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シリーズ平成の本音 福島原発被災事故の賠償、問われる責任問題

2011-07-20 | Weblog
シリーズ平成の本音 福島原発被災事故の賠償、問われる責任問題
 7月8日、福島原発被災事故による被害者への賠償支払いを促進、支援するため、原子力損害賠償支援機構法案が衆議院で審議入りした。
 福島原発を経営する東京電力を主たる賠償支払い者としつつ、東京電力の支払い能力を補強、支援するため、他の電力会社と国が支援する支援機構を設置するというのが骨格となる。
 被害が、放射能汚染により退避、避難を強いられている家族から漁業、農業・酪農などまで広範に及ぶと共に、被害額が高額になるためであり、東電側及び被害者側双方にとってこのような支援機構が設立され、円滑な賠償支払いが保証されることになることは望ましい。
 1、必要となる「損害賠償」責任の明確化
 しかし「損害賠償」である以上、見舞金などとは異なり、「加害者」の明確化と、故意、過失、無作為など、加害者の責任の重さが明らかにされると共に、賠償の範囲等が示されなくてはならない。
 東京電力福島原発の原子炉が冷却不能に陥ったため、使用済み核燃料棒と炉心融解によって爆発とその後の冷却水の注入などによる放射能物質の飛散と汚染水の海水等への流失による被害であり、事故発生後の東電側の対応上の過失や無作為の責任は明らかである。
 だが福島原発自体も三陸沖大地震と津波の被害者であり、原発事故は自然災害のため発生したものである。三陸沖大地震・津波等への防災対策については、政府の被災地復興構想会議の報告書でも、今回の地震・津波が「想定外」の規模としているので、原子力発電所については特別の注意を要するところではあるが、一企業が想定できる規模、或いは通常の注意義務の範囲を超えていたと言えるところであり、東電側の故意はもとよりのことであるが、業務上過失についても一企業としての責任を全面的に問える状況にも無い。従って賠償責任も無制限とすることは適当ではない。福島県の関係地域、地方公共団体も、原発誘致に伴い可なりの交付金、補助金等や港湾を含むインフラ整備などで恩恵を受けていたところであるので、お気の毒ではあるが、無制限に賠償を請求出来るということでもないのであろう。
他方、冷却水循環に必要な電力のバックアップ体制の脆弱性や原子炉事故などにより放射能漏れを起こした場合のハード・ソフトの備えがほとんどなされていなかったことなどの基本的な反省点や課題はある。しかしそれらは一企業だけの問題ではなく、原子力政策を進めて来たこれまでの政府、行政各部と地方公共団体が対応を策定し、企業や地域住民等を的確に指導すべきことであったのであろう。
 関連電力会社の支援については、日本の電力産業の維持、東電の経営危機回避などの観点からのものと言え、賠償責任はない。
 2、「国の責任」とは何か
 問題は、「国の責任」であり、最終的には納税者である国民の税負担となるので、一括りで国の責任という前に、「国の責任」の内容を十分に検討して置く必要がありそうだ。
 今回の福島原発被災事故に係わる損害賠償については、国民の側には、時の政権を選んだという一般的な責任はあり、国難に当たり支援、協力するということはあるが、もとより特定の事故被害について賠償責任はない。「国の責任」という場合、直接には原子力政策推進に責任を持つ内閣と行政事務を担当する行政組織、直接には経産省、特に原子力安全・保安院とエネルギー庁、原子力安全委員会であり、また関係地方公共団体も一定の責任があろう。また広い意味では、原子力関連法案や予算を採択している国会議員の責任も問われなくてはならない。野党自民党は、原子力政策は国の政策として進めて来ているので、国がもっと責任を持つべきだとしている。それが国民の負担増を意味するのであれば筋は違う。
 まず経産省、特に原子力安全・保安院とエネルギー庁、原子力安全委員会、そして内閣の責任が問われなくてはならない。本来であれば、被災被害については、原子力施設の防災上の措置がハード、ソフト双方の面で過失等がなかったか否かを点検して置くことが今後の対応のためにも必要であろう。結果的に関係部局等で賠償するということは困難であろうから、内閣及び行政組織全体で、国有財産の整理・処分、公用車の大幅削減、公務員宿舎家賃の引き上げ或いは廃止・処分、給与・ボーナスの減額、及び全般的な節約などを検討すべきなのであろう。また国会議員についても同様の節減が検討されるべきなのであろう。
 福島県の関係地域も、原発誘致に伴い各種の恩恵を受けていたところであり、無制限に賠償を請求出来るということでもないので、関係地域の復旧・復興費用は別として、「賠償額」の範囲を定めて置く必要があろう。
 今回の地域住民の被害やご苦労については心よりお見舞いするところであるが、被害への「賠償」ということであるのでまず責任の有無や範囲が問われなくてはならない。それがないまま納税者である国民に負担を転嫁することは望ましくない。(2011.07.14)(All Rights Reserved.)(不許無断転載)
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シリーズ平成の本音 福島原発被災事故の賠償、問われる責任問題

2011-07-20 | Weblog
シリーズ平成の本音 福島原発被災事故の賠償、問われる責任問題
 7月8日、福島原発被災事故による被害者への賠償支払いを促進、支援するため、原子力損害賠償支援機構法案が衆議院で審議入りした。
