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シリーズ平成の「変」-介護保険料も年金から天引き、国民“酷祉政策”の「変」-

2008-08-02 | Weblog
シリーズ平成の「変」-介護保険料も年金から天引き、国民“酷祉政策”の「変」-
 後期高齢者保険料が年金から天引きされ、福祉後退として大きな注目を浴びた。しかし年金から天引きされ、年金支給額の実質的な減額、或いは健康保険料の実質的な引き上げとなっているのはこれだけではない。
 2000年4月から導入された介護保険料は、批判をかわすため、導入時は保険料を凍結し、6ヶ月後の同年10月から半額徴収であったが、01年10月からは全額徴収になっている。介護保険料は、健康保険料とは別だてで、40歳から64歳までは個別支払いであるが、年金受給年齢となる65歳からは年金から天引きされるようだ。無論、扶養家族である配偶者の分も一緒に天引きされる。年金給付額が抑えられる一方、介護保険料が配偶者の分を含めて天引きされると生活は苦しい。実質的な健康保険料の引き上げであると同時に、年金支給額の減額となる。
「変」である。これでは社会「福祉」ではなく、国民“酷祉政策”だ。介護サービスを行うこと自体は良いが、そのために保険料を新たに徴収し、年金から減額するのでは介護ビジネスに近い。政府予算には、各種の「特別会計」を含め、行政の無駄や浪費など、肥大化した“行政メタボ”があり、それを削減する形で福祉を向上するべきである。“行政メタボ”を温存し、新たに国民、特に年金受給者に負担を求めるのは福祉ではなく、“酷祉”である。
厚生労働省関係予算にも“行政メタボ”はあるはずだ。例えば、90年代に莫大な箱物事業を行った雇用保険(旧失業保険)なども、60年代、70年代の失業者数からすれば減少しており、失業保険料率についても精査の必要がある。また労働省と厚生省は統合されたので、ハローワーク(職安)と社会保険事務所との統廃合を含め、組織的な整理。再編を進めるべきであり、そのような“行政メタボ”の削減の中で福祉の向上を図るべきである。
更に極めつけは、舛添厚生労働大臣が、7月27日、「介護報酬」について「年末までに現場で働く人の待遇を良くする。そのために介護保険料の引き上げが必要」と述べたと伝えられている。それなら誰でも出来る。誰のお金だと思っているのであろうか。
ところで市区町村は、「特定健康診査」として「無料受診券」を提供している場合がある。この制度は08年4月より、メタボリックなどの成人病予防のため、40から74歳の保健加入者を対象として全国の市町村で導入されたものである(06年健康保険法改正)。国民健康保険の場合、企業、組織による検診制度がないので良いことのように思えるが、健康管理は基本的には「自己管理」「自己責任」の問題であり、全額を市区町村が負担すべきことでもない。医療費不足の時代でもあり、3分の1助成で十分であろう。それを全国で実施すれば、医療予算を圧迫するし、人手不足にもなる。「変」である。一方で医療費不足と言いながらこのような「無料受診券」をばら撒いて、仕事を増やしているようにも見える。
「特定健康診査」の「無料受診券」については、潜在的にプライバシーが侵害される恐れが強いことも指摘されている。市区町村の指定する医療機関で受診することになっているが、各受信者個人名の受診結果の詳細なデータを含め、市区町村に写しが自動的に送付されることになっている。ある区の成人保健係によると、上司と協議した結果として「検診は、区が各医療機関と計画し、検診料を支払っているので結果を知るのは当然」との答えが返って来たという。その予算は国民のお金ではないのか。更に医療機関への支払いのためであれば、検査項目だけで十分ではないか、そのデータを何に使用するのかとの問いに対しては、「医療指導のための統計や区民指導などのため」とのことだったそうだ。その上で「国民健康保険」以外であれば「出来るだけ無料券は使わないで欲しい」とのことだったらしい。国保でなくても健保加入者であれば対象のはずだ。医療機関への支払いのためであれば、医療機関よりの検査項目の報告だけで十分であり、統計であれば医療機関より報告させれば十分であろう。また「医療指導」する必要があれば検査を行った医療機関が行うことが適当であり、区や国が介入することでもなさそうだ。そもそも誰のための「検診」なのだろう。
 最も問題なのは、不特定多数の個人名が入った詳細な検診結果を医療機関以外が保管、管理していることだ。人事異動などを勘案すると多数の職員が個人の身体的特徴や健康状態等に関するデータを閲覧できることになり、情報管理を厳重にするという以前に、プライバシー保護の上で適切でないし、必要ではない。政治家や有名人の検診結果データが漏れれば影響が大きい場合もあろう。
 一方、国民健康保険にしても国民年金にしても、不払い者がかなりの比率になっていることが、行政の不手際と浪費、無駄遣いと共に医療事業を圧迫しているという側面もある。「福祉」である以上、支払いが出来ない無収入者や困窮者から支払いを強要出来ないし、すべきでもない。行政は、徴収には厳しいが、厳しすぎると恐怖政治に陥る恐れがある。しかし所得がありながら、3年から5年以上の長期に亘り支払わない“福祉フリーライダー”や“不払いモンスター”の問題もある。このような人達を放置し、或いは福祉サービスの対象とすれば、一般国民の負担は重くなるばかりでなく、支払うだけ損をするというモラルハザードとなる。
 もっとも不払い者の中には、行政の不正や不祥事への反発の側面もあるので、まず行政が襟を正し、不正や不祥事はもとより、浪費や無駄を目に見える形でなくすことが先決だろう。不祥事や浪費などを繰り返し、徴収のみを強化しようとしても説得力に欠ける。(08.07.) (Copy Right Reserved.)
