シリーズ平成の本音 笑える映像6ーTVコメンテーター
お盆中頃のあるテレビ局のモーニング・バードという番組で、近畿地方に予想を超える豪雨が降り、随所で洪水が発生したことを放送した。これに対し、コメンテーターのH氏が、“豪雨は予想を超えるもので、これまで想定された防災施設では対応が出来ないことが分かってきた。役所がすべきことは、逃げろということで、役所がそれを出来ていない。”と役所の対応を批判した。一体何を言っているのだろう。音になっているが笑ってしまう。
自然災害や事件事故で危険が迫った時には、その場にいる人が最も早くその状況を見れるし、判断できるのであり、役所の指示を待っている場合でもない。役所の側も、現実論として全ての危険箇所を予想できるわけでもなく、掌握出来るわけでもない。役所に情報が入るのは、土砂崩れが起ったとか、川が決壊したとかの後だ。国民一人一人が自らの命はまず自らで守るという意識を持つことが大切で、役所が個々の住民を守りきれるものでもない。膨大な役所を作り、住民を手取り足取り指導し、誘導できれば別だが、そのような膨大な役所を作ることは不適切だ。国民から判断する意識を削ぎ、何でもかんでも役所の責任などと言って来たから、行政依存の膨大な役所制度が出来てきたのではないか。それなれそれで、高い税負担を容認すべきであろう。
一体報道は何のために、そして誰のために行っているのであろうか。正確でバランスの取れた情報を提供して、視聴者が自ら判断出来るようにするためではないのだろうか。国民から判断する意識を削ぎ、お役所頼みの国民を作ることではないはずだ。幼稚園や小学校でもあるまいし、国民から判断する意識を削ぎ、お役所頼みの国民、過保護な国民を作ることではないはずだ。
もっともH氏は、声はメデイア向きだが、せいぜい新聞情報か、古い意識で発言していることが多く、コメントするにも当たらないのかもしれない。コメンテーターや評論家の清新さがなくなっており、また時代の要請からも沿わないビジネスになっているようにも見える。だからお笑いタレント頼みとなるのだろうが、すでにマンネリ化してきている。(2012.08.15.)
(All Rights Reserved.)(不許無断引用)
お盆中頃のあるテレビ局のモーニング・バードという番組で、近畿地方に予想を超える豪雨が降り、随所で洪水が発生したことを放送した。これに対し、コメンテーターのH氏が、“豪雨は予想を超えるもので、これまで想定された防災施設では対応が出来ないことが分かってきた。役所がすべきことは、逃げろということで、役所がそれを出来ていない。”と役所の対応を批判した。一体何を言っているのだろう。音になっているが笑ってしまう。
自然災害や事件事故で危険が迫った時には、その場にいる人が最も早くその状況を見れるし、判断できるのであり、役所の指示を待っている場合でもない。役所の側も、現実論として全ての危険箇所を予想できるわけでもなく、掌握出来るわけでもない。役所に情報が入るのは、土砂崩れが起ったとか、川が決壊したとかの後だ。国民一人一人が自らの命はまず自らで守るという意識を持つことが大切で、役所が個々の住民を守りきれるものでもない。膨大な役所を作り、住民を手取り足取り指導し、誘導できれば別だが、そのような膨大な役所を作ることは不適切だ。国民から判断する意識を削ぎ、何でもかんでも役所の責任などと言って来たから、行政依存の膨大な役所制度が出来てきたのではないか。それなれそれで、高い税負担を容認すべきであろう。
一体報道は何のために、そして誰のために行っているのであろうか。正確でバランスの取れた情報を提供して、視聴者が自ら判断出来るようにするためではないのだろうか。国民から判断する意識を削ぎ、お役所頼みの国民を作ることではないはずだ。幼稚園や小学校でもあるまいし、国民から判断する意識を削ぎ、お役所頼みの国民、過保護な国民を作ることではないはずだ。
もっともH氏は、声はメデイア向きだが、せいぜい新聞情報か、古い意識で発言していることが多く、コメントするにも当たらないのかもしれない。コメンテーターや評論家の清新さがなくなっており、また時代の要請からも沿わないビジネスになっているようにも見える。だからお笑いタレント頼みとなるのだろうが、すでにマンネリ化してきている。(2012.08.15.)
(All Rights Reserved.)(不許無断引用)