 福島原発を経営する東京電力を主たる賠償支払い者としつつ、東京電力の支払い能力を補強、支援するため、他の電力会社と国が支援する支援機構を設置するというのが骨格となる。
 被害が、放射能汚染により退避、避難を強いられている家族から漁業、農業・酪農などまで広範に及ぶと共に、被害額が高額になるためであり、東電側及び被害者側双方にとってこのような支援機構が設立され、円滑な賠償支払いが保証されることになることは望ましい。
 1、必要となる「損害賠償」責任の明確化
 しかし「損害賠償」である以上、見舞金などとは異なり、「加害者」の明確化と、故意、過失、無作為など、加害者の責任の重さが明らかにされると共に、賠償の範囲等が示されなくてはならない。
 東京電力福島原発の原子炉が冷却不能に陥ったため、使用済み核燃料棒と炉心融解によって爆発とその後の冷却水の注入などによる放射能物質の飛散と汚染水の海水等への流失による被害であり、事故発生後の東電側の対応上の過失や無作為の責任は明らかである。
 だが福島原発自体も三陸沖大地震と津波の被害者であり、原発事故は自然災害のため発生したものである。三陸沖大地震・津波等への防災対策については、政府の被災地復興構想会議の報告書でも、今回の地震・津波が「想定外」の規模としているので、原子力発電所については特別の注意を要するところではあるが、一企業が想定できる規模、或いは通常の注意義務の範囲を超えていたと言えるところであり、東電側の故意はもとよりのことであるが、業務上過失についても一企業としての責任を全面的に問える状況にも無い。従って賠償責任も無制限とすることは適当ではない。福島県の関係地域、地方公共団体も、原発誘致に伴い可なりの交付金、補助金等や港湾を含むインフラ整備などで恩恵を受けていたところであるので、お気の毒ではあるが、無制限に賠償を請求出来るということでもないのであろう。
他方、冷却水循環に必要な電力のバックアップ体制の脆弱性や原子炉事故などにより放射能漏れを起こした場合のハード・ソフトの備えがほとんどなされていなかったことなどの基本的な反省点や課題はある。しかしそれらは一企業だけの問題ではなく、原子力政策を進めて来たこれまでの政府、行政各部と地方公共団体が対応を策定し、企業や地域住民等を的確に指導すべきことであったのであろう。
 関連電力会社の支援については、日本の電力産業の維持、東電の経営危機回避などの観点からのものと言え、賠償責任はない。
 2、「国の責任」とは何か
 問題は、「国の責任」であり、最終的には納税者である国民の税負担となるので、一括りで国の責任という前に、「国の責任」の内容を十分に検討して置く必要がありそうだ。
 今回の福島原発被災事故に係わる損害賠償については、国民の側には、時の政権を選んだという一般的な責任はあり、国難に当たり支援、協力するということはあるが、もとより特定の事故被害について賠償責任はない。「国の責任」という場合、直接には原子力政策推進に責任を持つ内閣と行政事務を担当する行政組織、直接には経産省、特に原子力安全・保安院とエネルギー庁、原子力安全委員会であり、また関係地方公共団体も一定の責任があろう。また広い意味では、原子力関連法案や予算を採択している国会議員の責任も問われなくてはならない。野党自民党は、原子力政策は国の政策として進めて来ているので、国がもっと責任を持つべきだとしている。それが国民の負担増を意味するのであれば筋は違う。
 まず経産省、特に原子力安全・保安院とエネルギー庁、原子力安全委員会、そして内閣の責任が問われなくてはならない。本来であれば、被災被害については、原子力施設の防災上の措置がハード、ソフト双方の面で過失等がなかったか否かを点検して置くことが今後の対応のためにも必要であろう。結果的に関係部局等で賠償するということは困難であろうから、内閣及び行政組織全体で、国有財産の整理・処分、公用車の大幅削減、公務員宿舎家賃の引き上げ或いは廃止・処分、給与・ボーナスの減額、及び全般的な節約などを検討すべきなのであろう。また国会議員についても同様の節減が検討されるべきなのであろう。
 福島県の関係地域も、原発誘致に伴い各種の恩恵を受けていたところであり、無制限に賠償を請求出来るということでもないので、関係地域の復旧・復興費用は別として、「賠償額」の範囲を定めて置く必要があろう。
 今回の地域住民の被害やご苦労については心よりお見舞いするところであるが、被害への「賠償」ということであるのでまず責任の有無や範囲が問われなくてはならない。それがないまま納税者である国民に負担を転嫁することは望ましくない。今回の福島原発被災事故については、同県だけでなく関東一円において、直接、間接の多くの国民、経済活動が影響を受けている。(2011.07.14)
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 7月8日、福島原発被災事故による被害者への賠償支払いを促進、支援するため、原子力損害賠償支援機構法案が衆議院で審議入りした。
 福島原発を経営する東京電力を主たる賠償支払い者としつつ、東京電力の支払い能力を補強、支援するため、他の電力会社と国が支援する支援機構を設置するというのが骨格となる。
 被害が、放射能汚染により退避、避難を強いられている家族から漁業、農業・酪農などまで広範に及ぶと共に、被害額が高額になるためであり、東電側及び被害者側双方にとってこのような支援機構が設立され、円滑な賠償支払いが保証されることになることは望ましい。
 1、必要となる「損害賠償」責任の明確化