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シリーズ平成の「変」-介護保険料も年金から天引き、国民“酷祉政策”の「変」-

2008-08-02 | Weblog
シリーズ平成の「変」-介護保険料も年金から天引き、国民“酷祉政策”の「変」-
 後期高齢者保険料が年金から天引きされ、福祉後退として大きな注目を浴びた。しかし年金から天引きされ、年金支給額の実質的な減額、或いは健康保険料の実質的な引き上げとなっているのはこれだけではない。
 2000年4月から導入された介護保険料は、批判をかわすため、導入時は保険料を凍結し、6ヶ月後の同年10月から半額徴収であったが、01年10月からは全額徴収になっている。介護保険料は、健康保険料とは別だてで、40歳から64歳までは個別支払いであるが、年金受給年齢となる65歳からは年金から天引きされるようだ。無論、扶養家族である配偶者の分も一緒に天引きされる。年金給付額が抑えられる一方、介護保険料が配偶者の分を含めて天引きされると生活は苦しい。実質的な健康保険料の引き上げであると同時に、年金支給額の減額となる。
「変」である。これでは社会「福祉」ではなく、国民“酷祉政策”だ。介護サービスを行うこと自体は良いが、そのために保険料を新たに徴収し、年金から減額するのでは介護ビジネスに近い。政府予算には、各種の「特別会計」を含め、行政の無駄や浪費など、肥大化した“行政メタボ”があり、それを削減する形で福祉を向上するべきである。“行政メタボ”を温存し、新たに国民、特に年金受給者に負担を求めるのは福祉ではなく、“酷祉”である。
厚生労働省関係予算にも“行政メタボ”はあるはずだ。例えば、90年代に莫大な箱物事業を行った雇用保険(旧失業保険)なども、60年代、70年代の失業者数からすれば減少しており、失業保険料率についても精査の必要がある。また労働省と厚生省は統合されたので、ハローワーク(職安)と社会保険事務所との統廃合を含め、組織的な整理。再編を進めるべきであり、そのような“行政メタボ”の削減の中で福祉の向上を図るべきである。
更に極めつけは、舛添厚生労働大臣が、7月27日、「介護報酬」について「年末までに現場で働く人の待遇を良くする。そのために介護保険料の引き上げが必要」と述べたと伝えられている。それなら誰でも出来る。誰のお金だと思っているのであろうか。
ところで市区町村は、「特定健康診査」として「無料受診券」を提供している場合がある。この制度は08年4月より、メタボリックなどの成人病予防のため、40から74歳の保健加入者を対象として全国の市町村で導入されたものである(06年健康保険法改正)。国民健康保険の場合、企業、組織による検診制度がないので良いことのように思えるが、健康管理は基本的には「自己管理」「自己責任」の問題であり、全額を市区町村が負担すべきことでもない。医療費不足の時代でもあり、3分の1助成で十分であろう。それを全国で実施すれば、医療予算を圧迫するし、人手不足にもなる。「変」である。一方で医療費不足と言いながらこのような「無料受診券」をばら撒いて、仕事を増やしているようにも見える。
「特定健康診査」の「無料受診券」については、潜在的にプライバシーが侵害される恐れが強いことも指摘されている。市区町村の指定する医療機関で受診することになっているが、各受信者個人名の受診結果の詳細なデータを含め、市区町村に写しが自動的に送付されることになっている。ある区の成人保健係によると、上司と協議した結果として「検診は、区が各医療機関と計画し、検診料を支払っているので結果を知るのは当然」との答えが返って来たという。その予算は国民のお金ではないのか。更に医療機関への支払いのためであれば、検査項目だけで十分ではないか、そのデータを何に使用するのかとの問いに対しては、「医療指導のための統計や区民指導などのため」とのことだったそうだ。その上で「国民健康保険」以外であれば「出来るだけ無料券は使わないで欲しい」とのことだったらしい。国保でなくても健保加入者であれば対象のはずだ。医療機関への支払いのためであれば、医療機関よりの検査項目の報告だけで十分であり、統計であれば医療機関より報告させれば十分であろう。また「医療指導」する必要があれば検査を行った医療機関が行うことが適当であり、区や国が介入することでもなさそうだ。そもそも誰のための「検診」なのだろう。
 最も問題なのは、不特定多数の個人名が入った詳細な検診結果を医療機関以外が保管、管理していることだ。人事異動などを勘案すると多数の職員が個人の身体的特徴や健康状態等に関するデータを閲覧できることになり、情報管理を厳重にするという以前に、プライバシー保護の上で適切でないし、必要ではない。政治家や有名人の検診結果データが漏れれば影響が大きい場合もあろう。
 一方、国民健康保険にしても国民年金にしても、不払い者がかなりの比率になっていることが、行政の不手際と浪費、無駄遣いと共に医療事業を圧迫しているという側面もある。「福祉」である以上、支払いが出来ない無収入者や困窮者から支払いを強要出来ないし、すべきでもない。行政は、徴収には厳しいが、厳しすぎると恐怖政治に陥る恐れがある。しかし所得がありながら、3年から5年以上の長期に亘り支払わない“福祉フリーライダー”や“不払いモンスター”の問題もある。このような人達を放置し、或いは福祉サービスの対象とすれば、一般国民の負担は重くなるばかりでなく、支払うだけ損をするというモラルハザードとなる。
 もっとも不払い者の中には、行政の不正や不祥事への反発の側面もあるので、まず行政が襟を正し、不正や不祥事はもとより、浪費や無駄を目に見える形でなくすことが先決だろう。不祥事や浪費などを繰り返し、徴収のみを強化しようとしても説得力に欠ける。(08.07.) (Copy Right Reserved.)
