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シリーズ平成の本音―消費増税で個人消費は腰折れか? (その1)

2013-06-03 | Weblog
シリーズ平成の本音―消費増税で個人消費は腰折れか? (その1)
 5月16日、内閣府は2013年1~3月期の国内総生産(GDP)速報値を発表し、実質で前期比0.9%増、年率換算で3.5%増となることを明らかにした。
 バブル経済崩壊後、2008年9月の米国の証券会社破綻によるリーマン・ショックを挟んで15年近く停滞していた日本経済にとって一条の光であり歓迎したい。
 しかしそれは、回復への入口であり、効果も非常に局部的である上、為替や株価も欧米や中国などの世界経済動向により神経質な動きを見せることもあるので、今後の推移を見極めて行く必要がある。
 1、消費増税とインフレ先行を見越した駆け込み需要
 2013年1-3月期の需要の回復は、過度な円高から円安に是正され始めたことによ
る輸出産業の持ち直しと輸出見通しの好転が原動力となっている。
そして輸出関連企業の収益回復により輸出関連企業の株価回復により、株式や信託投資等の資産保有者の資産価値が回復し、これら資産保有層の個人消費の増加に繋がっていると見られる。要するに個人消費は、1990年代中頃から始まった資産デフレが、97年のアジアの金融危機、2008年9月の米国発の証券・金融危機を挟んで長期化した資産デフレがある程度回復していることから、これら資産保有層を中心とて回復していると言えよう。
 更に円安への是正は、輸出関連産業の収益を回復させると共に、輸出関連企業の株式を保有している多くの企業の含み資産を増加させ、3月末の企業収益を回復させ、これが更に株価を押し上げている。
そして株価の回復は、株式や信託投資など資産を保有する層の個人消費を高めた。特に、2014年4月から8%への消費増税と“次元の異なる”金融緩和策によるインフレ誘導からインフレ、物価高と金利の上昇への懸念があるため、住宅や高級家具、自動車、宝飾品などの高級品への個人消費が高まっており、いわば消費増税、インフレ懸念を見越した駆け込み需要が牽引していると見ることが出来る。
 事実、個人消費は住宅や高級家具、自動車、宝飾品などの高級品を中心として活発になっている。
バブル経済が頂点に達した1990年前後には、土地や住宅などは一生買えなくなるのではないかとの不安が襲い、高い土地や住宅を購入し、その後のバブル崩壊と資産デフレによる土地、住宅価格の暴落と高額の借金で苦しんだ人は少なくない。そのインフレ、金利高への深い不安が土地、住宅や高級品買いに走らせているのかもしれない。
 外国の高級ブランド品については、円高の時期に仕入れられた在庫が残っている内にという心理も働いているのだろう。
 2014年4月からの消費増税の前に、そしてインフレが先行しない前に、前倒しで土地、住宅、自動車や高級品を買っておくという駆け込み需要、個人消費の増加はそう長続きするものではない。
 他方、株高などとはほとんど無関係な一般消費者については、消費増税とインフレ懸念から、将来に備えての節約、貯金と買い貯め出来るものは買い貯めするとの心理が働く。インフレになっても年金給付額は上がる保証はない。消費増税とインフレを前にした一般消費者にとって、生活防衛のためのキーワードは、節約と“安いもの”、或いは“安い内”に消費し、買い貯め出来るものは買い貯めするということであろう。その面での消費は局部的に増加しているが、全体としての流れは節約だ。しかし買いだめ消費も長続きはしない。
 2、消費増税実施後、駆け込み需要、買いだめ消費は激減する?!     (その2に掲載)
 3、株高で年金運用資金や税収が顕著に改善、それでも消費増税するのか! (その3に掲載)
(2013.5.24.)(All Rights Reserved.)(不許無断引用)
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シリーズ平成の本音―消費増税で個人消費は腰折れか? (その1)

2013-06-03 | Weblog
シリーズ平成の本音―消費増税で個人消費は腰折れか? (その1)
