ちょっと興味深い記事を見ました。
ある教員の方が新聞に投稿した・・
髪を染めたり、ピアスをすることが、なぜいけないことなのか。
それは、「あるべき生徒像」という教員の私的な趣味や好みを、
子供たちに押し付けているだけではないだろうか。・・・
と言う記事が、ネット上で炎上しているそうです。
喧々諤々・・どっちかと言うと批判的な意見が多いみたいですね。
教員「髪を染めたり、ピアスは自由にやるべき。禁止は子供たちに押し付けている」
⇒ネット上で大論争に!
では、今日のアシュタールからのメッセージをお伝えしますね
「こんにちは こうしてお話しできることに感謝します。
我慢をしていると、自分が何がしたいのかが分からなくなってきます。
好きなこと、得意なことがわかりません・・と思っていらっしゃる方は、
自分が何か我慢をしていないか?ちょっと考えてみてください。
そして、我慢することが当たり前になってしまうと、我慢していることすら
自覚できなくなってしまうのです。
当たり前のように我慢しているので、自分が何を我慢しているのかが分からなく
なってしまっています。
小さなころから、ルールを守りなさいと言われ、ルールを守ることが一番大切な
こととして認識してしまうのです。
ルールは、我慢です。
自分がしたい事を我慢して、人が決めたルールを守る。
それが常識だから・・と、自分を押さえつけ、やりたいことを我慢する。
そして、ここでちょっと我慢すれば、丸く収まるのだから・・と。無理やり自分を
納得させようとエネルギーを使いはたしてしまうのです。
ルールはいらないのです。
ルールがないと、みんな自分勝手なことをはじめるから、社会が成り立たない・・
などという考え方は、全く持ってナンセンスなんです。
みんなが同じルールに従って生きていれば、争いも起きず、不公平もない調和で満たされた
社会になるのでしょうか?
実際にルールがたくさんあるあなた達の社会はどうでしょうか?
争いが増え、そして取り締まるためのルールばかりがどんどん増え、ますます息苦しい
社会になっていっていませんか?
ルールがたくさんあっても、調和で満たされた社会にはならないのです。
ルール、常識などは、その時々によって変化するのです。
もっと言ってしまえば、力がある人、権力者が変われば、それも簡単に変わって
しまう・・ということです。
権力者の都合の良いように作られ、守りなさい・・とされるのがルールなのです。
でも、人の物を盗んだり、人を傷つけてはいけません・・っていうルールがなければ
社会は成り立たないですよね・・とよくご質問されますが、
それは、ルールがあるからしないのではなく、愛があればルールなどなくても、
人の物を盗んだり、人を傷つけたりはしないのです。
ルールがなくても、自分が満たされていれば、自分に自信があれば、自分に誇りを
持っていれば、あなた達が考えているような事にはならないのです。
そんなことをしようと考えるのは、自分が満たされていないからです。
そして、満たされない、自信がない、誇りを持てない・・その一番の原因は、
我慢しているからです。
ですから、あなた達の社会で考えられている悪事を取り締まるためにルールを
作る・・というのは、はっきり言って本末転倒なのです。
ルールをつくり、それに従いなさい・・といわれ、我慢するから悪事と言われる行動を
起こしたくなるのです。
我慢するから、欲求不満に陥り、エネルギーが枯渇し、エネルギーバンパイアになり
ある意味人に迷惑をかけるようになっていくのです。
愛(エネルギー)に満たされた人は、人から何かを奪おうとは思いません。
反対に、何かをしてあげたい・・と思えるのです。
提供することに喜びを感じられるのです。
話がそれてしまいましたが、人に合わせることを良しとしてしまうと、
自分が本当は何がしたいのかがわからなくなってしまいます。
自分がわからない・・と思われるのでしたら、我慢をすることを止めてください。
そして、自分が何を我慢しているのか?・・それを探してみてください。
ルール、常識、道徳、などに縛られていると、いつまでも我慢を手放すことが
出来ません。
大丈夫です。
あなた達は、ルールなどなくても平和な世界を創造出来るのです。
反対にルールなどないほうが、自由に調和で満たされた世界を創造出来るのです。
あなたに愛と感謝 そして平和の光を送ります」
ありがとう アシュタール!
私たちからもあなたに愛と感謝 そして平和の光を送ります。