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 後期高齢者保険料が年金から天引きされ、福祉後退として大きな注目を浴びた。しかし年金から天引きされ、年金支給額の実質的な減額、或いは健康保険料の実質的な引き上げとなっているのはこれだけではない。
 2000年4月から導入された介護保険料は、批判をかわすため、導入時は保険料を凍結し、6ヶ月後の同年10月から半額徴収であったが、01年10月からは全額徴収になっている。介護保険料は、健康保険料とは別だてで、40歳から64歳までは個別支払いであるが、年金受給年齢となる65歳からは年金から天引きされるようだ。無論、扶養家族である配偶者の分も一緒に天引きされる。年金給付額が抑えられる一方、介護保険料が配偶者の分を含めて天引きされると生活は苦しい。実質的な健康保険料の引き上げであると同時に、年金支給額の減額となる。
「変」である。これでは社会「福祉」ではなく、国民“酷祉政策”だ。介護サービスを行うこと自体は良いが、そのために保険料を新たに徴収し、年金から減額するのでは介護ビジネスに近い。政府予算には、各種の「特別会計」を含め、行政の無駄や浪費など、肥大化した“行政メタボ”があり、それを削減する形で福祉を向上するべきである。“行政メタボ”を温存し、新たに国民、特に年金受給者に負担を求めるのは福祉ではなく、“酷祉”である。
厚生労働省関係予算にも“行政メタボ”はあるはずだ。例えば、90年代に莫大な箱物事業を行った雇用保険(旧失業保険)なども、60年代、70年代の失業者数からすれば減少しており、失業保険料率についても精査の必要がある。また労働省と厚生省は統合されたので、ハローワーク(職安)と社会保険事務所との統廃合を含め、組織的な整理。再編を進めるべきであり、そのような“行政メタボ”の削減の中で福祉の向上を図るべきである。
更に極めつけは、舛添厚生労働大臣が、7月27日、「介護報酬」について「年末までに現場で働く人の待遇を良くする。そのために介護保険料の引き上げが必要」と述べたと伝えられている。それなら誰でも出来る。誰のお金だと思っているのであろうか。
ところで市区町村は、「特定健康診査」として「無料受診券」を提供している場合がある。この制度は08年4月より、メタボリックなどの成人病予防のため、40から74歳の保健加入者を対象として全国の市町村で導入されたものである(06年健康保険法改正)。国民健康保険の場合、企業、組織による検診制度がないので良いことのように思えるが、健康管理は基本的には「自己管理」「自己責任」の問題であり、全額を市区町村が負担すべきことでもない。医療費不足の時代でもあり、3分の1助成で十分であろう。それを全国で実施すれば、医療予算を圧迫するし、人手不足にもなる。「変」である。一方で医療費不足と言いながらこのような「無料受診券」をばら撒いて、仕事を増やしているようにも見える。
「特定健康診査」の「無料受診券」については、潜在的にプライバシーが侵害される恐れが強いことも指摘されている。市区町村の指定する医療機関で受診することになっているが、各受信者個人名の受診結果の詳細なデータを含め、市区町村に写しが自動的に送付されることになっている。ある区の成人保健係によると、上司と協議した結果として「検診は、区が各医療機関と計画し、検診料を支払っているので結果を知るのは当然」との答えが返って来たという。その予算は国民のお金ではないのか。更に医療機関への支払いのためであれば、検査項目だけで十分ではないか、そのデータを何に使用するのかとの問いに対しては、「医療指導のための統計や区民指導などのため」とのことだったそうだ。その上で「国民健康保険」以外であれば「出来るだけ無料券は使わないで欲しい」とのことだったらしい。国保でなくても健保加入者であれば対象のはずだ。医療機関への支払いのためであれば、医療機関よりの検査項目の報告だけで十分であり、統計であれば医療機関より報告させれば十分であろう。また「医療指導」する必要があれば検査を行った医療機関が行うことが適当であり、区や国が介入することでもなさそうだ。そもそも誰のための「検診」なのだろう。
 最も問題なのは、不特定多数の個人名が入った詳細な検診結果を医療機関以外が保管、管理していることだ。人事異動などを勘案すると多数の職員が個人の身体的特徴や健康状態等に関するデータを閲覧できることになり、情報管理を厳重にするという以前に、プライバシー保護の上で適切でないし、必要ではない。政治家や有名人の検診結果データが漏れれば影響が大きい場合もあろう。
 一方、国民健康保険にしても国民年金にしても、不払い者がかなりの比率になっていることが、行政の不手際と浪費、無駄遣いと共に医療事業を圧迫しているという側面もある。「福祉」である以上、支払いが出来ない無収入者や困窮者から支払いを強要出来ないし、すべきでもない。行政は、徴収には厳しいが、厳しすぎると恐怖政治に陥る恐れがある。しかし所得がありながら、3年から5年以上の長期に亘り支払わない“福祉フリーライダー”や“不払いモンスター”の問題もある。このような人達を放置し、或いは福祉サービスの対象とすれば、一般国民の負担は重くなるばかりでなく、支払うだけ損をするというモラルハザードとなる。
 もっとも不払い者の中には、行政の不正や不祥事への反発の側面もあるので、まず行政が襟を正し、不正や不祥事はもとより、浪費や無駄を目に見える形でなくすことが先決だろう。不祥事や浪費などを繰り返し、徴収のみを強化しようとしても説得力に欠ける。(08.07.) (Copy Right Reserved.)
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シリーズ平成の「変」-介護保険料も年金から天引き、国民“酷祉政策”の「変」-
 後期高齢者保険料が年金から天引きされ、福祉後退として大きな注目を浴びた。しかし年金から天引きされ、年金支給額の実質的な減額、或いは健康保険料の実質的な引き上げとなっているのはこれだけではない。
 2000年4月から導入された介護保険料は、批判をかわすため、導入時は保険料を凍結し、6ヶ月後の同年10月から半額徴収であったが、01年10月からは全額徴収になっている。介護保険料は、健康保険料とは別だてで、40歳から64歳までは個別支払いであるが、年金受給年齢となる65歳からは年金から天引きされるようだ。無論、扶養家族である配偶者の分も一緒に天引きされる。年金給付額が抑えられる一方、介護保険料が配偶者の分を含めて天引きされると生活は苦しい。実質的な健康保険料の引き上げであると同時に、年金支給額の減額となる。