 5月16日、内閣府は2013年1~3月期の国内総生産(GDP)速報値を発表し、実質で前期比0.9%増、年率換算で3.5%増となることを明らかにした。
 バブル経済崩壊後、2008年9月の米国の証券会社破綻によるリーマン・ショックを挟んで15年近く停滞していた日本経済にとって一条の光であり歓迎したい。
 しかしそれは、回復への入口であり、効果も非常に局部的である上、為替や株価も欧米や中国などの世界経済動向により神経質な動きを見せることもあるので、今後の推移を見極めて行く必要がある。
 1、消費増税とインフレ先行を見越した駆け込み需要
 2013年1-3月期の需要の回復は、過度な円高から円安に是正され始めたことによ
る輸出産業の持ち直しと輸出見通しの好転が原動力となっている。
そして輸出関連企業の収益回復により輸出関連企業の株価回復により、株式や信託投資等の資産保有者の資産価値が回復し、これら資産保有層の個人消費の増加に繋がっていると見られる。要するに個人消費は、1990年代中頃から始まった資産デフレが、97年のアジアの金融危機、2008年9月の米国発の証券・金融危機を挟んで長期化した資産デフレがある程度回復していることから、これら資産保有層を中心とて回復していると言えよう。
 更に円安への是正は、輸出関連産業の収益を回復させると共に、輸出関連企業の株式を保有している多くの企業の含み資産を増加させ、3月末の企業収益を回復させ、これが更に株価を押し上げている。
そして株価の回復は、株式や信託投資など資産を保有する層の個人消費を高めた。特に、2014年4月から8%への消費増税と“次元の異なる”金融緩和策によるインフレ誘導からインフレ、物価高と金利の上昇への懸念があるため、住宅や高級家具、自動車、宝飾品などの高級品への個人消費が高まっており、いわば消費増税、インフレ懸念を見越した駆け込み需要が牽引していると見ることが出来る。
 事実、個人消費は住宅や高級家具、自動車、宝飾品などの高級品を中心として活発になっている。
バブル経済が頂点に達した1990年前後には、土地や住宅などは一生買えなくなるのではないかとの不安が襲い、高い土地や住宅を購入し、その後のバブル崩壊と資産デフレによる土地、住宅価格の暴落と高額の借金で苦しんだ人は少なくない。そのインフレ、金利高への深い不安が土地、住宅や高級品買いに走らせているのかもしれない。
 外国の高級ブランド品については、円高の時期に仕入れられた在庫が残っている内にという心理も働いているのだろう。
 2014年4月からの消費増税の前に、そしてインフレが先行しない前に、前倒しで土地、住宅、自動車や高級品を買っておくという駆け込み需要、個人消費の増加はそう長続きするものではない。
 他方、株高などとはほとんど無関係な一般消費者については、消費増税とインフレ懸念から、将来に備えての節約、貯金と買い貯め出来るものは買い貯めするとの心理が働く。インフレになっても年金給付額は上がる保証はない。消費増税とインフレを前にした一般消費者にとって、生活防衛のためのキーワードは、節約と“安いもの”、或いは“安い内”に消費し、買い貯め出来るものは買い貯めするということであろう。その面での消費は局部的に増加しているが、全体としての流れは節約だ。しかし買いだめ消費も長続きはしない。
 2、消費増税実施後、駆け込み需要、買いだめ消費は激減する?!     (その2に掲載)
 3、株高で年金運用資金や税収が顕著に改善、それでも消費増税するのか! (その3に掲載)
(2013.5.24.)(All Rights Reserved.)(不許無断引用)
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シリーズ平成の本音―自民党憲法改正草案、これでは国はまとまらない! (その4)

2013-06-03 | Weblog
シリーズ平成の本音―自民党憲法改正草案、これでは国はまとまらない! (その4)
 自民党は、憲法改正草案を公表し、7月に予定されている参議院議員選挙において憲法改正を公約として訴えるとしている。
