の影響で、スコールのような
激しい雨が断続的に降ったが、今日は一転、爽やかな晴れだ。
以前、新潟までの460キロを一人で走った時も
残り2時間が辛かった。
走ってはサービスエリアで一服を繰り返したものだ。
今回も恐らくはと思いつつも空腹には勝てない。
昼食は走り出して1時間半、
山陽道・三木サービスエリアで取ることにした。
このあとのサービスエリアラッシュを考慮してラーメンのみとした。
何故ならば私のストレス解消は食べることだからだ。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/32/f4/805a3a1b310c86bdcc3bc77acc893714.jpg)
三木サービスエリアを出て1時間半。
2回目休憩は岡山県の中央にある吉備サービスエリア。
桃太郎・きびだんごの地である。
ストレス解消方法が食べることだと一途に信じる私は、
アイスクリームをチョイス。
350円もしたのにまろやかさがない。
こいつはいただけなかった。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/17/12/51736a975d6e2519a4e2d8917cdb2786.jpg)
吉備サービスエリアを出て1時間半。
3回目の休憩は広島県竹原市にある小谷サービスエリア。
広島県に入ってすぐのサービスエリアだから
広島県通過にまだ時間はかかる。
何か旨いものはないかと探ったが、さすが広島、
牡蛎の串焼きにひかれた。
しばし焼き上がった串焼きとニラメッコしたが、
無料の熱いお茶2杯で我慢する。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/29/2e/6122fcb34caac454a1838deaa1c7fabe.jpg)
小谷サービスエリアを過ぎると先日の豪雨で南側の山が崩れて
山陽道下り線に土と樹木が押し寄せた痕跡が続く。
下り線にはまだ土が残っている。
山がV字型に削れて樹木をなぎ倒し、
土砂が押し寄せる様がイメージできるほどハッキリわかる。
ブルーシートもあちらこちらに張られている。
もう一度あの豪雨がくるとブルーシートごと流されるに違いない。
トンネルの壁面にも泥の跡がはっきりと付いている。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/5b/bd/f4a5a9920d75896134170e1155e4b6e7.jpg)
さらに走って1時間半。
4回目の休憩は山口県下松サービスエリア。
トイレのみ拝借。
新山口までは残り約60キロ。一気呵成に走る。
ロケをすると色んな方に出会う。
今回現場で最初に出迎えてくれたのは20年前に取材したK氏。
今回、K氏の取材ではない。今回の取材対象者はK氏の後輩だ。
K氏は、いち早く私たち一行を見つけて、出迎えてくれた。
当時のK氏はトップセールスで、その考え方や技法を取材した。
営業担当のK氏の日報には顧客ごとに見込度が記入されていたが、
顧客と会うだけで見込度は80%。会話したら85%。
カタログを渡して説明できたら90%だ。
30%とか50%なんて中途半端な数字は
日報のどこにも記入されていない。
どの顧客をみても80%以上しかない。
日報は自分の行動の記録であり決意だ、自分のためのものであり
上司への報告書ではないとK氏は言った。
会えればそれだけで見っけもん、それだけで見込度80%!と笑う。
極めてポジティブだが、
当時の私は営業たるものそうあるべきだと共感したものだ。
あれから20年、K氏を取材することはなかったが、
何だかだと連絡を取り合うなど親交は20年たった今でも続いている。
私の仕事(演出稼業)に多大なる影響を与えた出会いであった。
今回もまた様々な方と出会い、私は刺激を受けた。
今回の仕掛人N氏は、自分が動けば回りも動き出す。誰かがその風を見て、
皆さんが取材に来たのでしょ!?と笑う。
20年前のK氏がそこにいるようだった。
今回お会いしたN氏を仕掛人としたチームNの方々と
20年後にお会いすることはないが、
なんだか出会えそうな気になるのもK氏のお陰だと思う。
演出とは出会いで始まり、想いは引き継がれ、紡いでいくものだ。
私は約30年この稼業を続けてきて(お金持ちにはならなかったが)
演出稼業を貫けたことで様々な方々との出会いを得て、
そのたびに至福の時をいただいてきた。
ほんま、ええ稼業。ありがたいことです。
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