「変」である。これでは社会「福祉」ではなく、国民“酷祉政策”だ。介護サービスを行うこと自体は良いが、そのために保険料を新たに徴収し、年金から減額するのでは介護ビジネスに近い。政府予算には、各種の「特別会計」を含め、行政の無駄や浪費など、肥大化した“行政メタボ”があり、それを削減する形で福祉を向上するべきである。“行政メタボ”を温存し、新たに国民、特に年金受給者に負担を求めるのは福祉ではなく、“酷祉”である。
厚生労働省関係予算にも“行政メタボ”はあるはずだ。例えば、90年代に莫大な箱物事業を行った雇用保険(旧失業保険)なども、60年代、70年代の失業者数からすれば減少しており、失業保険料率についても精査の必要がある。また労働省と厚生省は統合されたので、ハローワーク(職安)と社会保険事務所との統廃合を含め、組織的な整理。再編を進めるべきであり、そのような“行政メタボ”の削減の中で福祉の向上を図るべきである。
更に極めつけは、舛添厚生労働大臣が、7月27日、「介護報酬」について「年末までに現場で働く人の待遇を良くする。そのために介護保険料の引き上げが必要」と述べたと伝えられている。それなら誰でも出来る。誰のお金だと思っているのであろうか。
ところで市区町村は、「特定健康診査」として「無料受診券」を提供している場合がある。この制度は08年4月より、メタボリックなどの成人病予防のため、40から74歳の保健加入者を対象として全国の市町村で導入されたものである(06年健康保険法改正)。国民健康保険の場合、企業、組織による検診制度がないので良いことのように思えるが、健康管理は基本的には「自己管理」「自己責任」の問題であり、全額を市区町村が負担すべきことでもない。医療費不足の時代でもあり、3分の1助成で十分であろう。それを全国で実施すれば、医療予算を圧迫するし、人手不足にもなる。「変」である。一方で医療費不足と言いながらこのような「無料受診券」をばら撒いて、仕事を増やしているようにも見える。
「特定健康診査」の「無料受診券」については、潜在的にプライバシーが侵害される恐れが強いことも指摘されている。市区町村の指定する医療機関で受診することになっているが、各受信者個人名の受診結果の詳細なデータを含め、市区町村に写しが自動的に送付されることになっている。ある区の成人保健係によると、上司と協議した結果として「検診は、区が各医療機関と計画し、検診料を支払っているので結果を知るのは当然」との答えが返って来たという。その予算は国民のお金ではないのか。更に医療機関への支払いのためであれば、検査項目だけで十分ではないか、そのデータを何に使用するのかとの問いに対しては、「医療指導のための統計や区民指導などのため」とのことだったそうだ。その上で「国民健康保険」以外であれば「出来るだけ無料券は使わないで欲しい」とのことだったらしい。国保でなくても健保加入者であれば対象のはずだ。医療機関への支払いのためであれば、医療機関よりの検査項目の報告だけで十分であり、統計であれば医療機関より報告させれば十分であろう。また「医療指導」する必要があれば検査を行った医療機関が行うことが適当であり、区や国が介入することでもなさそうだ。そもそも誰のための「検診」なのだろう。
 最も問題なのは、不特定多数の個人名が入った詳細な検診結果を医療機関以外が保管、管理していることだ。人事異動などを勘案すると多数の職員が個人の身体的特徴や健康状態等に関するデータを閲覧できることになり、情報管理を厳重にするという以前に、プライバシー保護の上で適切でないし、必要ではない。政治家や有名人の検診結果データが漏れれば影響が大きい場合もあろう。
 一方、国民健康保険にしても国民年金にしても、不払い者がかなりの比率になっていることが、行政の不手際と浪費、無駄遣いと共に医療事業を圧迫しているという側面もある。「福祉」である以上、支払いが出来ない無収入者や困窮者から支払いを強要出来ないし、すべきでもない。行政は、徴収には厳しいが、厳しすぎると恐怖政治に陥る恐れがある。しかし所得がありながら、3年から5年以上の長期に亘り支払わない“福祉フリーライダー”や“不払いモンスター”の問題もある。このような人達を放置し、或いは福祉サービスの対象とすれば、一般国民の負担は重くなるばかりでなく、支払うだけ損をするというモラルハザードとなる。
 もっとも不払い者の中には、行政の不正や不祥事への反発の側面もあるので、まず行政が襟を正し、不正や不祥事はもとより、浪費や無駄を目に見える形でなくすことが先決だろう。不祥事や浪費などを繰り返し、徴収のみを強化しようとしても説得力に欠ける。(08.07.) (Copy Right Reserved.)
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 後期高齢者保険料が年金から天引きされ、福祉後退として大きな注目を浴びた。しかし年金から天引きされ、年金支給額の実質的な減額、或いは健康保険料の実質的な引き上げとなっているのはこれだけではない。
 2000年4月から導入された介護保険料は、批判をかわすため、導入時は保険料を凍結し、6ヶ月後の同年10月から半額徴収であったが、01年10月からは全額徴収になっている。介護保険料は、健康保険料とは別だてで、40歳から64歳までは個別支払いであるが、年金受給年齢となる65歳からは年金から天引きされるようだ。無論、扶養家族である配偶者の分も一緒に天引きされる。年金給付額が抑えられる一方、介護保険料が配偶者の分を含めて天引きされると生活は苦しい。実質的な健康保険料の引き上げであると同時に、年金支給額の減額となる。
「変」である。これでは社会「福祉」ではなく、国民“酷祉政策”だ。介護サービスを行うこと自体は良いが、そのために保険料を新たに徴収し、年金から減額するのでは介護ビジネスに近い。政府予算には、各種の「特別会計」を含め、行政の無駄や浪費など、肥大化した“行政メタボ”があり、それを削減する形で福祉を向上するべきである。“行政メタボ”を温存し、新たに国民、特に年金受給者に負担を求めるのは福祉ではなく、“酷祉”である。
厚生労働省関係予算にも“行政メタボ”はあるはずだ。例えば、90年代に莫大な箱物事業を行った雇用保険(旧失業保険)なども、60年代、70年代の失業者数からすれば減少しており、失業保険料率についても精査の必要がある。また労働省と厚生省は統合されたので、ハローワーク(職安)と社会保険事務所との統廃合を含め、組織的な整理。再編を進めるべきであり、そのような“行政メタボ”の削減の中で福祉の向上を図るべきである。
更に極めつけは、舛添厚生労働大臣が、7月27日、「介護報酬」について「年末までに現場で働く人の待遇を良くする。そのために介護保険料の引き上げが必要」と述べたと伝えられている。それなら誰でも出来る。誰のお金だと思っているのであろうか。