 しかし「損害賠償」である以上、見舞金などとは異なり、「加害者」の明確化と、故意、過失、無作為など、加害者の責任の重さが明らかにされると共に、賠償の範囲等が示されなくてはならない。
 東京電力福島原発の原子炉が冷却不能に陥ったため、使用済み核燃料棒と炉心融解によって爆発とその後の冷却水の注入などによる放射能物質の飛散と汚染水の海水等への流失による被害であり、事故発生後の東電側の対応上の過失や無作為の責任は明らかである。
 だが福島原発自体も三陸沖大地震と津波の被害者であり、原発事故は自然災害のため発生したものである。三陸沖大地震・津波等への防災対策については、政府の被災地復興構想会議の報告書でも、今回の地震・津波が「想定外」の規模としているので、原子力発電所については特別の注意を要するところではあるが、一企業が想定できる規模、或いは通常の注意義務の範囲を超えていたと言えるところであり、東電側の故意はもとよりのことであるが、業務上過失についても一企業としての責任を全面的に問える状況にも無い。従って賠償責任も無制限とすることは適当ではない。福島県の関係地域、地方公共団体も、原発誘致に伴い可なりの交付金、補助金等や港湾を含むインフラ整備などで恩恵を受けていたところであるので、お気の毒ではあるが、無制限に賠償を請求出来るということでもないのであろう。
他方、冷却水循環に必要な電力のバックアップ体制の脆弱性や原子炉事故などにより放射能漏れを起こした場合のハード・ソフトの備えがほとんどなされていなかったことなどの基本的な反省点や課題はある。しかしそれらは一企業だけの問題ではなく、原子力政策を進めて来たこれまでの政府、行政各部と地方公共団体が対応を策定し、企業や地域住民等を的確に指導すべきことであったのであろう。
 関連電力会社の支援については、日本の電力産業の維持、東電の経営危機回避などの観点からのものと言え、賠償責任はない。
 2、「国の責任」とは何か
 問題は、「国の責任」であり、最終的には納税者である国民の税負担となるので、一括りで国の責任という前に、「国の責任」の内容を十分に検討して置く必要がありそうだ。
 今回の福島原発被災事故に係わる損害賠償については、国民の側には、時の政権を選んだという一般的な責任はあり、国難に当たり支援、協力するということはあるが、もとより特定の事故被害について賠償責任はない。「国の責任」という場合、直接には原子力政策推進に責任を持つ内閣と行政事務を担当する行政組織、直接には経産省、特に原子力安全・保安院とエネルギー庁、原子力安全委員会であり、また関係地方公共団体も一定の責任があろう。また広い意味では、原子力関連法案や予算を採択している国会議員の責任も問われなくてはならない。野党自民党は、原子力政策は国の政策として進めて来ているので、国がもっと責任を持つべきだとしている。それが国民の負担増を意味するのであれば筋は違う。
 まず経産省、特に原子力安全・保安院とエネルギー庁、原子力安全委員会、そして内閣の責任が問われなくてはならない。本来であれば、被災被害については、原子力施設の防災上の措置がハード、ソフト双方の面で過失等がなかったか否かを点検して置くことが今後の対応のためにも必要であろう。結果的に関係部局等で賠償するということは困難であろうから、内閣及び行政組織全体で、国有財産の整理・処分、公用車の大幅削減、公務員宿舎家賃の引き上げ或いは廃止・処分、給与・ボーナスの減額、及び全般的な節約などを検討すべきなのであろう。また国会議員についても同様の節減が検討されるべきなのであろう。
 福島県の関係地域も、原発誘致に伴い各種の恩恵を受けていたところであり、無制限に賠償を請求出来るということでもないので、関係地域の復旧・復興費用は別として、「賠償額」の範囲を定めて置く必要があろう。
 今回の地域住民の被害やご苦労については心よりお見舞いするところであるが、被害への「賠償」ということであるのでまず責任の有無や範囲が問われなくてはならない。それがないまま納税者である国民に負担を転嫁することは望ましくない。今回の福島原発被災事故については、同県だけでなく関東一円において、直接、間接の多くの国民、経済活動が影響を受けている。(2011.07.14)
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 7月8日、福島原発被災事故による被害者への賠償支払いを促進、支援するため、原子力損害賠償支援機構法案が衆議院で審議入りした。
 福島原発を経営する東京電力を主たる賠償支払い者としつつ、東京電力の支払い能力を補強、支援するため、他の電力会社と国が支援する支援機構を設置するというのが骨格となる。
 被害が、放射能汚染により退避、避難を強いられている家族から漁業、農業・酪農などまで広範に及ぶと共に、被害額が高額になるためであり、東電側及び被害者側双方にとってこのような支援機構が設立され、円滑な賠償支払いが保証されることになることは望ましい。
 1、必要となる「損害賠償」責任の明確化
 しかし「損害賠償」である以上、見舞金などとは異なり、「加害者」の明確化と、故意、過失、無作為など、加害者の責任の重さが明らかにされると共に、賠償の範囲等が示されなくてはならない。
 東京電力福島原発の原子炉が冷却不能に陥ったため、使用済み核燃料棒と炉心融解によって爆発とその後の冷却水の注入などによる放射能物質の飛散と汚染水の海水等への流失による被害であり、事故発生後の東電側の対応上の過失や無作為の責任は明らかである。
