シリーズ平成の「変」-日銀総裁・副総裁候補、ベスト・セレクションの場合
3月19日に任期満了となる福井日銀総裁の後任人事について、国会の承認を必要とすることから、政府与党は、7日になって武藤副総裁(旧大蔵・財務省出身)の総裁昇格と2人の副総裁候補を野党側にも提示し、国会での承認を求めた。政府与党は、「ベスト」の人選とし、日銀総裁が空席になれば内外への影響は大きいなどとして承認を訴えている。
焦点は武藤副総裁の総裁昇格であるが、同人の旧大蔵、財務省での経歴や副総裁を務めてきたことから、有力な候補の一人である。だが日銀総裁となると、金融調整において国民経済に大きな影響を与えると共に、金融の倫理、コンプライアンスの面で模範となる存在でなければ日本金融への信用は維持できない。
同人は、経歴だけを見れば遜色のない候補であり、多くの人が納得するところであろう。しかし、同人は、1997年、98年に表面化した大蔵省職員と金融、投資機関との不適正な関係、過剰接待問題(通称「大蔵スキャンダル」)に際し、職員倫理の責任者である官房長の職にあり、監督責任等で懲戒処分を受け、官房総務審議官に更迭されている。「大蔵スキャンダル」は、これ以前にも、94年、95年に主計局幹部による不適正な利殖行為や過剰接待問題があり、この時期にも同人は主計局幹部の一人であり、綱紀粛正の重要性については十分に承知していたはずだ。
懲戒処分を受けた者を、少し時間が経つと次官にし、横滑りで日銀副総裁にし、そして日銀総裁にするのはどうなのであろう。懲戒処分を受けた者、ましてや実質的に2度以上処分を受けた者を再度公的な要職に就ければ、責任を取らなくても良い集団になって行く。このようなことを繰り返していて、本当に行政の綱紀粛正が保たれ、日銀が内部倫理を維持し、金融界におけるコンプライアンス(法令順守)を保てるのだろうか。本気に公務員・準公務員の綱紀粛正を行うのであれは、これで「ベスト」は「変」であろう。特定個人についてでは決してなく、制度としての問題である。
更に、「大蔵スキャンダル」を契機に、金融(監督)庁が旧大蔵省から独立し、金融、財政の分離を図っている。旧大蔵省が予算を担当する主計局を死守し、金融の監督部門出したもので、本来であれば、国民経済により直結する予算担当部門を切り離し、内閣に置くべきであったのであろう。是非は別として、折角金融、財政の分離を分離したのに、財務省事務次官経験者を日銀副総裁にし、総裁にするのでは、分離した意味が相殺されることになり、改革はなし崩し的に後退することになる。金融と財政は相互に調整されるべきであろう。しかし、同時に、相互のチェック・アンド・バランスを確保して置かないと、政策が偏向し、調整機能が働らかなくなる恐れが強い。それでは反改革の「変」でしょう。
副総裁候補についても、東大卒の日銀生え抜きと大蔵省副財務官も努めたことがある東大教授であり、個々の資質について云々する積もりはないが、総裁、2副総裁の3名を東大、官学で固めてしまうのも、財務省偏重、官学偏重となり、日本の金融を任せられるベスト・セレクションと言えるのだろうか。
人材の不足か発想の貧困か。「変」ではある。
特定個人を云々するものでは決してない。共鳴を覚えるところも多々あるが、今後の制度設計の問題であり、全体としての綱紀の維持の問題である。
客観的に見て、総裁任期が切れる12日前に、その上野党が反対し、参議院の承認が難しいことを承知の上で候補を提案し、承認されなければ、景気が後退しているこの時期に混乱を招き、野党の責任だというのも公正さに欠ける。日銀法で、総裁等の人事は、衆参両院の承認が必要と明記されており、先刻承知のはずだ。それを今出してくるのは失態とも言える。景気回復が後退しているのも、改革後退から生じる混乱や外資の日本売りの色彩が強く、また、担当閣僚が「日本経済は一流国ではない」との誤解を生む発言をするなど、政府与党により責任がある。責任の転嫁も「変」。
90年代はバブル経済崩壊で「失われた10年」と言われているが、最近の動きを見ると「忘れ掛けた10年」に引き戻されて行くような錯覚に陥る。日銀総裁等は、「再任」が可能であり、次の人事が決まるまで再任し、改めて参議院も同意するベスト・セレクションを選ぶことも可能である。新総裁は、再任された総裁の任期(5年)の残りの期間を務める旨規定されている。こうなったら早く衆議院を解散し、総選挙で民意を聞いた方がいいのかもしれない。 (Copy Right Reserved)