ところで市区町村は、「特定健康診査」として「無料受診券」を提供している場合がある。この制度は08年4月より、メタボリックなどの成人病予防のため、40から74歳の保健加入者を対象として全国の市町村で導入されたものである(06年健康保険法改正)。国民健康保険の場合、企業、組織による検診制度がないので良いことのように思えるが、健康管理は基本的には「自己管理」「自己責任」の問題であり、全額を市区町村が負担すべきことでもない。医療費不足の時代でもあり、3分の1助成で十分であろう。それを全国で実施すれば、医療予算を圧迫するし、人手不足にもなる。「変」である。一方で医療費不足と言いながらこのような「無料受診券」をばら撒いて、仕事を増やしているようにも見える。
「特定健康診査」の「無料受診券」については、潜在的にプライバシーが侵害される恐れが強いことも指摘されている。市区町村の指定する医療機関で受診することになっているが、各受信者個人名の受診結果の詳細なデータを含め、市区町村に写しが自動的に送付されることになっている。ある区の成人保健係によると、上司と協議した結果として「検診は、区が各医療機関と計画し、検診料を支払っているので結果を知るのは当然」との答えが返って来たという。その予算は国民のお金ではないのか。更に医療機関への支払いのためであれば、検査項目だけで十分ではないか、そのデータを何に使用するのかとの問いに対しては、「医療指導のための統計や区民指導などのため」とのことだったそうだ。その上で「国民健康保険」以外であれば「出来るだけ無料券は使わないで欲しい」とのことだったらしい。国保でなくても健保加入者であれば対象のはずだ。医療機関への支払いのためであれば、医療機関よりの検査項目の報告だけで十分であり、統計であれば医療機関より報告させれば十分であろう。また「医療指導」する必要があれば検査を行った医療機関が行うことが適当であり、区や国が介入することでもなさそうだ。そもそも誰のための「検診」なのだろう。
 最も問題なのは、不特定多数の個人名が入った詳細な検診結果を医療機関以外が保管、管理していることだ。人事異動などを勘案すると多数の職員が個人の身体的特徴や健康状態等に関するデータを閲覧できることになり、情報管理を厳重にするという以前に、プライバシー保護の上で適切でないし、必要ではない。政治家や有名人の検診結果データが漏れれば影響が大きい場合もあろう。
 一方、国民健康保険にしても国民年金にしても、不払い者がかなりの比率になっていることが、行政の不手際と浪費、無駄遣いと共に医療事業を圧迫しているという側面もある。「福祉」である以上、支払いが出来ない無収入者や困窮者から支払いを強要出来ないし、すべきでもない。行政は、徴収には厳しいが、厳しすぎると恐怖政治に陥る恐れがある。しかし所得がありながら、3年から5年以上の長期に亘り支払わない“福祉フリーライダー”や“不払いモンスター”の問題もある。このような人達を放置し、或いは福祉サービスの対象とすれば、一般国民の負担は重くなるばかりでなく、支払うだけ損をするというモラルハザードとなる。
 もっとも不払い者の中には、行政の不正や不祥事への反発の側面もあるので、まず行政が襟を正し、不正や不祥事はもとより、浪費や無駄を目に見える形でなくすことが先決だろう。不祥事や浪費などを繰り返し、徴収のみを強化しようとしても説得力に欠ける。(08.07.) (Copy Right Reserved.)
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シリーズ平成の「変」-福田先祖がえり政権の「変」―

2008-08-02 | Weblog
シリーズ平成の「変」-福田先祖がえり政権の「変」―
 昨年9月、安倍総理(当時)が政権運営に行き詰まり、福田総理がそのまま内閣を引き継いだが、8月1日、福田政権発足後10ヶ月余で党人事と内閣改造を行った。
 今回の改造の性格は、麻生自民幹事長、与謝野経済財政担当大臣と野田聖子消費者政策担当大臣を新たに加えたことに明確に現れている。
 1、“森院政”の集大成
 麻生太郎自民党幹事長が返り咲いたが、年内にも予想される衆院選への備えとポスト福田を睨んだ自民党の顔造りの意味合いが強いと見られる。麻生新幹事長は、前回の党総裁選で予想以上に善戦し、「おたく族」や「アキバ族」などを中心に人気があるとの判断からと思われるが、実体的には森元総理の子飼い的存在であり、福田総理、町村官房長官(留任)が旧森派であることと合わせると「森院政」を強くにじませた形となっている。同幹事長は、森元総理と同様、外交面では新保守(日本的ネオコン)に属するが、経済財政政策面では既得権益重視と見られるので、福田総理との「ねじれ」が表面化する恐れもある。それ以上に同氏は、安倍総理(当時)が政権運営に行き詰った際の党の責任者であったが、その時と同様に、党のスポークスマンとして持論を展開し、党が先行する形となるので、総理の存在感が益々薄くなり、政権への支持率は低下する恐れさえある。そうなると事実上「はしごが外される」状態が再現されることにもなろう。
 2、消費税増税を含む増税容認内閣
 経済財政担当大臣については、大田前大臣が「日本経済は一流国ではない」と発言し、当事者意識に欠くと共に、原油高、物価高の中で“経済無策”に終始したため、経済通の与謝野大臣となり、重みを増した。しかし同大臣は、「責任政党として増税は避けて通れない」として終始一貫、消費税増税を中心とする「増税による財政再建」を主張して来ている。総理は「今(選挙前は)、増税を論じる時ではない」としているが、自民党が来る衆院選挙で勝てば増税をすることを容認する人選である。恐らく、従来の同党の伝統的な手法に従って、景気対策のためには当面国債の発行をも容認し、公共事業や支持基盤である地方への各種の救済策を打ち出す可能性が強い。公明党も支持層向けの救済策を期待しているであろう。選挙を念頭において、国民の税金で支持層に資金をばら撒く“利益誘導型”の財政手法は、結果的には増税や将来世代に負担を先送る結果となるので、国民の選択次第であろう。
 麻生新幹事長も、「10%への消費税増税」論を公表しており、同様の考え方と見られる。また舛添厚労大臣(留任)も「介護保険料の引き上げ」に言及している。
 他方、成長促進により増収を図るべきとする「上げ潮派」の中川秀直元幹事長は、旧森派の重鎮でありながら、党役員にもなっておらず、旧森派を分け合っている町村官房長官派が制した形となっており、同派内の今後の確執が注目される。
 選挙ともなれば「小泉チルドレン」受難の選挙となろう。
