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NAIAサンミゲルが運営権獲得

2024-02-17 | フィリピン

マニラ国際空港1948 年に平家建ての施設(現在の国内線ターミナル 4)が建設され、マニラ空港の最初のオリジナルの構造で、

最古にして最小のターミナルです。現在のターミナル1は 1982 年にオープンした建物で 2 番目に古いターミナルです。

1954 年に、空港のより長い国際滑走路と関連誘導路が建設され、1956 年に管制塔と国際線ターミナルビルの建設が開始されました。

新しいターミナルは、ターミナル 2 の敷地内に建設されました。1961 年 9 月 22 日に開設され、1972 年 1 月 22 日、火災により

ターミナルに大きな損害が発生し、6 名の死傷者が出ました。

翌年にはもう少し小さなターミナルが建設されました。

この第 2 ターミナルは 1981 年まで、この国の国際線ターミナルとして機能し、より収容力の高い新しいターミナルである

第 1 ターミナルが完成し1982年にオープンした後、国内線ターミナルに転換されました。

1985 年 5 月に別の火災が発生し、古い国際線ターミナルが損傷しました。

1983 年 8 月 21 日、政治家のベニグノ "ニノイ" アキノ ジュニアは、米国亡命先からフィリピンに帰国後、

ターミナルのゲート 8 (現在のゲート 11) で暗殺されました。

航空保安軍(AVSECOM)職員はアキノ氏を飛行機から護送車へ移送中、銃撃が起こり暗殺されました。

暗殺者とされるロランド・ガルマンはその場で殺害されました。

事件から4年後、ニノイの未亡人コラソン・アキノ大統領時代の1987年に行政当局の承認なしに共和国法第6639号が制定され、

ニノイに敬意を表して空港の名前が変更されました。

現在、アキノ暗殺のボディマークが出発エリアに展示されており、ゲート8の殺害された場所には追悼の銘板が設置されています。

この出来事により、ターミナル1には「ニノイ・アキノ・ターミナル」という愛称が付けられNAIAニノイアキノ国際空港と名称が変わりました。

第1ターミナルが完成後42年目、サンミゲル・コーポレーション(SMC)が率いるコンソーシアム(共同事業体)は、

韓国の仁川空港の運営会社と共同で、ニノイ・アキノ国際空港(NAIA)の改修と運営のための15年間の権利を獲得しました。

SMC SAP & Co. 共同事業体は昨日、NAIAの改修工事の落札通知を受理したのですが、入札期間が6ヶ月未満という

政府資産の民営化プロセスとしては史上最短の部類に入る入札でした。

この落札により、同グループは運輸省(DOTr)から付与された15年間の利権に従って2039年まで空港を管理することになります。

結果次第では、さらに10年間の利権が延長される事になります。

ひょっとしたら、新たな管理が始まって業績が伸びた頃、空港名が変わる可能性もありそうです。

 

SMCグループ

1890年にマンダルーヨンサンミゲル地区に醸造所を建て、中核となるビール事業、サンミゲル・ブリュワリーを設立したのが始まりです。

創業者はスペイン人のドン・エンリケです。

当時スペインの植民地であったフィリピンでドイツ人の技術者を雇い入れ、ビールの醸造許可をスペイン王から得て、経営をスタートさせました。

また、設立当初から経営にスペイン系財閥のアヤラ・グループが関与しており、アヤラの係累であるソリアノ・ファミリーによって運営されています。

1970年代、サン・ミゲル(SMC)グループがビール事業やハードリカー、食品事業などでフィリピンを代表する企業として成長していくと、

当時のマルコス政権に近かったエデュアルド・コファンコ氏率いる中華系のコファンコ・ファミリーが徐々に経営に参画し始めます。

そして、1983年にはSMCグループを乗っ取る形で経営権を掌握。

しかし、1986年の民衆革命でマルコス政権が崩壊するとコファンコ氏も失脚しました。

コファンコ氏はその後、1992年の大統領選に出馬し、敗れましたが、その際に副大統領候補だったジョセフ・エストラダ氏が

1998年に大統領に就くと、SMCグループの会長に復帰しました。

 

2012年、サン・ミゲル(SMC)グループは旧国営のフィリピン航空に49%を出資。

同年、コファンコ氏から株式の一部が盟友である右腕のラモン・アン氏に譲渡され、アン氏は社長に就任します。

フィリピンで「国家戦略を1人で実行する男」と呼ばれるアン氏の剛腕により、2018年12月期にはフィリピン企業として

初めて売上高が1兆ペソ(約2兆1千億円)の大台を突破しました。アン社長は2020年にコファンコ氏が死去して以降も

経営の実権を握っていますが、株式の半分以上を保有するアヤラ・グループのオーナーシップは未だ強く、資本面はアヤラ一族の投資会社、

経営実務面ではアン社長というような棲み分けができています。

 

 

 

 

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