イスラエルとハマス間の争いは、話し合って
解決することは難しいようです。考え方や生活
の基盤が根本から異なっているのでしょうね。
これも宗教の力のせいなのでしょう。(:_;)
日本では、二回の宗教改革があったと思って
います。
一回目は、奈良から京都への遷都が切っ掛け
になったそうで、宗教(仏教)が、あまりにも
まつりごとに関わりすぎたせいだと思います。
これにて政教分離が行われた、と中学校で習い
ました。
二回目は、信長の比叡山の焼き打ちだと思い
ます。その頃の京都は僧兵が割拠し、乱暴狼藉
を働いていました。しかも、寺の境内は幕府の
力が及ばず、治外法権になっていたそうです。
僧は境内に家族とともに生活をしていたとか。
牛若丸が弁慶(僧兵)と出会った五条大橋の
上では、弁慶が背には武器を入れた籠を担ぎ、
手には薙刀を持って通行人から金品を強奪して
いたようです。それを牛若丸が懲らしめたのが
あの話の根本です。
悪事を働くのはなにも弁慶のみではなくて、
多くの僧兵が京都市内の治安を悪化させていた
のでしょう。
このような背景があったので信長が延暦寺を
攻めたものと思います。こういった状況が京都
や国内でもしばらく続いたようで、石山本願寺
や一向一揆など、騒動が続いたのでしょう。
これらが沈静化したことにより、”生教分離”
がなされた、と思っています。生活と教義とが
分離したのです。今の多くの仏教は精神的支え
のみとなっています。更に日本では禅宗の影響
が大きいものと思っています。茶の湯なんかも
そうだし・・・
今、中東ではイスラエルとハマスとの戦争、
あるいは、東南アジアでもイスラムと上座仏教
(小乗仏教)との間でも争いが起こっています
が、これらの地域で宗教を精神的な支えのみに
なる、いわば”生教分離”が行えると良いのです
がねぇ。
なお、仏教が中国に伝来した頃、僧が専門職
となり、多くの人を(仏教という)船に載せ、
僧はその船頭の役割なのだそうです。大乗仏教
とは「大いなる乗物」に民衆を載せて救済する
仏教の意味だとか。
上座仏教では、だれもが一度仏門に入り修行
解決することは難しいようです。考え方や生活
の基盤が根本から異なっているのでしょうね。
これも宗教の力のせいなのでしょう。(:_;)
日本では、二回の宗教改革があったと思って
います。
一回目は、奈良から京都への遷都が切っ掛け
になったそうで、宗教(仏教)が、あまりにも
まつりごとに関わりすぎたせいだと思います。
これにて政教分離が行われた、と中学校で習い
ました。
二回目は、信長の比叡山の焼き打ちだと思い
ます。その頃の京都は僧兵が割拠し、乱暴狼藉
を働いていました。しかも、寺の境内は幕府の
力が及ばず、治外法権になっていたそうです。
僧は境内に家族とともに生活をしていたとか。
牛若丸が弁慶(僧兵)と出会った五条大橋の
上では、弁慶が背には武器を入れた籠を担ぎ、
手には薙刀を持って通行人から金品を強奪して
いたようです。それを牛若丸が懲らしめたのが
あの話の根本です。
悪事を働くのはなにも弁慶のみではなくて、
多くの僧兵が京都市内の治安を悪化させていた
のでしょう。
このような背景があったので信長が延暦寺を
攻めたものと思います。こういった状況が京都
や国内でもしばらく続いたようで、石山本願寺
や一向一揆など、騒動が続いたのでしょう。
これらが沈静化したことにより、”生教分離”
がなされた、と思っています。生活と教義とが
分離したのです。今の多くの仏教は精神的支え
のみとなっています。更に日本では禅宗の影響
が大きいものと思っています。茶の湯なんかも
そうだし・・・
今、中東ではイスラエルとハマスとの戦争、
あるいは、東南アジアでもイスラムと上座仏教
(小乗仏教)との間でも争いが起こっています
が、これらの地域で宗教を精神的な支えのみに
なる、いわば”生教分離”が行えると良いのです
がねぇ。
なお、仏教が中国に伝来した頃、僧が専門職
となり、多くの人を(仏教という)船に載せ、
僧はその船頭の役割なのだそうです。大乗仏教
とは「大いなる乗物」に民衆を載せて救済する
仏教の意味だとか。
上座仏教では、だれもが一度仏門に入り修行
するそうです。つまり日本のように生活と宗教
がなされていないわけです。
prairie@mbh.nifty.com