おひとりさまの時の私は、人生を折れ線グラフで表すなら、底辺を水平に歩いているような生き方でした。
「生きるってなんだろう。」
というようなことを常に考えて、答えのない問いにたまに長い時間をかけて考えてみたり。
結局、生きるというのが、どういうものなのかはわかっていない。
ただ、何事もなく過ごした日々の積み重ねが毎日であり、瞬間の連続が今ということなんだろう。
「生きることは死ぬことより辛い」
という言葉がテレビかどこかで出てきたけど、死んだこともないのに、どうしてそんなことがわかるの?
と、ひねくれた見方だってできる。
人は死を経験する時には、他の人にその経験は伝えられないし。
40年生きてて思うことは、
「仕方なく生きる」
という考えになったこともある。そういう時期もある。
何もしなくてもおなかは空くし、眠たくもなる。(うつになった時は眠れなかったけど)
何が楽しくて生きていたのかわからない時期、それが私にとってはおひとりさまの時。
自宅と会社の往復で、仕事では上司や顧客に理不尽に怒鳴られて、ストレスばっかり。(怒鳴れば問題が解決するのか?)
これが生きるということなら、投げ出したくなるのもわかる。
つまらないもの。
何が楽しくて、毎日会社に行くんだ。
生活する為に、仕方なく毎日会社に行ってたんだな。
このブログで書きましたが、昨年9月にプライベートと仕事とで転機があって、今は前向きに生きている。
プライベートでは人生のパートナーができて、仕事も手伝ってもらってる。
いつも遠かった存在が、今では近くにいる。
人を好きになるという好奇心は、人生を豊かにしてくれるんだな。
仕事ではサラリーマンを辞めて、新しいお仕事を始めて、毎日忙しい。
特に休みが決まっていなくて、ほぼ毎日仕事で、こないだの10連休もまったく関係ないけど、能動的にやる仕事なので、前向きだ。
人生の折り返しだとしたら、残りの人生は楽しくなるんじゃないだろうか。
ここまでの40年もいろいろあって、苦しい時間が長かったけど、「仕方なく生きる」から「生きるなら楽しく」に変わったんだろう。
最近よく笑うようになった。そしてよく涙があふれるようになった。
私は特別な人間ではないし、そこらへんにいる40歳男性だ。
別にカッコよくもないし、最近おなかが出てきている。(筋トレ再開しました)
ただ、最近は毎日が楽しい。
単純だけど、生きる上でそれが大事。
「生きるってなんだろう。」
というようなことを常に考えて、答えのない問いにたまに長い時間をかけて考えてみたり。
結局、生きるというのが、どういうものなのかはわかっていない。
ただ、何事もなく過ごした日々の積み重ねが毎日であり、瞬間の連続が今ということなんだろう。
「生きることは死ぬことより辛い」
という言葉がテレビかどこかで出てきたけど、死んだこともないのに、どうしてそんなことがわかるの?
と、ひねくれた見方だってできる。
人は死を経験する時には、他の人にその経験は伝えられないし。
40年生きてて思うことは、
「仕方なく生きる」
という考えになったこともある。そういう時期もある。
何もしなくてもおなかは空くし、眠たくもなる。(うつになった時は眠れなかったけど)
何が楽しくて生きていたのかわからない時期、それが私にとってはおひとりさまの時。
自宅と会社の往復で、仕事では上司や顧客に理不尽に怒鳴られて、ストレスばっかり。(怒鳴れば問題が解決するのか?)
これが生きるということなら、投げ出したくなるのもわかる。
つまらないもの。
何が楽しくて、毎日会社に行くんだ。
生活する為に、仕方なく毎日会社に行ってたんだな。
このブログで書きましたが、昨年9月にプライベートと仕事とで転機があって、今は前向きに生きている。
プライベートでは人生のパートナーができて、仕事も手伝ってもらってる。
いつも遠かった存在が、今では近くにいる。
人を好きになるという好奇心は、人生を豊かにしてくれるんだな。
仕事ではサラリーマンを辞めて、新しいお仕事を始めて、毎日忙しい。
特に休みが決まっていなくて、ほぼ毎日仕事で、こないだの10連休もまったく関係ないけど、能動的にやる仕事なので、前向きだ。
人生の折り返しだとしたら、残りの人生は楽しくなるんじゃないだろうか。
ここまでの40年もいろいろあって、苦しい時間が長かったけど、「仕方なく生きる」から「生きるなら楽しく」に変わったんだろう。
最近よく笑うようになった。そしてよく涙があふれるようになった。
私は特別な人間ではないし、そこらへんにいる40歳男性だ。
別にカッコよくもないし、最近おなかが出てきている。(筋トレ再開しました)
ただ、最近は毎日が楽しい。
単純だけど、生きる上でそれが大事。