《“やつは”メールマガジン(No.342)》( 2018年9月21日 号 )より
早いもので、日本に帰国してから5日目。
時差ぼけもほどほど、まだ眠い日々が続いています。
イスラエルはおとぎの国のような場所。
イエス・キリストやモーセといった、誰もが一度は耳にしたことのある伝説の人が、
ちょっと前まですぐそこに立っているような気分になります。
マグダラのマリアの故郷の村を訪れた時、少なからず彼女の意識を感じた気分になりました。
「あれ?イメージしていたマグダラのマリアとちょっと違うかも・・・」
もちろん、それは聖書や教会で伝えられている「娼婦のマリア」とは違うものですが、
一方でまた、ピュアでイエスだけしか知らない乙女というイメージとは違いもの。
自分の中で
「マグダラのマリアは娼婦ではなく、イエス・キリストの妻であり、理想的なパートナーであった」
と思っていましたが、それはそれであるものの、
彼女は性において、他の女性には持っていない、特殊な能力を持ったスペシャリストであることを感じました。
「イエスに限らず、彼女は他の男性も性を通して意識の覚醒に導いていたのでは・・・」
その男性の中には、十二使徒もいたのかもしれません。
いずれにしても、彼女は一般的な娼婦ではないものの、確かに性においては、何か叡智を秘めた
女性であったのを強く現地で感じました。
確かに、それは見方を変えれば娼婦として見えるのかもしれません。
でも、単なる娼婦ではなく、彼女は自らの肉体を通して、神と繋がる体験を人々に伝導していたように思えます。
そもそも、古代の娼婦とは一体どんな女性だったのか。
こうして、帰国してから色々調べてみると、太古の昔から娼婦という職業は存在しており、
一説では「世界最古の職業」とまで言われています。
ただ、昔の娼婦は今の売春婦のイメージとはかけ離れており、
神の住まう神殿に居て、そこで世の男性を神の世界へ導く役割を担っていたとあります。
今から5000年以上も前より存在していたシュメール文明などでも、この娼婦の役職はあり、
神殿娼婦という名で、神に仕える巫女のような立ち位置であったそうです。
エジプトのピラミッドもまた、男女の交わりの儀式をする神殿であったり、
昔になればなるほど、今とは性も娼婦の在り方も全然今とは違ったものであり、
神の世界と繋がる、もっとも効率的で神聖な存在であったようです。
だからこそ、その繋がりをきり、人々の意識の覚醒を制限し、
支配のコントロール下に置くために教会は、その象徴的な存在であったマグダラのマリアを
今の現代社会における娼婦のような立ち位置にし、また歪んだ性の社会を長年かけて構築したのでしょう。
もちろん、これらは憶測に過ぎず、真実はわかりませんが、
少なくとも、マグダラのマリアの故郷で感じた彼女の波動は、そういったエネルギーを教えてくれました。