 だが福島原発自体も三陸沖大地震と津波の被害者であり、原発事故は自然災害のため発生したものである。三陸沖大地震・津波等への防災対策については、政府の被災地復興構想会議の報告書でも、今回の地震・津波が「想定外」の規模としているので、原子力発電所については特別の注意を要するところではあるが、一企業が想定できる規模、或いは通常の注意義務の範囲を超えていたと言えるところであり、東電側の故意はもとよりのことであるが、業務上過失についても一企業としての責任を全面的に問える状況にも無い。従って賠償責任も無制限とすることは適当ではない。福島県の関係地域、地方公共団体も、原発誘致に伴い可なりの交付金、補助金等や港湾を含むインフラ整備などで恩恵を受けていたところであるので、お気の毒ではあるが、無制限に賠償を請求出来るということでもないのであろう。
他方、冷却水循環に必要な電力のバックアップ体制の脆弱性や原子炉事故などにより放射能漏れを起こした場合のハード・ソフトの備えがほとんどなされていなかったことなどの基本的な反省点や課題はある。しかしそれらは一企業だけの問題ではなく、原子力政策を進めて来たこれまでの政府、行政各部と地方公共団体が対応を策定し、企業や地域住民等を的確に指導すべきことであったのであろう。
 関連電力会社の支援については、日本の電力産業の維持、東電の経営危機回避などの観点からのものと言え、賠償責任はない。
 2、「国の責任」とは何か
 問題は、「国の責任」であり、最終的には納税者である国民の税負担となるので、一括りで国の責任という前に、「国の責任」の内容を十分に検討して置く必要がありそうだ。
 今回の福島原発被災事故に係わる損害賠償については、国民の側には、時の政権を選んだという一般的な責任はあり、国難に当たり支援、協力するということはあるが、もとより特定の事故被害について賠償責任はない。「国の責任」という場合、直接には原子力政策推進に責任を持つ内閣と行政事務を担当する行政組織、直接には経産省、特に原子力安全・保安院とエネルギー庁、原子力安全委員会であり、また関係地方公共団体も一定の責任があろう。また広い意味では、原子力関連法案や予算を採択している国会議員の責任も問われなくてはならない。野党自民党は、原子力政策は国の政策として進めて来ているので、国がもっと責任を持つべきだとしている。それが国民の負担増を意味するのであれば筋は違う。
 まず経産省、特に原子力安全・保安院とエネルギー庁、原子力安全委員会、そして内閣の責任が問われなくてはならない。本来であれば、被災被害については、原子力施設の防災上の措置がハード、ソフト双方の面で過失等がなかったか否かを点検して置くことが今後の対応のためにも必要であろう。結果的に関係部局等で賠償するということは困難であろうから、内閣及び行政組織全体で、国有財産の整理・処分、公用車の大幅削減、公務員宿舎家賃の引き上げ或いは廃止・処分、給与・ボーナスの減額、及び全般的な節約などを検討すべきなのであろう。また国会議員についても同様の節減が検討されるべきなのであろう。
 福島県の関係地域も、原発誘致に伴い各種の恩恵を受けていたところであり、無制限に賠償を請求出来るということでもないので、関係地域の復旧・復興費用は別として、「賠償額」の範囲を定めて置く必要があろう。
 今回の地域住民の被害やご苦労については心よりお見舞いするところであるが、被害への「賠償」ということであるのでまず責任の有無や範囲が問われなくてはならない。それがないまま納税者である国民に負担を転嫁することは望ましくない。(2011.07.14)(All Rights Reserved.)(不許無断転載)
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 7月8日、福島原発被災事故による被害者への賠償支払いを促進、支援するため、原子力損害賠償支援機構法案が衆議院で審議入りした。
 福島原発を経営する東京電力を主たる賠償支払い者としつつ、東京電力の支払い能力を補強、支援するため、他の電力会社と国が支援する支援機構を設置するというのが骨格となる。
 被害が、放射能汚染により退避、避難を強いられている家族から漁業、農業・酪農などまで広範に及ぶと共に、被害額が高額になるためであり、東電側及び被害者側双方にとってこのような支援機構が設立され、円滑な賠償支払いが保証されることになることは望ましい。
 1、必要となる「損害賠償」責任の明確化
 しかし「損害賠償」である以上、見舞金などとは異なり、「加害者」の明確化と、故意、過失、無作為など、加害者の責任の重さが明らかにされると共に、賠償の範囲等が示されなくてはならない。
 東京電力福島原発の原子炉が冷却不能に陥ったため、使用済み核燃料棒と炉心融解によって爆発とその後の冷却水の注入などによる放射能物質の飛散と汚染水の海水等への流失による被害であり、事故発生後の東電側の対応上の過失や無作為の責任は明らかである。
 だが福島原発自体も三陸沖大地震と津波の被害者であり、原発事故は自然災害のため発生したものである。三陸沖大地震・津波等への防災対策については、政府の被災地復興構想会議の報告書でも、今回の地震・津波が「想定外」の規模としているので、原子力発電所については特別の注意を要するところではあるが、一企業が想定できる規模、或いは通常の注意義務の範囲を超えていたと言えるところであり、東電側の故意はもとよりのことであるが、業務上過失についても一企業としての責任を全面的に問える状況にも無い。従って賠償責任も無制限とすることは適当ではない。福島県の関係地域、地方公共団体も、原発誘致に伴い可なりの交付金、補助金等や港湾を含むインフラ整備などで恩恵を受けていたところであるので、お気の毒ではあるが、無制限に賠償を請求出来るということでもないのであろう。
