シリーズ平成の「変」-“惜敗を期す?!”麻生政権の衆院解散・総選挙の「変」
麻生首相が、G-8サミットから帰国し、7月13日に「21日以降に衆議院解散、8月30日に総選挙を実施する」との予告をし、21日、衆議院を解散した。
自民党内には、「解散予告」がなされた後、解散するなら何故直ちに行わないのか、都議選での大敗の総括をすべし、支持率低迷の中で何故麻生首相・党総裁の下で選挙をするのかなど異論が続出している。「変」である。
麻生首相は、安倍、福田両首相の突然の辞任を受けて、昨年9月、自民党新総裁となり首班指名された。福田前首相としては、支持率が低迷し、党内外から衆院選は新しい顔で戦えるようにとの配慮から禅譲したもので、交代後は速やかな解散、総選挙が予想されていた。
ところが、同首相は、首相の座にしがみつき、「適当な時期に解散、総選挙する。解散は首相の権限」と繰り返し、解散を先延ばしして来た。衆議院議員の任期は9月10日までであることは分っており、任期が近付けば、任期切れ解散に追い込まれることは分りきっている。就任以来首相の座にしがみつき、失言のみでなく、景気対策においても選挙目当ての人気取りと思われる項目を含めるなど、公正を欠く面があり、支持率はジリ貧に終始した。国民は、景気対策の必要性は十分に認識していたし、一部の施策は評価されている。しかし失業者が増加し、住宅金融の返済に困るような家計が出ているにもかかわらず、不必要な「定額給付金」や1年限りの「幼児手当て」などや、有料高速道路の部分的引き下げは良いとしても、そのために5千億円もの税金を道路会社に注ぎ込むなど、選挙目当てと見られる予算のばら撒きを繰り返し、そのツケを国民の税金や国債の増額として転嫁している。国民の負担における景気対策であるとの認識に欠ける。国民にツケを回すのであれば誰でも出来る。本年度予算についても、国立マンガ・アニメ・センターの建設に117億円もの予算を付けており、これらを含め国会の内外で多くの無駄や国債発行の上積みなどが指摘されているにも拘わらず、また参議院で否決されたにも拘わらず、従来通り「修正協議」には一切応じていない。何のための両院協議会か。誰のための国会か。誰のための予算か。対応に適正を欠く。「変」である。
与党側は、北朝鮮船舶の検査など、一部の法律案が廃案になるとして野党を批判する向きがあるが、勝手に解散予告をし、延長国会の会期前に解散したのは首相であり、一日も争って採択すべき法案であれば、野党と協議して、任期まで務め法案処理を優先すべきではなかったのか。責任転嫁も甚だしい。
首相は、首相の解散権に拘泥し、“適当な時期に解散する”と言い続けていた手前、任期切れ解散となるのを恐れ、解散予告に追い込まれたのであり、「負け惜しみ解散」の様相が強い。その上、連立している公明党が東京都議選の応援に動員されていた傘下の宗教団体の会員を総選挙のために再配置するためなどに1ヶ月以上の時間を必要とすることなどから、「予告」、「解散宣言」という2段階方式を取らざるを得なくなり、任期切れぎりぎりの8月30日を投票日とせざるを得なかったのであろう。それで決断したとは言い難く、解散に追い込まれた負け惜しみ解散なのであろう。「変」である。
首相は、都議選の第一声で、普通であれば必勝を期して戦うと言うべきところを、例のごとく「惜敗を期して」戦うと言って、大敗を喫してしまった。
政権延命を画策し、擁護し、解散・総選挙をここまで先送って来た森院政にも大きな責任がある。「政治空白を作らない」、「政局にしない」ことを大義名分としていたが、国民の明確な信託と支持を得ていない政権、政府を延命させることこそが民意に反する「政治空白」であり、国家、国民の利益に反することになる。ともすると一部マスコミがそれに迎合するかの論調であった。ここまで解散、総選挙の先延ばしを許した責任の一端はマスコミ側にもあるのかもしれない。民意を問うことは、民主主義のコストやある種の非効率になるにしても、基本中の基本であり、そのために1ヶ月前後の期間を費やしたとしても、民意を無視して政権を継続するよりも遥かにましであろう。「政治空白を作らない」という論理は、国民は信頼できず、「衆愚」であるという政権側や行政側の意識の反映でもある。そう言われないように、国民、有権者の賢明な選択を期待したい。(09.07.)
