日曜日の朝すぐに話が終わるのかと思ったが、結果は延々と続いた。
話の内容から、おそらく日常生活において相当ストレスが溜まっているのかもしれない。
16年以上前にフィリピーナと結婚した白人アメリカ人男性である私自身のことしか言えないが、オンライン上で出会い、彼女を知り、アメリカに移住させるための入国手続きを取るのに約4年を費やした。彼女が私に合っていると確信したのは、私が男性に何を求めているのかと尋ねたとき、彼女が簡潔に挙げてくれたことだ。
1)彼女を愛すること
2)彼女の面倒を見ること
3)彼女と小さな家庭を持つこと
何百人ものアメリカ人女性に話を聞き、グーグル検索にキーワードを入れすぎるようなもので、彼女たちの望みの一部すら満たす方法がないことを知った私は、他の国でも検索し始めた。
私の目が開かれたのは、フィリピン人を見始めたときだった。
そこで出会った女性たちは、(どの女性も)私が出会ったどのアメリカ人女性よりも素敵だった。
フィリピンで初めて会って以来、私は彼女、彼女の家族、彼女の文化的価値観に対する全くの尊敬と、彼女に対する底知れぬ深い愛しか感じたことがない。
私がフィリピンに来てから、数え切れないほど多くのフィリピン人に会った。
ここアメリカでも、膨大な数のフィリピン人が国中に散らばって暮らしている。
外国人がフィリピン人を愛するのは、彼らがほぼ申し分のない文化を持っているからだと思う。
カルチャーショック:
『フィリピン』という本を手に取ってみてください。
アメリカ人とフィリピン人の文化の違い、フィリピン人と友達になりたいなら知っておくべきこと、フィリピン人と結婚したいなら知っておくべきことがたくさん書いてある。
フィリピン人が持つ文化的価値観のひとつに、人前で批判(または拍手)されると非常に屈辱を感じ、最悪の場合相手を殺害しかねない。そして激情的な嫉妬が強く身の危険を感じることもある。
フィリピン人にそのようなことは絶対に思わせないことです。
他にもあるが、話したら永遠に終わりのないことになる。
重要なのは、彼らの文化は(大部分において)本質的に良いということだ。
家族が第一で、尊敬の念がとても大切だ(例えば、クヤ(長男)は親がいないとき、弟妹全員の面倒を見る責任があり、彼らはその責任をかなり重く受け止めている。
それに応じて、弟妹はここアメリカとは異なり、クヤを尊敬する)、尊敬は成文化されているので、特定の個人に対するその表示は規定され、それに従う。
年上の人の手を年下の人の額に当てる「マヌ・ポ」は、彼らが互いに感じている尊敬の念を美しく表現している。
(対フィリピン人に対してであり、外国人に対してはSirとは言っても、尊敬ではなく自己本位の態度が見られる)
彼らの文化がこのように発展したのには、まずスペインに植民地化された歴史(よく知られた発見者マゼランは、フェルディナンドとその軍隊がビサヤ地方に入ったとき、ラプラプという名の戦士に殺された)がある、 その後、1898年の米西戦争に勝利したアメリカによって(フィリピンは当時「戦利品」であると考えられていたが、入国したアメリカ人はフィリピン人を支配する前にフィリピン人と残酷な戦争をしなければならなかった、) その後、第二次世界大戦の初めに日本がアメリカからフィリピンを奪い、第二次世界大戦の終わりにアメリカが日本からフィリピンを奪還し、1948年頃にようやくアメリカがフィリピンを自由にすることに同意した、 憲法を制定し、アメリカの公立学校に似た学校を設立し、すべてのフィリピン人に英語を教え、フィリピン製のジプニーを誕生させた。
ジプニーは、第二次世界大戦中フィリピンのいたるところにあったジープを常用に改造した象徴的な「乗り合いタクシー」のような公共交通機関である。
フィリピンであることを最も簡単に認識できるジプニーは、政府の命令によって間もなく姿を消すことになる。
スペイン人はカトリックを持ち込んだ。そのため、カトリックの思想と教義はフィリピン人の精神に深く影響を及ぼしている。
その良い例が家族の人数だ。
フィリピンは今日でもかなり貧しい国であるにもかかわらず、ほとんどの場合、避妊具が自由に配給されることはなく、セックスは何時何時も色々な意味で「淫語」である。いかにもカトリック的だ。