他方、冷却水循環に必要な電力のバックアップ体制の脆弱性や原子炉事故などにより放射能漏れを起こした場合のハード・ソフトの備えがほとんどなされていなかったことなどの基本的な反省点や課題はある。しかしそれらは一企業だけの問題ではなく、原子力政策を進めて来たこれまでの政府、行政各部と地方公共団体が対応を策定し、企業や地域住民等を的確に指導すべきことであったのであろう。
 関連電力会社の支援については、日本の電力産業の維持、東電の経営危機回避などの観点からのものと言え、賠償責任はない。
 2、「国の責任」とは何か
 問題は、「国の責任」であり、最終的には納税者である国民の税負担となるので、一括りで国の責任という前に、「国の責任」の内容を十分に検討して置く必要がありそうだ。
 今回の福島原発被災事故に係わる損害賠償については、国民の側には、時の政権を選んだという一般的な責任はあり、国難に当たり支援、協力するということはあるが、もとより特定の事故被害について賠償責任はない。「国の責任」という場合、直接には原子力政策推進に責任を持つ内閣と行政事務を担当する行政組織、直接には経産省、特に原子力安全・保安院とエネルギー庁、原子力安全委員会であり、また関係地方公共団体も一定の責任があろう。また広い意味では、原子力関連法案や予算を採択している国会議員の責任も問われなくてはならない。野党自民党は、原子力政策は国の政策として進めて来ているので、国がもっと責任を持つべきだとしている。それが国民の負担増を意味するのであれば筋は違う。
 まず経産省、特に原子力安全・保安院とエネルギー庁、原子力安全委員会、そして内閣の責任が問われなくてはならない。本来であれば、被災被害については、原子力施設の防災上の措置がハード、ソフト双方の面で過失等がなかったか否かを点検して置くことが今後の対応のためにも必要であろう。結果的に関係部局等で賠償するということは困難であろうから、内閣及び行政組織全体で、国有財産の整理・処分、公用車の大幅削減、公務員宿舎家賃の引き上げ或いは廃止・処分、給与・ボーナスの減額、及び全般的な節約などを検討すべきなのであろう。また国会議員についても同様の節減が検討されるべきなのであろう。
 福島県の関係地域も、原発誘致に伴い各種の恩恵を受けていたところであり、無制限に賠償を請求出来るということでもないので、関係地域の復旧・復興費用は別として、「賠償額」の範囲を定めて置く必要があろう。
 今回の地域住民の被害やご苦労については心よりお見舞いするところであるが、被害への「賠償」ということであるのでまず責任の有無や範囲が問われなくてはならない。それがないまま納税者である国民に負担を転嫁することは望ましくない。(2011.07.14)(All Rights Reserved.)(不許無断転載)
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 7月8日、福島原発被災事故による被害者への賠償支払いを促進、支援するため、原子力損害賠償支援機構法案が衆議院で審議入りした。
 福島原発を経営する東京電力を主たる賠償支払い者としつつ、東京電力の支払い能力を補強、支援するため、他の電力会社と国が支援する支援機構を設置するというのが骨格となる。
 被害が、放射能汚染により退避、避難を強いられている家族から漁業、農業・酪農などまで広範に及ぶと共に、被害額が高額になるためであり、東電側及び被害者側双方にとってこのような支援機構が設立され、円滑な賠償支払いが保証されることになることは望ましい。
 1、必要となる「損害賠償」責任の明確化
 しかし「損害賠償」である以上、見舞金などとは異なり、「加害者」の明確化と、故意、過失、無作為など、加害者の責任の重さが明らかにされると共に、賠償の範囲等が示されなくてはならない。
 東京電力福島原発の原子炉が冷却不能に陥ったため、使用済み核燃料棒と炉心融解によって爆発とその後の冷却水の注入などによる放射能物質の飛散と汚染水の海水等への流失による被害であり、事故発生後の東電側の対応上の過失や無作為の責任は明らかである。
 だが福島原発自体も三陸沖大地震と津波の被害者であり、原発事故は自然災害のため発生したものである。三陸沖大地震・津波等への防災対策については、政府の被災地復興構想会議の報告書でも、今回の地震・津波が「想定外」の規模としているので、原子力発電所については特別の注意を要するところではあるが、一企業が想定できる規模、或いは通常の注意義務の範囲を超えていたと言えるところであり、東電側の故意はもとよりのことであるが、業務上過失についても一企業としての責任を全面的に問える状況にも無い。従って賠償責任も無制限とすることは適当ではない。福島県の関係地域、地方公共団体も、原発誘致に伴い可なりの交付金、補助金等や港湾を含むインフラ整備などで恩恵を受けていたところであるので、お気の毒ではあるが、無制限に賠償を請求出来るということでもないのであろう。
他方、冷却水循環に必要な電力のバックアップ体制の脆弱性や原子炉事故などにより放射能漏れを起こした場合のハード・ソフトの備えがほとんどなされていなかったことなどの基本的な反省点や課題はある。しかしそれらは一企業だけの問題ではなく、原子力政策を進めて来たこれまでの政府、行政各部と地方公共団体が対応を策定し、企業や地域住民等を的確に指導すべきことであったのであろう。
 関連電力会社の支援については、日本の電力産業の維持、東電の経営危機回避などの観点からのものと言え、賠償責任はない。
 2、「国の責任」とは何か
