幸せの定義。
このテーマを取り上げるのは2度目なので、「其の弐」。
昨日の帰りの食事の席で話が出てきたので、ちょっと取り上げてみる。
人によって、この定義ってのは違うのだろうな。
一般的には、恋愛して、結婚して、子どもができて、子育てして、子どもの成長を見守り、いずれ子どもは親の元を離れて、子どもが結婚して、孫が生まれて、孫と遊んで、たまには夫婦で旅行なんて行ったりして、縁側でお茶でも飲んでみたりして・・・
てな感じなのかな?
「みんな幸せになれるといいね~」
と、昨日はお互いに話してた。
でも難しいんだろうな。
何をもって、幸せとするのか。
貧困飢餓に苦しんでいる国や人たちから見れば、私は幸せの方かもしれない。
けど、今の自分を幸せだと思うか?という質問には、答えられない。
答えないのではない。
答えられないのだ。
もはや懐かしい価値観。概念。心情。
私は「幸せだった」のだから。
だから、これからの自分の幸せを願うことなんて、あまり考えていない。
客観的な見方をすれば、あまり、現時点では恋愛や再婚は考えていないのだろう。
でも、先日の友人のとの会話で、
「子どもは欲しいでしょ?」
の質問には、
「欲しい」
と即答した。
愛する人との子ども。
もっとも、その愛する人は亡くなってしまったのだけど。
私はまた、誰かを好きになるのだろうか。
誰かを愛するのだろうか。
また私を理解してくれる人はいるだろうか。
愛=理解
出会いと別れを繰り返し、今に至る。
将来を見据え、今を疎かにしないという二面的思考が崩れている現状。
この現状をなんとかしなくては・・・な。
ん?今の私、少し前向きか?
そういえば、先月7月3日から、第二の人生をスタートさせたばかり。
7月3日は仕事復帰の日。
休職して、あれこれ充分過ぎるほど考えて、
京都へ行って、石庭を前に、天地とひとつになって、
妻の三回忌を終えて、結婚指輪を外して、
とりあえず、前を見つめてみた。
人生の仕切り直し。
とは言っても、欠けたものは、何をもっても埋められない。
心の大部分を失ったまま、生きていく。
それが私だ。
さあこれからどうしようか。
少し前向きになっている自分を静観するとしよう。
このテーマを取り上げるのは2度目なので、「其の弐」。
昨日の帰りの食事の席で話が出てきたので、ちょっと取り上げてみる。
人によって、この定義ってのは違うのだろうな。
一般的には、恋愛して、結婚して、子どもができて、子育てして、子どもの成長を見守り、いずれ子どもは親の元を離れて、子どもが結婚して、孫が生まれて、孫と遊んで、たまには夫婦で旅行なんて行ったりして、縁側でお茶でも飲んでみたりして・・・
てな感じなのかな?
「みんな幸せになれるといいね~」
と、昨日はお互いに話してた。
でも難しいんだろうな。
何をもって、幸せとするのか。
貧困飢餓に苦しんでいる国や人たちから見れば、私は幸せの方かもしれない。
けど、今の自分を幸せだと思うか?という質問には、答えられない。
答えないのではない。
答えられないのだ。
もはや懐かしい価値観。概念。心情。
私は「幸せだった」のだから。
だから、これからの自分の幸せを願うことなんて、あまり考えていない。
客観的な見方をすれば、あまり、現時点では恋愛や再婚は考えていないのだろう。
でも、先日の友人のとの会話で、
「子どもは欲しいでしょ?」
の質問には、
「欲しい」
と即答した。
愛する人との子ども。
もっとも、その愛する人は亡くなってしまったのだけど。
私はまた、誰かを好きになるのだろうか。
誰かを愛するのだろうか。
また私を理解してくれる人はいるだろうか。
愛=理解
出会いと別れを繰り返し、今に至る。
将来を見据え、今を疎かにしないという二面的思考が崩れている現状。
この現状をなんとかしなくては・・・な。
ん?今の私、少し前向きか?
そういえば、先月7月3日から、第二の人生をスタートさせたばかり。
7月3日は仕事復帰の日。
休職して、あれこれ充分過ぎるほど考えて、
京都へ行って、石庭を前に、天地とひとつになって、
妻の三回忌を終えて、結婚指輪を外して、
とりあえず、前を見つめてみた。
人生の仕切り直し。
とは言っても、欠けたものは、何をもっても埋められない。
心の大部分を失ったまま、生きていく。
それが私だ。
さあこれからどうしようか。
少し前向きになっている自分を静観するとしよう。