それでも、
悲しみをココロの傍らに置きながらも、
生きる力を持たなくてはならないのだと、思ってしまうわけです。
妻の死で深遠な悲しみも学んだのだけど、命の在り方も学んだのです。
妻の身体は、その役割を終え、今残るのはお骨だけ。お墓の中にあります。
今もまだ、深く深く考えることもある。
「あいつは幸せのまま逝けたのだろうか?」
それだけが気がかりです。
そして自分が亡くなった方の立場だったら、残されたものに対して、どう考えるだろうか。
・・・・・・
やっぱり残されたものの幸せを願うだろう。
いつまでも悲しみにくれてないで、前を向いて幸せになって欲しいと願うだろう。
だけど
実際残される方としては、その悲しみを傍らに置いたまま前を向いていくのは、つらいことだったりする。
時間がかかるかもしれない。
どれだけ時間を費やしても乗り越えられないかもしれない。
それでも太陽はまた昇りくりかえす。
妻のことを忘れずにいることが、生きていくってことになるのかな・・・。
強いことを言ってみたり、悲しみに負けそうになったり。
ココロは忙しい。
ココロは強さも弱さも相反しない。
私には強さも弱さも存在している。
そして時々、涙が頬を冷たく伝う。