 問題は、「国の責任」であり、最終的には納税者である国民の税負担となるので、一括りで国の責任という前に、「国の責任」の内容を十分に検討して置く必要がありそうだ。
 今回の福島原発被災事故に係わる損害賠償については、国民の側には、時の政権を選んだという一般的な責任はあり、国難に当たり支援、協力するということはあるが、もとより特定の事故被害について賠償責任はない。「国の責任」という場合、直接には原子力政策推進に責任を持つ内閣と行政事務を担当する行政組織、直接には経産省、特に原子力安全・保安院とエネルギー庁、原子力安全委員会であり、また関係地方公共団体も一定の責任があろう。また広い意味では、原子力関連法案や予算を採択している国会議員の責任も問われなくてはならない。野党自民党は、原子力政策は国の政策として進めて来ているので、国がもっと責任を持つべきだとしている。それが国民の負担増を意味するのであれば筋は違う。
 まず経産省、特に原子力安全・保安院とエネルギー庁、原子力安全委員会、そして内閣の責任が問われなくてはならない。本来であれば、被災被害については、原子力施設の防災上の措置がハード、ソフト双方の面で過失等がなかったか否かを点検して置くことが今後の対応のためにも必要であろう。結果的に関係部局等で賠償するということは困難であろうから、内閣及び行政組織全体で、国有財産の整理・処分、公用車の大幅削減、公務員宿舎家賃の引き上げ或いは廃止・処分、給与・ボーナスの減額、及び全般的な節約などを検討すべきなのであろう。また国会議員についても同様の節減が検討されるべきなのであろう。
 福島県の関係地域も、原発誘致に伴い各種の恩恵を受けていたところであり、無制限に賠償を請求出来るということでもないので、関係地域の復旧・復興費用は別として、「賠償額」の範囲を定めて置く必要があろう。
 今回の地域住民の被害やご苦労については心よりお見舞いするところであるが、被害への「賠償」ということであるのでまず責任の有無や範囲が問われなくてはならない。それがないまま納税者である国民に負担を転嫁することは望ましくない。今回の福島原発被災事故については、同県だけでなく関東一円において、直接、間接の多くの国民、経済活動が影響を受けている。(2011.07.14)
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2011-07-20 | Weblog
シリーズ平成の本音 福島原発被災事故の賠償、問われる責任問題
 7月8日、福島原発被災事故による被害者への賠償支払いを促進、支援するため、原子力損害賠償支援機構法案が衆議院で審議入りした。
 福島原発を経営する東京電力を主たる賠償支払い者としつつ、東京電力の支払い能力を補強、支援するため、他の電力会社と国が支援する支援機構を設置するというのが骨格となる。
 被害が、放射能汚染により退避、避難を強いられている家族から漁業、農業・酪農などまで広範に及ぶと共に、被害額が高額になるためであり、東電側及び被害者側双方にとってこのような支援機構が設立され、円滑な賠償支払いが保証されることになることは望ましい。
 1、必要となる「損害賠償」責任の明確化
 しかし「損害賠償」である以上、見舞金などとは異なり、「加害者」の明確化と、故意、過失、無作為など、加害者の責任の重さが明らかにされると共に、賠償の範囲等が示されなくてはならない。
 東京電力福島原発の原子炉が冷却不能に陥ったため、使用済み核燃料棒と炉心融解によって爆発とその後の冷却水の注入などによる放射能物質の飛散と汚染水の海水等への流失による被害であり、事故発生後の東電側の対応上の過失や無作為の責任は明らかである。
 だが福島原発自体も三陸沖大地震と津波の被害者であり、原発事故は自然災害のため発生したものである。三陸沖大地震・津波等への防災対策については、政府の被災地復興構想会議の報告書でも、今回の地震・津波が「想定外」の規模としているので、原子力発電所については特別の注意を要するところではあるが、一企業が想定できる規模、或いは通常の注意義務の範囲を超えていたと言えるところであり、東電側の故意はもとよりのことであるが、業務上過失についても一企業としての責任を全面的に問える状況にも無い。従って賠償責任も無制限とすることは適当ではない。福島県の関係地域、地方公共団体も、原発誘致に伴い可なりの交付金、補助金等や港湾を含むインフラ整備などで恩恵を受けていたところであるので、お気の毒ではあるが、無制限に賠償を請求出来るということでもないのであろう。
他方、冷却水循環に必要な電力のバックアップ体制の脆弱性や原子炉事故などにより放射能漏れを起こした場合のハード・ソフトの備えがほとんどなされていなかったことなどの基本的な反省点や課題はある。しかしそれらは一企業だけの問題ではなく、原子力政策を進めて来たこれまでの政府、行政各部と地方公共団体が対応を策定し、企業や地域住民等を的確に指導すべきことであったのであろう。
 関連電力会社の支援については、日本の電力産業の維持、東電の経営危機回避などの観点からのものと言え、賠償責任はない。
 2、「国の責任」とは何か
 問題は、「国の責任」であり、最終的には納税者である国民の税負担となるので、一括りで国の責任という前に、「国の責任」の内容を十分に検討して置く必要がありそうだ。