 公明党もいわばプチブル政党としてほぼ自民党に呑み込まれている状態であり、存在意義がなくなって来ている。
 3、「改革路線」の終焉
 郵政造反組みの野田聖子議員が消費者行政担当大臣に、また保岡興冶議員が法務大臣に抜擢された。事実上の改革路線の終焉である。
 福田総理が意欲を持って取り組んで来た「消費者庁」も基本的には官僚を含む既得権益擁護に傾斜することになろう。省庁間の縦割りの権限についても、「なーな、やーやー」の仲間内の融和が重視されたものになろう。国民や国家全体の利益が優先されるべきであるが、特定の利益グループや省益などが優先される結果になろう。
 福田内閣は、郵政改革を問うた05年9月の総選挙で大勝した小泉政権の流れを汲み、07年9月に安倍内閣を引き継いで発足した。今回の改造は同総理の下での自前の改造であり、同政権の好みや方向性を明確に示している。それは、05年9月の総選挙で郵政改革に象徴される改革を選択した民意とは大きく乖離しており、福田自民党政権は、05年9月の総選挙以前の自民党にいわば先祖がえりした形だ。それは一つの政治的選択であるが、次の国会の冒頭などで、福田政権としての政策を速やかに明らかにした上で衆院を解散し、総選挙により民意を問うことが民主主義というものであろう。現在、自民党では最も人気があるとされる麻生議員が幹事長に就いており、改造内閣が新鮮さを失わない内に総選挙を行う方が傷は少ないのではないだろうか。福田内閣が「何をしようとしているか分らない」と見られているのは、国民から何も付託されていないからではないだろうか。
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シリーズ平成の「変」-福田先祖がえり政権の「変」―

2008-08-02 | Weblog
シリーズ平成の「変」-福田先祖がえり政権の「変」―
 昨年9月、安倍総理(当時)が政権運営に行き詰まり、福田総理がそのまま内閣を引き継いだが、8月1日、福田政権発足後10ヶ月余で党人事と内閣改造を行った。
 今回の改造の性格は、麻生自民幹事長、与謝野経済財政担当大臣と野田聖子消費者政策担当大臣を新たに加えたことに明確に現れている。
 1、“森院政”の集大成
 麻生太郎自民党幹事長が返り咲いたが、年内にも予想される衆院選への備えとポスト福田を睨んだ自民党の顔造りの意味合いが強いと見られる。麻生新幹事長は、前回の党総裁選で予想以上に善戦し、「おたく族」や「アキバ族」などを中心に人気があるとの判断からと思われるが、実体的には森元総理の子飼い的存在であり、福田総理、町村官房長官(留任)が旧森派であることと合わせると「森院政」を強くにじませた形となっている。同幹事長は、森元総理と同様、外交面では新保守(日本的ネオコン)に属するが、経済財政政策面では既得権益重視と見られるので、福田総理との「ねじれ」が表面化する恐れもある。それ以上に同氏は、安倍総理(当時)が政権運営に行き詰った際の党の責任者であったが、その時と同様に、党のスポークスマンとして持論を展開し、党が先行する形となるので、総理の存在感が益々薄くなり、政権への支持率は低下する恐れさえある。そうなると事実上「はしごが外される」状態が再現されることにもなろう。
 2、消費税増税を含む増税容認内閣
 経済財政担当大臣については、大田前大臣が「日本経済は一流国ではない」と発言し、当事者意識に欠くと共に、原油高、物価高の中で“経済無策”に終始したため、経済通の与謝野大臣となり、重みを増した。しかし同大臣は、「責任政党として増税は避けて通れない」として終始一貫、消費税増税を中心とする「増税による財政再建」を主張して来ている。総理は「今(選挙前は)、増税を論じる時ではない」としているが、自民党が来る衆院選挙で勝てば増税をすることを容認する人選である。恐らく、従来の同党の伝統的な手法に従って、景気対策のためには当面国債の発行をも容認し、公共事業や支持基盤である地方への各種の救済策を打ち出す可能性が強い。公明党も支持層向けの救済策を期待しているであろう。選挙を念頭において、国民の税金で支持層に資金をばら撒く“利益誘導型”の財政手法は、結果的には増税や将来世代に負担を先送る結果となるので、国民の選択次第であろう。
 麻生新幹事長も、「10%への消費税増税」論を公表しており、同様の考え方と見られる。また舛添厚労大臣(留任)も「介護保険料の引き上げ」に言及している。
 他方、成長促進により増収を図るべきとする「上げ潮派」の中川秀直元幹事長は、旧森派の重鎮でありながら、党役員にもなっておらず、旧森派を分け合っている町村官房長官派が制した形となっており、同派内の今後の確執が注目される。
 選挙ともなれば「小泉チルドレン」受難の選挙となろう。
 公明党もいわばプチブル政党としてほぼ自民党に呑み込まれている状態であり、存在意義がなくなって来ている。
 3、「改革路線」の終焉
 郵政造反組みの野田聖子議員が消費者行政担当大臣に、また保岡興冶議員が法務大臣に抜擢された。事実上の改革路線の終焉である。
 福田総理が意欲を持って取り組んで来た「消費者庁」も基本的には官僚を含む既得権益擁護に傾斜することになろう。省庁間の縦割りの権限についても、「なーな、やーやー」の仲間内の融和が重視されたものになろう。国民や国家全体の利益が優先されるべきであるが、特定の利益グループや省益などが優先される結果になろう。
 福田内閣は、郵政改革を問うた05年9月の総選挙で大勝した小泉政権の流れを汲み、07年9月に安倍内閣を引き継いで発足した。今回の改造は同総理の下での自前の改造であり、同政権の好みや方向性を明確に示している。それは、05年9月の総選挙で郵政改革に象徴される改革を選択した民意とは大きく乖離しており、福田自民党政権は、05年9月の総選挙以前の自民党にいわば先祖がえりした形だ。それは一つの政治的選択であるが、次の国会の冒頭などで、福田政権としての政策を速やかに明らかにした上で衆院を解散し、総選挙により民意を問うことが民主主義というものであろう。現在、自民党では最も人気があるとされる麻生議員が幹事長に就いており、改造内閣が新鮮さを失わない内に総選挙を行う方が傷は少ないのではないだろうか。福田内閣が「何をしようとしているか分らない」と見られているのは、国民から何も付託されていないからではないだろうか。
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シリーズ平成の「変」-福田先祖がえり政権の「変」―
 昨年9月、安倍総理(当時)が政権運営に行き詰まり、福田総理がそのまま内閣を引き継いだが、8月1日、福田政権発足後10ヶ月余で党人事と内閣改造を行った。
 今回の改造の性格は、麻生自民幹事長、与謝野経済財政担当大臣と野田聖子消費者政策担当大臣を新たに加えたことに明確に現れている。