 自・公政権は、61年前の4月28日、サンフランシスコ講和条約が発効し(1952年)、主権が回復されたことを記念して、天皇皇后両陛下ご出席の下で記念式典を開催した。議事次第には載せていなかったが、閉会に際し“天皇陛下、万歳”を唱えた。これは、1947年5月3日に施行された憲法は、主権が奪われていた占領下で成立したもので、自分たちの意志ではなかったと言っているに他ならない。今回公表された同党憲法改正草案は、時計を戦前の帝国憲法に戻すような復古調が強く、保守政権の改正案とはなっても、これではとてもとても国論を纏められそうにない。
 現行憲法は、成立の経緯は別として、戦争の惨禍を経験した熟年層はもとより、戦後教育を受けた若年層から中堅層まで広く定着して来ているが、ここでは特に、現行憲法から乖離が著しい下記の3点について論点を提供したい。自民党憲法草案は、民主党政権時代の野党であった頃に、全自民党議員の参加の下で3年半を掛けて纏めたと言われており、国家のあり方や、基本的な国民の権利義務、統治機構などについて同党の本質、本音を文字化したものと言えるので、国民が慎重に判断し、選択することが必要のようだ。
 1、天皇の元首としての明文化は世襲元首の恒久化          (その1で掲載)
 2、9条改正で自衛権と共に、軍の治安出動、国民の生命・自由の制限が可能に (その2で掲載)
 3、国民の自由、権利を制限する“公益”、“公の秩序”とは何か?    (その3で掲載)
4、憲法改正判断前に不可欠な1票の格差の解消  
 このように、天皇の元首明文化と大統領制・首相公選制の排除や保守政党政権の恒久化、自衛権の明文化と緊急事態での治安出動や諸権利の制限、そして公益と公の秩序による自由と諸権利の制限などだけをとっても、自民党憲法改正草案には、戦前の旧帝国憲法の下での世襲元首・専制国家、中央統制の強化など、復古的要素が多く含まれており、現行憲法の下での自由や民主主義から、世襲元首・専制国家的な中央統制に逆戻りしている。
 現自民党政権が“日本を取り戻す”とし、1952年4月28日を“主権回復の日”として両陛下を招いて記念することにより、米国など連合国による占領下での現行憲法や諸決定を否定、あるいは見直す姿勢を示していることに沿ったものと言えよう。同憲法改正草案は、全自民党議員が参加し3年以上の検討、審議を経てまとめられているので、単に首相や一部の要路の考え方だけでなく、全自民党議員の考え方であり、同党が目指す日本の国家像に関する本音の現れと見ることが出来る。
 そのような大きな転換、復古について日本国民の選択を迫るのであるから、議員の3分の2であろうと、過半数による提起であろうと、有権者の1票の重さを1対1に近づけ、格差を解消した上で、国民の選択を求めるべきであろう。
 現在、1票の格差により、31の選挙区、31人の衆議院議員が違憲選挙で当選しており、このように歪んだ状態で国会や国民の選択を求めることは、政治の歪みだけでなく、国家の将来を歪める結果となろう。
 自民党は、現在、衆議院議員定数を“05減”で選挙区の区割りを微調整する区割り法案を採択すべく努力しているが、それが実現しても格差は最大で1.998倍となる。有権者の1票の重みが、1対1.998となり、平等などとは決して言えない。子供でも分かる。従って、このような区割り法案が採択され、選挙が行われてもまた憲法違反となろう。
 有権者が平等と言えるのは、投じる票の重みが1対1となることであり、それに近づけることが政治責任だ。従来最高裁は、衆議院で格差が2倍以内、参議院で5倍以内であれば違憲とはしてこなかったが、それは立法府の自主性を尊重し、国会自身による是正を促して来たのであろう。しかし、そのような緩く恣意的な基準が、憲法上の大原則である平等性を歪め、政治の歪みを容認して来たと言えよう。平等原則は民主主義を前提とする現行憲法の大原則であるので、裁判所は司法としての適正な基準を示すべきであろう。このような数字や平等性等に対する恣意的で不適切な解釈、適用が、不明朗な解決や子供の算数の学力低下を知らず知らずに許してきたのではないだろうか。このような数字認識や平等性の解釈をしておきながら、教育改革など出来そうにない。
