大泉の仲間たち

大泉高校15期生の交流/親睦のためのブログです。

17世紀の計画都市

2024-10-14 09:30:00 | 日記
 江戸は徳川家康が計画して作りました。それ
以前は太田道灌が居城を構えましたが、どちら
かと言うと、入り江に面した寒村だったものと
思われます。
 下町は埋立地なので、井戸を掘っても地下水
が得られないので、神田上水や玉川上水なども
整備されました。大規模な工事です。
 利根川の流れも替えましたね。江戸の市内に
流れ込んでいたのを、霞ヶ浦近くの銚子の方に
替えたのも家康です。
 山の手の西側は、関東ローム層なので水の便
があまり良くなくて農地には適していなかった
ようです。練馬辺りでは馬を放牧していたので
練馬となったのでしょう。千川上水のおかげで
野菜の栽培(練馬大根)が可能になったので、
江戸に暮らす人々の食料供給地になったものと
思われます。東の小松辺りで栽培雨されていた
のが小松菜と呼ばれています。市内各地の長屋
で集められた糞尿は、これらは野菜を栽培して
いる地域に運ばれて、肥料として使われたそう
です。水運が大事だったのでしょうね。長屋で
集めた糞尿は、農家に販売されましたが、その
売上げ金は長屋の大家さんの収入になったそう
です。

 あ、佃島に上方(大阪)佃から漁師を集めた
そうです。江戸湾で穫れた小魚(シロウオか)
を将軍に献じていたそうです(落語話仕入れた
話題)。当時から江戸湾(東京湾)は魚介類が
豊富ですからね。

 今から 300年ほど前からの大整備で、現在の
東京が出来上がったのです。

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