ペドロヒルとマラテ通りの交差点にあるマクドナルド。その隣に両替商「KARIM」があります。
この界隈の偽物売、偽バイアグラ等ブガウの集まる場所です。(ブガウ:買春斡旋、客引き始め路上の物売り)
この場所は、界隈の結構な情報が得れる場所です。
ここに集うブガウは、多くがミンダナオ島サンボアンガなどからの出身者が多く、日本人との接触も多く、そこそこ日本語が通じる場所です。
近年、ロレックスの偽物より偽バイアグラなどを多く販売し生計を立てている者がほとんどです。
今年に入って、COVID-19によるロックダウンが行われ、上お得意である外国人がほとんど見受けられなくなりました。
ブガウたちは今、困窮状態にあるようです。
人気のない街並みから空を見ているブガウ。外国人で稼いできた味が忘れられないのかも。
振り返ると、今から6年くらい前、全身刺青のおっさんが良くこの両替商の前に座っていた姿を見かけました。元々稼業の方で礼儀の正しい方。界隈では「おはようパパ」と親しまれていた方です。
山下財宝。フィリピンで一般的に語り継がれている伝説で、東南アジア(主にビルマ)の欧米諸国の植民地政府が貯蔵したまま放置した金塊を、これらの地を占領した日本軍が徴発、シンガポールからフィリピンで中継し日本本土に海上輸送しようとしたが、連合国軍の潜水艦や航空機による日本と東南アジア間の海上輸送路への攻撃が激しくなったために、フィリピン内に隠しておいて日本の敗戦の直後に引き上げようとしたところ、関係者が戦犯として連合国軍により処刑されたため、在処の情報が失われた」と語り継がれ、海外からも多くの金塊を追い求めています。この金塊を追ってマニラに住み着いた日本人がおはようパパでした。
知り合った当初、ロビンソンマンションに住み豪勢な暮らしをしていたのですが、全く金塊にありつけず、資金も底をつきサンアンドレス近くの木賃宿で暮らし始めていました。カラオケのおねーさんはじめ、近辺のブガウ、乞食に至るまで、恐らく知らない方はいないと言っても過言ではないほど有名な日本人でした。
この近辺で、日本の挨拶「おはようございます」を教えた第一人者と言えます。いつも笑顔で行きかう人へ「おはようございます」と声かけていた様子を思い出します。
関西弁で非常に愛嬌のある人で、山下財宝について熱い思いを良く語っていた方でした。
2018年の後半、突然、この場所から姿が見えなくなり、ブガウの頭に居場所を尋ねてみました。日本人スポンサーがつきマカティに転居した。ボコボ近辺にいるとの情報でした。何度か電話で話をしたのですが元気な様子でしたが、2019年後半、途端に電話が通じなくなり、連絡もつかなくなり、8月初めブガウの頭に電話で居場所を聞いてみました。
おっさんの居場所知らない。
・あいつは日本へ帰った。
連絡先はわからないの。
・あいつとは交友がなかったからわからない。
お前それはないだろう。毎日一緒に食事やらコーヒーと連れ添い、あれだけおっさんに様々な援助を受け日本人の客を紹介して頂き稼いでいたんだろう。
返事がない。
散々困っていた時に助けられた姿を見ているだけに、金の切れ目は縁の切れ目。この言葉はフィリピンが起源なのかな。
2019年の6月に一緒にコーヒーを飲み交わした時、「男のロマンをぶっ壊すようなことを言って申し訳ないですが、誰しもがそのような財宝はない。と言っていますよ」。と話した時、ニコッと笑い「やはりそうですね」。こんだけ金掛けて探して何一つ出てこない。くる話は全てガセ話。金の延べ棒があるといわれてミンダオまで出かけた際、出てきたのは金箔貼った文鎮。マニラに住む日本人のガセネタに引っ掻き回され、結果として乞食になりました。でも男のロマンだけは追い続けたい。と話していた。
あのキラキラと輝いた眼。ロマンだけで追い続けていたのかも。
不法滞在をしてまでも追い続けた「山下財宝」。又、ロマンを追い続ける人が一人消えていった。
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