 ましてや国のあり方を決める憲法の改正を行うというのであれば、3分の2の多数であろうと、過半数であろうと、まず有権者の票の重さを1対1に近い形に是正し、フェアーな形で行うべきであろう。自民党等は、現行憲法を占領下の憲法として尊重しないというのかもしれないが、有権者の票の重さを1対1に近い形にし、フェアーな土俵で判断を求めなければ歪んだ結果しか出て来ない。
 このような有権者を軽視する政党、自・公連立政権を7月の参議院選挙で進出させ、過半数を取らせるようなことは、日本の政治のみならず、民主主義や日本の進路を歪めることになるので、望ましくない。それを判断するのが国民、有権者である。もっとも参院選でまた違憲判決となる可能性もあり、“良識の府”の良識や存在意義が疑問視される可能性がある。          
(2013.5.12.)(All Rights Reserved.)(不許無断引用)
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シリーズ平成の本音―自民党憲法改正草案、これでは国はまとまらない! (その4)

2013-06-03 | Weblog
シリーズ平成の本音―自民党憲法改正草案、これでは国はまとまらない! (その4)
 自民党は、憲法改正草案を公表し、7月に予定されている参議院議員選挙において憲法改正を公約として訴えるとしている。
 自・公政権は、61年前の4月28日、サンフランシスコ講和条約が発効し(1952年)、主権が回復されたことを記念して、天皇皇后両陛下ご出席の下で記念式典を開催した。議事次第には載せていなかったが、閉会に際し“天皇陛下、万歳”を唱えた。これは、1947年5月3日に施行された憲法は、主権が奪われていた占領下で成立したもので、自分たちの意志ではなかったと言っているに他ならない。今回公表された同党憲法改正草案は、時計を戦前の帝国憲法に戻すような復古調が強く、保守政権の改正案とはなっても、これではとてもとても国論を纏められそうにない。
 現行憲法は、成立の経緯は別として、戦争の惨禍を経験した熟年層はもとより、戦後教育を受けた若年層から中堅層まで広く定着して来ているが、ここでは特に、現行憲法から乖離が著しい下記の3点について論点を提供したい。自民党憲法草案は、民主党政権時代の野党であった頃に、全自民党議員の参加の下で3年半を掛けて纏めたと言われており、国家のあり方や、基本的な国民の権利義務、統治機構などについて同党の本質、本音を文字化したものと言えるので、国民が慎重に判断し、選択することが必要のようだ。
 1、天皇の元首としての明文化は世襲元首の恒久化          (その1で掲載)
 2、9条改正で自衛権と共に、軍の治安出動、国民の生命・自由の制限が可能に (その2で掲載)
 3、国民の自由、権利を制限する“公益”、“公の秩序”とは何か?    (その3で掲載)
4、憲法改正判断前に不可欠な1票の格差の解消  
 このように、天皇の元首明文化と大統領制・首相公選制の排除や保守政党政権の恒久化、自衛権の明文化と緊急事態での治安出動や諸権利の制限、そして公益と公の秩序による自由と諸権利の制限などだけをとっても、自民党憲法改正草案には、戦前の旧帝国憲法の下での世襲元首・専制国家、中央統制の強化など、復古的要素が多く含まれており、現行憲法の下での自由や民主主義から、世襲元首・専制国家的な中央統制に逆戻りしている。
 現自民党政権が“日本を取り戻す”とし、1952年4月28日を“主権回復の日”として両陛下を招いて記念することにより、米国など連合国による占領下での現行憲法や諸決定を否定、あるいは見直す姿勢を示していることに沿ったものと言えよう。同憲法改正草案は、全自民党議員が参加し3年以上の検討、審議を経てまとめられているので、単に首相や一部の要路の考え方だけでなく、全自民党議員の考え方であり、同党が目指す日本の国家像に関する本音の現れと見ることが出来る。
 そのような大きな転換、復古について日本国民の選択を迫るのであるから、議員の3分の2であろうと、過半数による提起であろうと、有権者の1票の重さを1対1に近づけ、格差を解消した上で、国民の選択を求めるべきであろう。