3月19日に任期満了となる福井日銀総裁の後任人事について、国会の承認を必要とすることから、政府与党は、7日になって武藤副総裁(旧大蔵・財務省出身)の総裁昇格と2人の副総裁候補を野党側にも提示し、国会での承認を求めた。政府与党は、「ベスト」の人選とし、日銀総裁が空席になれば内外への影響は大きいなどとして承認を訴えている。
焦点は武藤副総裁の総裁昇格であるが、同人の旧大蔵、財務省での経歴や副総裁を務めてきたことから、有力な候補の一人である。だが日銀総裁となると、金融調整において国民経済に大きな影響を与えると共に、金融の倫理、コンプライアンスの面で模範となる存在でなければ日本金融への信用は維持できない。
同人は、経歴だけを見れば遜色のない候補であり、多くの人が納得するところであろう。しかし、同人は、1997年、98年に表面化した大蔵省職員と金融、投資機関との不適正な関係、過剰接待問題(通称「大蔵スキャンダル」)に際し、職員倫理の責任者である官房長の職にあり、監督責任等で懲戒処分を受け、官房総務審議官に更迭されている。「大蔵スキャンダル」は、これ以前にも、94年、95年に主計局幹部による不適正な利殖行為や過剰接待問題があり、この時期にも同人は主計局幹部の一人であり、綱紀粛正の重要性については十分に承知していたはずだ。
懲戒処分を受けた者を、少し時間が経つと次官にし、横滑りで日銀副総裁にし、そして日銀総裁にするのはどうなのであろう。懲戒処分を受けた者、ましてや実質的に2度以上処分を受けた者を再度公的な要職に就ければ、責任を取らなくても良い集団になって行く。このようなことを繰り返していて、本当に行政の綱紀粛正が保たれ、日銀が内部倫理を維持し、金融界におけるコンプライアンス(法令順守)を保てるのだろうか。本気に公務員・準公務員の綱紀粛正を行うのであれは、これで「ベスト」は「変」であろう。特定個人についてでは決してなく、制度としての問題である。
更に、「大蔵スキャンダル」を契機に、金融(監督)庁が旧大蔵省から独立し、金融、財政の分離を図っている。旧大蔵省が予算を担当する主計局を死守し、金融の監督部門出したもので、本来であれば、国民経済により直結する予算担当部門を切り離し、内閣に置くべきであったのであろう。是非は別として、折角金融、財政の分離を分離したのに、財務省事務次官経験者を日銀副総裁にし、総裁にするのでは、分離した意味が相殺されることになり、改革はなし崩し的に後退することになる。金融と財政は相互に調整されるべきであろう。しかし、同時に、相互のチェック・アンド・バランスを確保して置かないと、政策が偏向し、調整機能が働らかなくなる恐れが強い。それでは反改革の「変」でしょう。
副総裁候補についても、東大卒の日銀生え抜きと大蔵省副財務官も努めたことがある東大教授であり、個々の資質について云々する積もりはないが、総裁、2副総裁の3名を東大、官学で固めてしまうのも、財務省偏重、官学偏重となり、日本の金融を任せられるベスト・セレクションと言えるのだろうか。
人材の不足か発想の貧困か。「変」ではある。
特定個人を云々するものでは決してない。共鳴を覚えるところも多々あるが、今後の制度設計の問題であり、全体としての綱紀の維持の問題である。
客観的に見て、総裁任期が切れる12日前に、その上野党が反対し、参議院の承認が難しいことを承知の上で候補を提案し、承認されなければ、景気が後退しているこの時期に混乱を招き、野党の責任だというのも公正さに欠ける。日銀法で、総裁等の人事は、衆参両院の承認が必要と明記されており、先刻承知のはずだ。それを今出してくるのは失態とも言える。景気回復が後退しているのも、改革後退から生じる混乱や外資の日本売りの色彩が強く、また、担当閣僚が「日本経済は一流国ではない」との誤解を生む発言をするなど、政府与党により責任がある。責任の転嫁も「変」。
90年代はバブル経済崩壊で「失われた10年」と言われているが、最近の動きを見ると「忘れ掛けた10年」に引き戻されて行くような錯覚に陥る。日銀総裁等は、「再任」が可能であり、次の人事が決まるまで再任し、改めて参議院も同意するベスト・セレクションを選ぶことも可能である。新総裁は、再任された総裁の任期(5年)の残りの期間を務める旨規定されている。こうなったら早く衆議院を解散し、総選挙で民意を聞いた方がいいのかもしれない。 (Copy Right Reserved)