 今回の福島原発被災事故に係わる損害賠償については、国民の側には、時の政権を選んだという一般的な責任はあり、国難に当たり支援、協力するということはあるが、もとより特定の事故被害について賠償責任はない。「国の責任」という場合、直接には原子力政策推進に責任を持つ内閣と行政事務を担当する行政組織、直接には経産省、特に原子力安全・保安院とエネルギー庁、原子力安全委員会であり、また関係地方公共団体も一定の責任があろう。また広い意味では、原子力関連法案や予算を採択している国会議員の責任も問われなくてはならない。野党自民党は、原子力政策は国の政策として進めて来ているので、国がもっと責任を持つべきだとしている。それが国民の負担増を意味するのであれば筋は違う。
 まず経産省、特に原子力安全・保安院とエネルギー庁、原子力安全委員会、そして内閣の責任が問われなくてはならない。本来であれば、被災被害については、原子力施設の防災上の措置がハード、ソフト双方の面で過失等がなかったか否かを点検して置くことが今後の対応のためにも必要であろう。結果的に関係部局等で賠償するということは困難であろうから、内閣及び行政組織全体で、国有財産の整理・処分、公用車の大幅削減、公務員宿舎家賃の引き上げ或いは廃止・処分、給与・ボーナスの減額、及び全般的な節約などを検討すべきなのであろう。また国会議員についても同様の節減が検討されるべきなのであろう。
 福島県の関係地域も、原発誘致に伴い各種の恩恵を受けていたところであり、無制限に賠償を請求出来るということでもないので、関係地域の復旧・復興費用は別として、「賠償額」の範囲を定めて置く必要があろう。
 今回の地域住民の被害やご苦労については心よりお見舞いするところであるが、被害への「賠償」ということであるのでまず責任の有無や範囲が問われなくてはならない。それがないまま納税者である国民に負担を転嫁することは望ましくない。(2011.07.14)(All Rights Reserved.)(不許無断転載)
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シリーズの本音 大衆課徴金化するNHK受信料

2011-07-20 | Weblog
シリーズの本音 大衆課徴金化するNHK受信料
 7月12日、NHKの「受信料制度等専門調査会」は、“パソコンなどの通信端末のみで受信する人からも受信料を徴収する”などの徴収強化の報告書を公表した。
 テレビの普及率は、1975年前後から飛躍的に増加し、79年以降98~99%を維持しており、ほぼ全ての家庭がテレビを持ち、受信料の対象となり、既に大衆課徴金化している。パソコンの普及率は、2009年で73%強ではあるが、学生等若い世代が使用している場合が多いので、パソコンもNHK受信料の対象とすると、給与所得を得ていない者をも対象とする大衆課徴金化が更に進み、義務的な大衆課税の意味合いが強くなる。「総合放送料」に加え、衛星放送(BS)料も別途徴収している。
 NHKの事業規模は、6,800億円規模に達し、民放テレビ5社の平均の2倍以上になっており、テレビの急速な発展に乗って受信料収入が飛躍的の増加し、肥大化している。NHKが日本のテレビ放送の発展や技術面での発展に大きな貢献をしたことは評価出来る。しかし今や民放テレビ5社が存在し、海外の衛星放送など多くのTV番組が見られる状況になっており、NHKの放送事業は、民放の商業ベースでは継続出来ない「公共性」のある放送番組に限定し、法定の有料放送事業としては大幅に縮小して良い時期に来ていると言えよう。更にパソコンまで受信料を聴取し、事業を拡大する必要性は全く認められない。何のために増収を図り、事業を拡大するのか。増収を図る前に「公共放送」に何が求められているかを問うべきである。過去にテレビの飛躍的な普及により、受信料収入が増え、事業費を肥大化させた過ちを繰り返すべきではない。増収、拡大だけが自己目的化しているだけにしか見えない。「公共放送」として必要なのは多分3分の1程度であり、その他の番組等は需要があるものについては民放化するか契約による有料放送にすれば良い。報道の自由があるのであれば、見る側、聞く側にも番組や放送局を選択する自由が認められて良いし、現在視聴者側は多くの選択が可能な状況になっている。受信料も3分の1程度に引き下げて良いのではないか。そうであれば受信料を個別に徴収することを廃止して、国家予算の中で交付金などとして支給することとすれば、毎年数十億円も掛けている戸別訪問徴収費の無駄を省ける。
 福島原発被災事故により、関東地方は15%の節電を強いられている。NHKはじめTV放送局が、照明と冷房で多量の電力を消費するスタジオ放送を日中大幅に節減すれば節電効果は大きいし、抜本的にNHKの公共放送を縮減すれば中長期的な節電にもなるだろう。日常となっているNHKの放送は、何時の間にか非日常の規模に肥大化してしまった。視聴者の負担軽減と選択の自由などの観点から、NHK公共放送の事業を抜本的に厳選し、適正な規模、内容にする時期であろう。(2011.07.14)(All Rights Reserved.)(不許無断転載)
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シリーズの本音 大衆課徴金化するNHK受信料

2011-07-20 | Weblog
シリーズの本音 大衆課徴金化するNHK受信料
 7月12日、NHKの「受信料制度等専門調査会」は、“パソコンなどの通信端末のみで受信する人からも受信料を徴収する”などの徴収強化の報告書を公表した。
 テレビの普及率は、1975年前後から飛躍的に増加し、79年以降98~99%を維持しており、ほぼ全ての家庭がテレビを持ち、受信料の対象となり、既に大衆課徴金化している。パソコンの普及率は、2009年で73%強ではあるが、学生等若い世代が使用している場合が多いので、パソコンもNHK受信料の対象とすると、給与所得を得ていない者をも対象とする大衆課徴金化が更に進み、義務的な大衆課税の意味合いが強くなる。「総合放送料」に加え、衛星放送(BS)料も別途徴収している。