 現在、1票の格差により、31の選挙区、31人の衆議院議員が違憲選挙で当選しており、このように歪んだ状態で国会や国民の選択を求めることは、政治の歪みだけでなく、国家の将来を歪める結果となろう。
 自民党は、現在、衆議院議員定数を“05減”で選挙区の区割りを微調整する区割り法案を採択すべく努力しているが、それが実現しても格差は最大で1.998倍となる。有権者の1票の重みが、1対1.998となり、平等などとは決して言えない。子供でも分かる。従って、このような区割り法案が採択され、選挙が行われてもまた憲法違反となろう。
 有権者が平等と言えるのは、投じる票の重みが1対1となることであり、それに近づけることが政治責任だ。従来最高裁は、衆議院で格差が2倍以内、参議院で5倍以内であれば違憲とはしてこなかったが、それは立法府の自主性を尊重し、国会自身による是正を促して来たのであろう。しかし、そのような緩く恣意的な基準が、憲法上の大原則である平等性を歪め、政治の歪みを容認して来たと言えよう。平等原則は民主主義を前提とする現行憲法の大原則であるので、裁判所は司法としての適正な基準を示すべきであろう。このような数字や平等性等に対する恣意的で不適切な解釈、適用が、不明朗な解決や子供の算数の学力低下を知らず知らずに許してきたのではないだろうか。このような数字認識や平等性の解釈をしておきながら、教育改革など出来そうにない。
 ましてや国のあり方を決める憲法の改正を行うというのであれば、3分の2の多数であろうと、過半数であろうと、まず有権者の票の重さを1対1に近い形に是正し、フェアーな形で行うべきであろう。自民党等は、現行憲法を占領下の憲法として尊重しないというのかもしれないが、有権者の票の重さを1対1に近い形にし、フェアーな土俵で判断を求めなければ歪んだ結果しか出て来ない。
 このような有権者を軽視する政党、自・公連立政権を7月の参議院選挙で進出させ、過半数を取らせるようなことは、日本の政治のみならず、民主主義や日本の進路を歪めることになるので、望ましくない。それを判断するのが国民、有権者である。もっとも参院選でまた違憲判決となる可能性もあり、“良識の府”の良識や存在意義が疑問視される可能性がある。          
(2013.5.12.)(All Rights Reserved.)(不許無断引用)
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シリーズ平成の本音―自民党憲法改正草案、これでは国はまとまらない! (その3)

2013-06-03 | Weblog
シリーズ平成の本音―自民党憲法改正草案、これでは国はまとまらない! (その3)
 自民党は、憲法改正草案を公表し、7月に予定されている参議院議員選挙において憲法改正を公約として訴えるとしている。
 自・公政権は、61年前の4月28日、サンフランシスコ講和条約が発効し(1952年)、主権が回復されたことを記念して、天皇皇后両陛下ご出席の下で記念式典を開催した。議事次第には載せていなかったが、閉会に際し“天皇陛下、万歳”を唱えた。これは、1947年5月3日に施行された憲法は、主権が奪われていた占領下で成立したもので、自分たちの意志ではなかったと言っているに他ならない。今回公表された同党憲法改正草案は、時計を戦前の帝国憲法に戻すような復古調が強く、保守政権の改正案とはなっても、これではとてもとても国論を纏められそうにない。
 現行憲法は、成立の経緯は別として、戦争の惨禍を経験した熟年層はもとより、戦後教育を受けた若年層から中堅層まで広く定着して来ているが、ここでは特に、現行憲法から乖離が著しい下記の3点について論点を提供したい。自民党憲法草案は、民主党政権時代の野党であった頃に、全自民党議員の参加の下で3年半を掛けて纏めたと言われており、国家のあり方や、基本的な国民の権利義務、統治機構などについて同党の本質、本音を文字化したものと言えるので、国民が慎重に判断し、選択することが必要のようだ。
 1、天皇の元首としての明文化は世襲元首の恒久化          (その1で掲載)
 2、9条改正で自衛権と共に、軍の治安出動、国民の生命・自由の制限が可能に (その2で掲載)
 3、国民の自由、権利を制限する“公益”、“公の秩序”とは何か?        