しかし、それでも未婚の摘出子、未成年者の出産などで大家族ができ、それが貧困の継続につながっている。にもかかわらず、フィリピンは現在、東南アジアの新興国である。あらゆる指標が上昇傾向にあり経済は年々成長しているが、収入と生活のバランスがこれほど酷い新興国も東安アジアでは最悪であり、一部の富裕層を除き貧窮に喘ぐ国とも思える。
妻の故郷であるダバオ市は、ロドリゴ・ドゥテルテ元大統領の本拠地でもあり、アメリカとの結びつきが弱まったとはいえ、中国やロシアとのビジネス同盟を結びつつある、型破りだが愛すべき指導者である。
最後にもうひとつ、フィリピンの文化的価値観が強く道徳的であることの最も重要な一因と思われることを述べておこう。それは、スペインがフィリピンを征服したとき、スペインの「コンキスタドール(征服者)」が中央アメリカや南アメリカで行った植民地化のように、フィリピンに住んでいたさまざまな先住民族を絶滅させなかったという事実である。そして、当時そこに住んでいた多くの部族が現在も存在している。その数は100を超え、7,000以上の島々に点在している。
私が言いたいのは、植民地化したアメリカ(植民地化当時、北アメリカには何百万、何千万という先住民族が住んでいた)で起こったこととは異なり、先住民族はおおよそ排除されたのに対して、スペイン人はフィリピン人を奴隷として使ったとはいえ、植民地化した土地を先住民族から粛清することはなかったということだ。それが今日何を意味するかというと、それらの部族の子孫が今日でもフィリピンに住んでいるか、海外労働者(OSW)になっているということだ。つまり、フィリピンに住む、そして今日世界中で生活している民族には、実に多様性があるということだ。彼らはほとんど同じように見えるかもしれないが、元々は多くの部族の出身である。フィリピンの遺伝的多様性はすごいのだ!
その結果、フィリピン人は概して、非常に賢い人々であり、「独創的」という意味で賢い。彼らが他の文化ほどうまくいっていない(「第三世界」に分類される原因となっている)唯一の理由は、自分たちで統治することを学ぶまでの約400年間、彼らを支配し、彼らの労苦と国の鉱物を搾取してきた人々によって人為的に抑えつけられていたからである、 外からの影響によって、フェルディナンド・マルコスが独裁者として権力を握り、国を運営するために巨額の資金を借り入れ、その一部をマルコスは直接自分の銀行口座や友人の銀行口座に入れ、フィリピン国民全体が国外の銀行家や仲間に借金を負わされることになった。長い間、国民はハゲタカに吸い尽くされてきたのだ。
それでもなお、このような事態を経てなお、フィリピンに共通するもうひとつの文化的価値は、親しみやすさや幸福感とともに笑顔である。初めてフィリピンを訪れた人は、どんなことがあっても笑顔でいる多くの人々を見て、フィリピン人は地球上で最も友好的な人々だと信じて帰っていくだろう。そうかもしれない。
フィリピン人の長所は、その性格の強さと同じように、どんな外国人が通りかかったとしても、その人たちよりも愛すべき存在になりやすいということだ。私の妻は、これまで話してきたフィリピン人たちと同じだ。彼女は、私がこれまで出会った中で最も優しく、最も思いやりがあり、最も働き者で、最も愛すべき人だ。移民一世として、彼女はここアメリカでかなりうまくやっており、現在は臨床試験に携わる看護師として優秀な成績を収めている。彼女を際立たせている特徴のひとつは、その愛らしさだ。初めて看護婦になったときから、彼女が接する患者のほとんどが、彼女を家に連れて帰りたいと言う。美貌もさることながら、人懐っこく、明るく、働き者だからだ。彼女はとても愛らしく、私が言おうとして間違いなく問題になるようなことを(面白おかしく)人に言うことができる。
そんなわけで、私はこの数時間、なぜフィリピン人は愛すべき存在なのか、その理由を話した。
私が愛するフィリピン人の妻に抱いている尊敬と愛情を示すことができれば幸いである。
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