((All Rights Reserved.)
麻生首相が、G-8サミットから帰国し、7月13日に「21日以降に衆議院解散、8月30日に総選挙を実施する」との予告をし、21日、衆議院を解散した。
自民党内には、「解散予告」がなされた後、解散するなら何故直ちに行わないのか、都議選での大敗の総括をすべし、支持率低迷の中で何故麻生首相・党総裁の下で選挙をするのかなど異論が続出している。「変」である。
麻生首相は、安倍、福田両首相の突然の辞任を受けて、昨年9月、自民党新総裁となり首班指名された。福田前首相としては、支持率が低迷し、党内外から衆院選は新しい顔で戦えるようにとの配慮から禅譲したもので、交代後は速やかな解散、総選挙が予想されていた。
ところが、同首相は、首相の座にしがみつき、「適当な時期に解散、総選挙する。解散は首相の権限」と繰り返し、解散を先延ばしして来た。衆議院議員の任期は9月10日までであることは分っており、任期が近付けば、任期切れ解散に追い込まれることは分りきっている。就任以来首相の座にしがみつき、失言のみでなく、景気対策においても選挙目当ての人気取りと思われる項目を含めるなど、公正を欠く面があり、支持率はジリ貧に終始した。国民は、景気対策の必要性は十分に認識していたし、一部の施策は評価されている。しかし失業者が増加し、住宅金融の返済に困るような家計が出ているにもかかわらず、不必要な「定額給付金」や1年限りの「幼児手当て」などや、有料高速道路の部分的引き下げは良いとしても、そのために5千億円もの税金を道路会社に注ぎ込むなど、選挙目当てと見られる予算のばら撒きを繰り返し、そのツケを国民の税金や国債の増額として転嫁している。国民の負担における景気対策であるとの認識に欠ける。国民にツケを回すのであれば誰でも出来る。本年度予算についても、国立マンガ・アニメ・センターの建設に117億円もの予算を付けており、これらを含め国会の内外で多くの無駄や国債発行の上積みなどが指摘されているにも拘わらず、また参議院で否決されたにも拘わらず、従来通り「修正協議」には一切応じていない。何のための両院協議会か。誰のための国会か。誰のための予算か。対応に適正を欠く。「変」である。
与党側は、北朝鮮船舶の検査など、一部の法律案が廃案になるとして野党を批判する向きがあるが、勝手に解散予告をし、延長国会の会期前に解散したのは首相であり、一日も争って採択すべき法案であれば、野党と協議して、任期まで務め法案処理を優先すべきではなかったのか。責任転嫁も甚だしい。
首相は、首相の解散権に拘泥し、“適当な時期に解散する”と言い続けていた手前、任期切れ解散となるのを恐れ、解散予告に追い込まれたのであり、「負け惜しみ解散」の様相が強い。その上、連立している公明党が東京都議選の応援に動員されていた傘下の宗教団体の会員を総選挙のために再配置するためなどに1ヶ月以上の時間を必要とすることなどから、「予告」、「解散宣言」という2段階方式を取らざるを得なくなり、任期切れぎりぎりの8月30日を投票日とせざるを得なかったのであろう。それで決断したとは言い難く、解散に追い込まれた負け惜しみ解散なのであろう。「変」である。
首相は、都議選の第一声で、普通であれば必勝を期して戦うと言うべきところを、例のごとく「惜敗を期して」戦うと言って、大敗を喫してしまった。
政権延命を画策し、擁護し、解散・総選挙をここまで先送って来た森院政にも大きな責任がある。「政治空白を作らない」、「政局にしない」ことを大義名分としていたが、国民の明確な信託と支持を得ていない政権、政府を延命させることこそが民意に反する「政治空白」であり、国家、国民の利益に反することになる。ともすると一部マスコミがそれに迎合するかの論調であった。ここまで解散、総選挙の先延ばしを許した責任の一端はマスコミ側にもあるのかもしれない。民意を問うことは、民主主義のコストやある種の非効率になるにしても、基本中の基本であり、そのために1ヶ月前後の期間を費やしたとしても、民意を無視して政権を継続するよりも遥かにましであろう。「政治空白を作らない」という論理は、国民は信頼できず、「衆愚」であるという政権側や行政側の意識の反映でもある。そう言われないように、国民、有権者の賢明な選択を期待したい。(09.07.)
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