現行憲法では、国民は”個人”として尊重され、諸権利はこれを濫用してはならず、”公共の福利に利用する責任を負う”とされている。
同党の改正草案では、国民は“人”として尊重され、自由と権利は乱用してはならず、“常に公益及び公の秩序に反してはならない”と規定(12条)されている。さらっと読むと問題なさそうであるが、実は問題が多い。
まず国民は“人”として尊重されとあるが、これまで国民は“人”として尊重されていなかったのであろうか。その上、“個人”としての尊重が削除され、個人主義が消えることになる。そして自由と諸権利は、“公益及び公の秩序”に反してはならないとして規制さる(12条)。更に、生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利は、”公益及び公の秩序に反しない限り”、立法その他の国政の上で、最大限に尊重されると規定され(13条)、”公益及び公の秩序”が優先する形となっている。個人の自由や権利に対する国家権力の制限が加え易くなる上、”公益及び公の秩序”については非常に広い概念であり、恣意的な解釈が可能となり、法令でいかようにでも規制が出来る。
このように、同党の憲法改正草案は、“個人主義”を否定し、生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利を”公益及び公の秩序”により制限するものであるが、現行憲法でも身勝手な行き過ぎた個人主義については、公共の福祉に沿うよう戒められている。それを更に強化することは、個人主義から全体主義へ近づけることを意味し、国民としては慎重な判断が求められる。
4、憲法改正判断前に不可欠な1票の格差の解消            (その4に掲載)
(2013.5.12.)(All Rights Reserved.)(不許無断引用)
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シリーズ平成の本音―自民党憲法改正草案、これでは国はまとまらない! (その3)

2013-06-03 | Weblog
シリーズ平成の本音―自民党憲法改正草案、これでは国はまとまらない! (その3)
 自民党は、憲法改正草案を公表し、7月に予定されている参議院議員選挙において憲法改正を公約として訴えるとしている。
 自・公政権は、61年前の4月28日、サンフランシスコ講和条約が発効し(1952年)、主権が回復されたことを記念して、天皇皇后両陛下ご出席の下で記念式典を開催した。議事次第には載せていなかったが、閉会に際し“天皇陛下、万歳”を唱えた。これは、1947年5月3日に施行された憲法は、主権が奪われていた占領下で成立したもので、自分たちの意志ではなかったと言っているに他ならない。今回公表された同党憲法改正草案は、時計を戦前の帝国憲法に戻すような復古調が強く、保守政権の改正案とはなっても、これではとてもとても国論を纏められそうにない。
 現行憲法は、成立の経緯は別として、戦争の惨禍を経験した熟年層はもとより、戦後教育を受けた若年層から中堅層まで広く定着して来ているが、ここでは特に、現行憲法から乖離が著しい下記の3点について論点を提供したい。自民党憲法草案は、民主党政権時代の野党であった頃に、全自民党議員の参加の下で3年半を掛けて纏めたと言われており、国家のあり方や、基本的な国民の権利義務、統治機構などについて同党の本質、本音を文字化したものと言えるので、国民が慎重に判断し、選択することが必要のようだ。
 1、天皇の元首としての明文化は世襲元首の恒久化          (その1で掲載)
 2、9条改正で自衛権と共に、軍の治安出動、国民の生命・自由の制限が可能に (その2で掲載)
 3、国民の自由、権利を制限する“公益”、“公の秩序”とは何か?        
