シリーズ平成の本音 笑えない映像―4!
7月5日、松本復興担当相は就任早々辞任した。背景は、就任以来の同相の不用意な言動であるが、直接には宮城県等を3日訪問し、村井知事と会談した際の発言だ。
同復興担当相が知事室に隣接する会見室に通された際、知事は出迎えず、2、3分同相を待たせ、知事室から出てきて挨拶した。村井知事は分厚い「要望書」なるものを同相に手渡し、支援を要請したが、大臣は不満そうであり、同知事に「客を出迎えるのが筋でしょう。“長幼の序”というものがある」旨、その場限りのオフレコとして述べた。また「県が県内のコンセンサスをまとめないと助けない」旨も告げた。
これが「上から目線で被災者に不快感を与えた」とマスコミが大々的に報じ、問題となった。
全体の流れからすると、被災地復興の本質論ではない礼儀や感情論のたぐいの話で、苦笑してしまう。大臣の言うのももっともで、東京から被災地を訪れ、県庁に赴くわけであるので知事が出迎えてくれてもいいではないかという礼儀論や感情論も分らないでもない。村井知事は、その後の地元の記者会見で「知事と大臣は主従関係にはなく、対等だ。今後は同大臣が同県庁を訪問する場合は、復興担当相バージョンでお出迎えする」旨述べ、不快感をあらわにし、火に油を注いだ格好だ。村井知事は支援を要望する側でもあり、被災地復興を最優先して「失礼があったらお詫びする」などと大人の対応をしていれば一件落着であったろうに、まあどっちもどっちで苦笑するしかない。
しかし仔細に分析すると、両者は復興構想会議で11回顔を合わせているが、政府側と要望者側の立場であり、一定の立場の差はあって当然であろう。それだけではない。松本復興担当相は民主党であるが、もともとは日本社会党系であり、他方の村井知事は自民党系であり、旧政権との権力闘争を経て政権の座についた復興担当相と旧保守政権、野党系の知事とはイデオロギーや肌合いの相違があっても仕方がないのだろう。主従関係はないのだろうが、現政府は民主党政権であるので、余り対等意識を前面に出せば角が立つことになろう。野党はここぞとばかりに「暴言」「恫喝」などと批判しているが、本質論ではなく、いわば権力闘争であり、どっちもどっちなのであろう。村井知事の復興促進への希望は心情的に100%理解するが、復興構想会議やインタヴューで、「国の責任でやって欲しい、税金でやって欲しい」ということを繰り返し述べており、今回も分厚い要望書を提出した。国民、納税者の立場からすると、被害者は北陸の被災地だけでなく、大なり小なり関東一円、日本全体が被害を受けており、停電や経済停滞などの影響を大いに受けているので、国民の税金で、税金でと叫ばれてもある種の違和感がある。更に、これまで被災地の防災を十分にしていなかったため、県民に大きな被害を出した責任は県にもあるのではないか。特に2004年12月のスマトラ沖の巨大地震、巨大津波が起こった後には、三陸沿岸が危険性ということは多くの人々が口にしていた。ハードだけでなく、避難の際のソフトの面でも不十分で、被害を拡大し、多くの児童、生徒を失った。それは国だけの責任なのだろうか、国民、納税者の責任に帰すべきことなのだろうか。
だがそれだけではない。両者は自衛隊出身であり、兵隊の位は別として、大臣の方が10歳ほど年長であるので、同じ釜のメシを食った者同志としては、年齢に異常に執着する日本の従来の風土では年長から一言あっても不思議はない。一般社会でも、初対面で年齢や年次に異常に執着し、必ず“おたく何年生まれ?”とか“何年卒業?”とか聞く輩が未だに多いのも事実である。だとすると同相発言をそんなに問題視することもない。
どうも最近のマスコミは、本質論でないことに非常にこだわり、全体の情報を報じることなく、狭い現象のみを切り取って報道し、殊更に問題視する傾向があるのではなかろうか。政治的な意図があるのだろうか。狭いアングルでは事実なのだが、双方の立場から広いアングルで全体を検証すると、報道は非常に偏ったものであり、人材をどんどん社会から追い落としていく傾向がある。それではどんな社会でも人材は育たない。
国民、視聴者としては、報道に振り回されず、冷静に報道の意図や正しさを判断するしかなさそうだ。(11.07.05)
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