 NHKの事業規模は、6,800億円規模に達し、民放テレビ5社の平均の2倍以上になっており、テレビの急速な発展に乗って受信料収入が飛躍的の増加し、肥大化している。NHKが日本のテレビ放送の発展や技術面での発展に大きな貢献をしたことは評価出来る。しかし今や民放テレビ5社が存在し、海外の衛星放送など多くのTV番組が見られる状況になっており、NHKの放送事業は、民放の商業ベースでは継続出来ない「公共性」のある放送番組に限定し、法定の有料放送事業としては大幅に縮小して良い時期に来ていると言えよう。更にパソコンまで受信料を聴取し、事業を拡大する必要性は全く認められない。何のために増収を図り、事業を拡大するのか。増収を図る前に「公共放送」に何が求められているかを問うべきである。過去にテレビの飛躍的な普及により、受信料収入が増え、事業費を肥大化させた過ちを繰り返すべきではない。増収、拡大だけが自己目的化しているだけにしか見えない。「公共放送」として必要なのは多分3分の1程度であり、その他の番組等は需要があるものについては民放化するか契約による有料放送にすれば良い。報道の自由があるのであれば、見る側、聞く側にも番組や放送局を選択する自由が認められて良いし、現在視聴者側は多くの選択が可能な状況になっている。受信料も3分の1程度に引き下げて良いのではないか。そうであれば受信料を個別に徴収することを廃止して、国家予算の中で交付金などとして支給することとすれば、毎年数十億円も掛けている戸別訪問徴収費の無駄を省ける。
 福島原発被災事故により、関東地方は15%の節電を強いられている。NHKはじめTV放送局が、照明と冷房で多量の電力を消費するスタジオ放送を日中大幅に節減すれば節電効果は大きいし、抜本的にNHKの公共放送を縮減すれば中長期的な節電にもなるだろう。日常となっているNHKの放送は、何時の間にか非日常の規模に肥大化してしまった。視聴者の負担軽減と選択の自由などの観点から、NHK公共放送の事業を抜本的に厳選し、適正な規模、内容にする時期であろう。(2011.07.14)(All Rights Reserved.)(不許無断転載)
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2011-07-20 | Weblog
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 7月12日、NHKの「受信料制度等専門調査会」は、“パソコンなどの通信端末のみで受信する人からも受信料を徴収する”などの徴収強化の報告書を公表した。
 テレビの普及率は、1975年前後から飛躍的に増加し、79年以降98~99%を維持しており、ほぼ全ての家庭がテレビを持ち、受信料の対象となり、既に大衆課徴金化している。パソコンの普及率は、2009年で73%強ではあるが、学生等若い世代が使用している場合が多いので、パソコンもNHK受信料の対象とすると、給与所得を得ていない者をも対象とする大衆課徴金化が更に進み、義務的な大衆課税の意味合いが強くなる。「総合放送料」に加え、衛星放送(BS)料も別途徴収している。
 NHKの事業規模は、6,800億円規模に達し、民放テレビ5社の平均の2倍以上になっており、テレビの急速な発展に乗って受信料収入が飛躍的の増加し、肥大化している。NHKが日本のテレビ放送の発展や技術面での発展に大きな貢献をしたことは評価出来る。しかし今や民放テレビ5社が存在し、海外の衛星放送など多くのTV番組が見られる状況になっており、NHKの放送事業は、民放の商業ベースでは継続出来ない「公共性」のある放送番組に限定し、法定の有料放送事業としては大幅に縮小して良い時期に来ていると言えよう。更にパソコンまで受信料を聴取し、事業を拡大する必要性は全く認められない。何のために増収を図り、事業を拡大するのか。増収を図る前に「公共放送」に何が求められているかを問うべきである。過去にテレビの飛躍的な普及により、受信料収入が増え、事業費を肥大化させた過ちを繰り返すべきではない。増収、拡大だけが自己目的化しているだけにしか見えない。「公共放送」として必要なのは多分3分の1程度であり、その他の番組等は需要があるものについては民放化するか契約による有料放送にすれば良い。報道の自由があるのであれば、見る側、聞く側にも番組や放送局を選択する自由が認められて良いし、現在視聴者側は多くの選択が可能な状況になっている。受信料も3分の1程度に引き下げて良いのではないか。そうであれば受信料を個別に徴収することを廃止して、国家予算の中で交付金などとして支給することとすれば、毎年数十億円も掛けている戸別訪問徴収費の無駄を省ける。
 福島原発被災事故により、関東地方は15%の節電を強いられている。NHKはじめTV放送局が、照明と冷房で多量の電力を消費するスタジオ放送を日中大幅に節減すれば節電効果は大きいし、抜本的にNHKの公共放送を縮減すれば中長期的な節電にもなるだろう。日常となっているNHKの放送は、何時の間にか非日常の規模に肥大化してしまった。視聴者の負担軽減と選択の自由などの観点から、NHK公共放送の事業を抜本的に厳選し、適正な規模、内容にする時期であろう。(2011.07.14)(All Rights Reserved.)(不許無断転載)
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