現行憲法では、国民は”個人”として尊重され、諸権利はこれを濫用してはならず、”公共の福利に利用する責任を負う”とされている。
同党の改正草案では、国民は“人”として尊重され、自由と権利は乱用してはならず、“常に公益及び公の秩序に反してはならない”と規定(12条)されている。さらっと読むと問題なさそうであるが、実は問題が多い。
まず国民は“人”として尊重されとあるが、これまで国民は“人”として尊重されていなかったのであろうか。その上、“個人”としての尊重が削除され、個人主義が消えることになる。そして自由と諸権利は、“公益及び公の秩序”に反してはならないとして規制さる(12条)。更に、生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利は、”公益及び公の秩序に反しない限り”、立法その他の国政の上で、最大限に尊重されると規定され(13条)、”公益及び公の秩序”が優先する形となっている。個人の自由や権利に対する国家権力の制限が加え易くなる上、”公益及び公の秩序”については非常に広い概念であり、恣意的な解釈が可能となり、法令でいかようにでも規制が出来る。
このように、同党の憲法改正草案は、“個人主義”を否定し、生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利を”公益及び公の秩序”により制限するものであるが、現行憲法でも身勝手な行き過ぎた個人主義については、公共の福祉に沿うよう戒められている。それを更に強化することは、個人主義から全体主義へ近づけることを意味し、国民としては慎重な判断が求められる。
4、憲法改正判断前に不可欠な1票の格差の解消            (その4に掲載)
(2013.5.12.)(All Rights Reserved.)(不許無断引用)
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シリーズ平成の本音―自民党憲法改正草案、これでは国はまとまらない! (その2)

2013-06-03 | Weblog
シリーズ平成の本音―自民党憲法改正草案、これでは国はまとまらない! (その2)
 自民党は、憲法改正草案を公表し、7月に予定されている参議院議員選挙において憲法改正を公約として訴えるとしている。
 自・公政権は、61年前の4月28日、サンフランシスコ講和条約が発効し(1952年)、主権が回復されたことを記念して、天皇皇后両陛下ご出席の下で記念式典を開催した。議事次第には載せていなかったが、閉会に際し“天皇陛下、万歳”を唱えた。これは、1947年5月3日に施行された憲法は、主権が奪われていた占領下で成立したもので、自分たちの意志ではなかったと言っているに他ならない。今回公表された同党憲法改正草案は、時計を戦前の帝国憲法に戻すような復古調が強く、保守政権の改正案とはなっても、これではとてもとても国論を纏められそうにない。
 現行憲法は、成立の経緯は別として、戦争の惨禍を経験した熟年層はもとより、戦後教育を受けた若年層から中堅層まで広く定着して来ているが、ここでは特に、現行憲法から乖離が著しい下記の3点について論点を提供したい。自民党憲法草案は、民主党政権時代の野党であった頃に、全自民党議員の参加の下で3年半を掛けて纏めたと言われており、国家のあり方や、基本的な国民の権利義務、統治機構などについて同党の本質、本音を文字化したものと言えるので、国民が慎重に判断し、選択することが必要のようだ。
 1、天皇の元首としての明文化は世襲元首の恒久化 (その1で掲載)
 2、9条改正で自衛権と共に、軍の治安出動、国民の生命・自由の制限が可能に
 “国権の発動としての戦争を放棄し、武力による威嚇及び武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては用いない”ことを9条第1項で明記し、武力侵略や積極的、攻撃的な武力の行使等を行わないことを維持していることは評価出来る。
その上で、“自衛権の発動を妨げない”とし、“国防軍”を保持するとしており(同条の二)、名称は別として、自衛権の明確化と、自衛力の保持を明確にしていることも、現実の自衛隊の実体を明確にするものであるので、理解出来る。
 しかし、“総理大臣は、我が国に対する外部からの武力攻撃や地震等による大規模な自然災害”の他、”内乱等による社会秩序の混乱その他の法律で定める緊急事態において、特に必要があると認めるときは、法律の定めるところにより、閣議にかけて、緊急事態の宣言を発する”としている。政府や国の体制に反対する国民が大規模なデモや集会などをの抗議活動を行った場合、緊急事態を発し、国防軍が治安出動などを行えるようになっており、自民党や防衛省は否定するであろうが、極限状態においては、軍がこうした国民に銃を向けることも可能となる。例えば、元首である天皇制に反対し、大統領制や首相公選制を要求し大規模且つ激しいデモ、集会等が行われるようなことがあると、憲法違反行為、国益を損なうなどとして軍を出動させて鎮圧することも可能となる。