 1、“森院政”の集大成
 麻生太郎自民党幹事長が返り咲いたが、年内にも予想される衆院選への備えとポスト福田を睨んだ自民党の顔造りの意味合いが強いと見られる。麻生新幹事長は、前回の党総裁選で予想以上に善戦し、「おたく族」や「アキバ族」などを中心に人気があるとの判断からと思われるが、実体的には森元総理の子飼い的存在であり、福田総理、町村官房長官(留任)が旧森派であることと合わせると「森院政」を強くにじませた形となっている。同幹事長は、森元総理と同様、外交面では新保守(日本的ネオコン)に属するが、経済財政政策面では既得権益重視と見られるので、福田総理との「ねじれ」が表面化する恐れもある。それ以上に同氏は、安倍総理(当時)が政権運営に行き詰った際の党の責任者であったが、その時と同様に、党のスポークスマンとして持論を展開し、党が先行する形となるので、総理の存在感が益々薄くなり、政権への支持率は低下する恐れさえある。そうなると事実上「はしごが外される」状態が再現されることにもなろう。
 2、消費税増税を含む増税容認内閣
 経済財政担当大臣については、大田前大臣が「日本経済は一流国ではない」と発言し、当事者意識に欠くと共に、原油高、物価高の中で“経済無策”に終始したため、経済通の与謝野大臣となり、重みを増した。しかし同大臣は、「責任政党として増税は避けて通れない」として終始一貫、消費税増税を中心とする「増税による財政再建」を主張して来ている。総理は「今(選挙前は)、増税を論じる時ではない」としているが、自民党が来る衆院選挙で勝てば増税をすることを容認する人選である。恐らく、従来の同党の伝統的な手法に従って、景気対策のためには当面国債の発行をも容認し、公共事業や支持基盤である地方への各種の救済策を打ち出す可能性が強い。公明党も支持層向けの救済策を期待しているであろう。選挙を念頭において、国民の税金で支持層に資金をばら撒く“利益誘導型”の財政手法は、結果的には増税や将来世代に負担を先送る結果となるので、国民の選択次第であろう。
 麻生新幹事長も、「10%への消費税増税」論を公表しており、同様の考え方と見られる。また舛添厚労大臣(留任)も「介護保険料の引き上げ」に言及している。
 他方、成長促進により増収を図るべきとする「上げ潮派」の中川秀直元幹事長は、旧森派の重鎮でありながら、党役員にもなっておらず、旧森派を分け合っている町村官房長官派が制した形となっており、同派内の今後の確執が注目される。
 選挙ともなれば「小泉チルドレン」受難の選挙となろう。
 公明党もいわばプチブル政党としてほぼ自民党に呑み込まれている状態であり、存在意義がなくなって来ている。
 3、「改革路線」の終焉
 郵政造反組みの野田聖子議員が消費者行政担当大臣に、また保岡興冶議員が法務大臣に抜擢された。事実上の改革路線の終焉である。
 福田総理が意欲を持って取り組んで来た「消費者庁」も基本的には官僚を含む既得権益擁護に傾斜することになろう。省庁間の縦割りの権限についても、「なーな、やーやー」の仲間内の融和が重視されたものになろう。国民や国家全体の利益が優先されるべきであるが、特定の利益グループや省益などが優先される結果になろう。
 福田内閣は、郵政改革を問うた05年9月の総選挙で大勝した小泉政権の流れを汲み、07年9月に安倍内閣を引き継いで発足した。今回の改造は同総理の下での自前の改造であり、同政権の好みや方向性を明確に示している。それは、05年9月の総選挙で郵政改革に象徴される改革を選択した民意とは大きく乖離しており、福田自民党政権は、05年9月の総選挙以前の自民党にいわば先祖がえりした形だ。それは一つの政治的選択であるが、次の国会の冒頭などで、福田政権としての政策を速やかに明らかにした上で衆院を解散し、総選挙により民意を問うことが民主主義というものであろう。現在、自民党では最も人気があるとされる麻生議員が幹事長に就いており、改造内閣が新鮮さを失わない内に総選挙を行う方が傷は少ないのではないだろうか。福田内閣が「何をしようとしているか分らない」と見られているのは、国民から何も付託されていないからではないだろうか。
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 昨年9月、安倍総理(当時)が政権運営に行き詰まり、福田総理がそのまま内閣を引き継いだが、8月1日、福田政権発足後10ヶ月余で党人事と内閣改造を行った。
 今回の改造の性格は、麻生自民幹事長、与謝野経済財政担当大臣と野田聖子消費者政策担当大臣を新たに加えたことに明確に現れている。
 1、“森院政”の集大成
 麻生太郎自民党幹事長が返り咲いたが、年内にも予想される衆院選への備えとポスト福田を睨んだ自民党の顔造りの意味合いが強いと見られる。麻生新幹事長は、前回の党総裁選で予想以上に善戦し、「おたく族」や「アキバ族」などを中心に人気があるとの判断からと思われるが、実体的には森元総理の子飼い的存在であり、福田総理、町村官房長官(留任)が旧森派であることと合わせると「森院政」を強くにじませた形となっている。同幹事長は、森元総理と同様、外交面では新保守(日本的ネオコン)に属するが、経済財政政策面では既得権益重視と見られるので、福田総理との「ねじれ」が表面化する恐れもある。それ以上に同氏は、安倍総理(当時)が政権運営に行き詰った際の党の責任者であったが、その時と同様に、党のスポークスマンとして持論を展開し、党が先行する形となるので、総理の存在感が益々薄くなり、政権への支持率は低下する恐れさえある。そうなると事実上「はしごが外される」状態が再現されることにもなろう。
 2、消費税増税を含む増税容認内閣
 経済財政担当大臣については、大田前大臣が「日本経済は一流国ではない」と発言し、当事者意識に欠くと共に、原油高、物価高の中で“経済無策”に終始したため、経済通の与謝野大臣となり、重みを増した。しかし同大臣は、「責任政党として増税は避けて通れない」として終始一貫、消費税増税を中心とする「増税による財政再建」を主張して来ている。総理は「今(選挙前は)、増税を論じる時ではない」としているが、自民党が来る衆院選挙で勝てば増税をすることを容認する人選である。恐らく、従来の同党の伝統的な手法に従って、景気対策のためには当面国債の発行をも容認し、公共事業や支持基盤である地方への各種の救済策を打ち出す可能性が強い。公明党も支持層向けの救済策を期待しているであろう。選挙を念頭において、国民の税金で支持層に資金をばら撒く“利益誘導型”の財政手法は、結果的には増税や将来世代に負担を先送る結果となるので、国民の選択次第であろう。
 麻生新幹事長も、「10%への消費税増税」論を公表しており、同様の考え方と見られる。また舛添厚労大臣(留任)も「介護保険料の引き上げ」に言及している。
 他方、成長促進により増収を図るべきとする「上げ潮派」の中川秀直元幹事長は、旧森派の重鎮でありながら、党役員にもなっておらず、旧森派を分け合っている町村官房長官派が制した形となっており、同派内の今後の確執が注目される。
 選挙ともなれば「小泉チルドレン」受難の選挙となろう。
 公明党もいわばプチブル政党としてほぼ自民党に呑み込まれている状態であり、存在意義がなくなって来ている。
 3、「改革路線」の終焉
 郵政造反組みの野田聖子議員が消費者行政担当大臣に、また保岡興冶議員が法務大臣に抜擢された。事実上の改革路線の終焉である。
 福田総理が意欲を持って取り組んで来た「消費者庁」も基本的には官僚を含む既得権益擁護に傾斜することになろう。省庁間の縦割りの権限についても、「なーな、やーやー」の仲間内の融和が重視されたものになろう。国民や国家全体の利益が優先されるべきであるが、特定の利益グループや省益などが優先される結果になろう。
 福田内閣は、郵政改革を問うた05年9月の総選挙で大勝した小泉政権の流れを汲み、07年9月に安倍内閣を引き継いで発足した。今回の改造は同総理の下での自前の改造であり、同政権の好みや方向性を明確に示している。それは、05年9月の総選挙で郵政改革に象徴される改革を選択した民意とは大きく乖離しており、福田自民党政権は、05年9月の総選挙以前の自民党にいわば先祖がえりした形だ。それは一つの政治的選択であるが、次の国会の冒頭などで、福田政権としての政策を速やかに明らかにした上で衆院を解散し、総選挙により民意を問うことが民主主義というものであろう。現在、自民党では最も人気があるとされる麻生議員が幹事長に就いており、改造内閣が新鮮さを失わない内に総選挙を行う方が傷は少ないのではないだろうか。福田内閣が「何をしようとしているか分らない」と見られているのは、国民から何も付託されていないからではないだろうか。
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 昨年9月、安倍総理(当時)が政権運営に行き詰まり、福田総理がそのまま内閣を引き継いだが、8月1日、福田政権発足後10ヶ月余で党人事と内閣改造を行った。
 今回の改造の性格は、麻生自民幹事長、与謝野経済財政担当大臣と野田聖子消費者政策担当大臣を新たに加えたことに明確に現れている。
 1、“森院政”の集大成
 麻生太郎自民党幹事長が返り咲いたが、年内にも予想される衆院選への備えとポスト福田を睨んだ自民党の顔造りの意味合いが強いと見られる。麻生新幹事長は、前回の党総裁選で予想以上に善戦し、「おたく族」や「アキバ族」などを中心に人気があるとの判断からと思われるが、実体的には森元総理の子飼い的存在であり、福田総理、町村官房長官(留任)が旧森派であることと合わせると「森院政」を強くにじませた形となっている。同幹事長は、森元総理と同様、外交面では新保守(日本的ネオコン)に属するが、経済財政政策面では既得権益重視と見られるので、福田総理との「ねじれ」が表面化する恐れもある。それ以上に同氏は、安倍総理(当時)が政権運営に行き詰った際の党の責任者であったが、その時と同様に、党のスポークスマンとして持論を展開し、党が先行する形となるので、総理の存在感が益々薄くなり、政権への支持率は低下する恐れさえある。そうなると事実上「はしごが外される」状態が再現されることにもなろう。
 2、消費税増税を含む増税容認内閣
 経済財政担当大臣については、大田前大臣が「日本経済は一流国ではない」と発言し、当事者意識に欠くと共に、原油高、物価高の中で“経済無策”に終始したため、経済通の与謝野大臣となり、重みを増した。しかし同大臣は、「責任政党として増税は避けて通れない」として終始一貫、消費税増税を中心とする「増税による財政再建」を主張して来ている。総理は「今(選挙前は)、増税を論じる時ではない」としているが、自民党が来る衆院選挙で勝てば増税をすることを容認する人選である。恐らく、従来の同党の伝統的な手法に従って、景気対策のためには当面国債の発行をも容認し、公共事業や支持基盤である地方への各種の救済策を打ち出す可能性が強い。公明党も支持層向けの救済策を期待しているであろう。選挙を念頭において、国民の税金で支持層に資金をばら撒く“利益誘導型”の財政手法は、結果的には増税や将来世代に負担を先送る結果となるので、国民の選択次第であろう。
 麻生新幹事長も、「10%への消費税増税」論を公表しており、同様の考え方と見られる。また舛添厚労大臣(留任)も「介護保険料の引き上げ」に言及している。
 他方、成長促進により増収を図るべきとする「上げ潮派」の中川秀直元幹事長は、旧森派の重鎮でありながら、党役員にもなっておらず、旧森派を分け合っている町村官房長官派が制した形となっており、同派内の今後の確執が注目される。
 選挙ともなれば「小泉チルドレン」受難の選挙となろう。
 公明党もいわばプチブル政党としてほぼ自民党に呑み込まれている状態であり、存在意義がなくなって来ている。
 3、「改革路線」の終焉
 郵政造反組みの野田聖子議員が消費者行政担当大臣に、また保岡興冶議員が法務大臣に抜擢された。事実上の改革路線の終焉である。
 福田総理が意欲を持って取り組んで来た「消費者庁」も基本的には官僚を含む既得権益擁護に傾斜することになろう。省庁間の縦割りの権限についても、「なーな、やーやー」の仲間内の融和が重視されたものになろう。国民や国家全体の利益が優先されるべきであるが、特定の利益グループや省益などが優先される結果になろう。
 福田内閣は、郵政改革を問うた05年9月の総選挙で大勝した小泉政権の流れを汲み、07年9月に安倍内閣を引き継いで発足した。今回の改造は同総理の下での自前の改造であり、同政権の好みや方向性を明確に示している。それは、05年9月の総選挙で郵政改革に象徴される改革を選択した民意とは大きく乖離しており、福田自民党政権は、05年9月の総選挙以前の自民党にいわば先祖がえりした形だ。それは一つの政治的選択であるが、次の国会の冒頭などで、福田政権としての政策を速やかに明らかにした上で衆院を解散し、総選挙により民意を問うことが民主主義というものであろう。現在、自民党では最も人気があるとされる麻生議員が幹事長に就いており、改造内閣が新鮮さを失わない内に総選挙を行う方が傷は少ないのではないだろうか。福田内閣が「何をしようとしているか分らない」と見られているのは、国民から何も付託されていないからではないだろうか。
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