 このような重要な規定を国会の過半数で通してしまえば、保守政権は安泰であろうが、民主主義を否定する恐れがある。
更に、”主権と独立を守るため、国民と協力して、領土、領海及び領空を保全し、その資源を確保しなければならない”(9条の3)とし、また、”生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利については、公益及び公の秩序に反しない限り”、最大限に尊重(13条)としていることから、徴兵制の導入や、公益や公の秩序に反した場合には、国民の生命、自由及び幸福追求の権利を制限することも可能になる。 
全体として、天皇を元首とし、国防軍を有し、防衛と共に国内の治安出動を可能にし、国民の生命、自由及び幸福追求の権利を制限することも可能にするなど、実体的に旧帝国憲法の下での専制国家を意図した憲法草案となっている。
 なお改正草案では、”国防軍に属する軍人その他の公務員がその職務の実施に伴う罪又は国防軍の機密に関する罪を犯した場合”のため、”国防軍に審判所を置く”としている。制服組及び背広組双方に、通常の裁判制度の外に軍事裁判所が置かれることになるが、これも軍が独自の審判所を持ち、内局の公務員も対象とし、睨みを利かすことにより、シビリアン・コントロールにも暗黙の影響を与えることとなろう。
 3、国民の自由、権利を制限する“公益”、“公の秩序”とは何か?         (その3に掲載)
4、憲法改正判断前に不可欠な1票の格差の解消           (その4に掲載)
(2013.5.12.)(All Rights Reserved.)(不許無断引用)
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シリーズ平成の本音―自民党憲法改正草案、これでは国はまとまらない! (その2)

2013-06-03 | Weblog
シリーズ平成の本音―自民党憲法改正草案、これでは国はまとまらない! (その2)
 自民党は、憲法改正草案を公表し、7月に予定されている参議院議員選挙において憲法改正を公約として訴えるとしている。
 自・公政権は、61年前の4月28日、サンフランシスコ講和条約が発効し(1952年)、主権が回復されたことを記念して、天皇皇后両陛下ご出席の下で記念式典を開催した。議事次第には載せていなかったが、閉会に際し“天皇陛下、万歳”を唱えた。これは、1947年5月3日に施行された憲法は、主権が奪われていた占領下で成立したもので、自分たちの意志ではなかったと言っているに他ならない。今回公表された同党憲法改正草案は、時計を戦前の帝国憲法に戻すような復古調が強く、保守政権の改正案とはなっても、これではとてもとても国論を纏められそうにない。
 現行憲法は、成立の経緯は別として、戦争の惨禍を経験した熟年層はもとより、戦後教育を受けた若年層から中堅層まで広く定着して来ているが、ここでは特に、現行憲法から乖離が著しい下記の3点について論点を提供したい。自民党憲法草案は、民主党政権時代の野党であった頃に、全自民党議員の参加の下で3年半を掛けて纏めたと言われており、国家のあり方や、基本的な国民の権利義務、統治機構などについて同党の本質、本音を文字化したものと言えるので、国民が慎重に判断し、選択することが必要のようだ。
 1、天皇の元首としての明文化は世襲元首の恒久化 (その1で掲載)
 2、9条改正で自衛権と共に、軍の治安出動、国民の生命・自由の制限が可能に
 “国権の発動としての戦争を放棄し、武力による威嚇及び武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては用いない”ことを9条第1項で明記し、武力侵略や積極的、攻撃的な武力の行使等を行わないことを維持していることは評価出来る。
その上で、“自衛権の発動を妨げない”とし、“国防軍”を保持するとしており(同条の二)、名称は別として、自衛権の明確化と、自衛力の保持を明確にしていることも、現実の自衛隊の実体を明確にするものであるので、理解出来る。
 しかし、“総理大臣は、我が国に対する外部からの武力攻撃や地震等による大規模な自然災害”の他、”内乱等による社会秩序の混乱その他の法律で定める緊急事態において、特に必要があると認めるときは、法律の定めるところにより、閣議にかけて、緊急事態の宣言を発する”としている。政府や国の体制に反対する国民が大規模なデモや集会などをの抗議活動を行った場合、緊急事態を発し、国防軍が治安出動などを行えるようになっており、自民党や防衛省は否定するであろうが、極限状態においては、軍がこうした国民に銃を向けることも可能となる。例えば、元首である天皇制に反対し、大統領制や首相公選制を要求し大規模且つ激しいデモ、集会等が行われるようなことがあると、憲法違反行為、国益を損なうなどとして軍を出動させて鎮圧することも可能となる。
 このような重要な規定を国会の過半数で通してしまえば、保守政権は安泰であろうが、民主主義を否定する恐れがある。
更に、”主権と独立を守るため、国民と協力して、領土、領海及び領空を保全し、その資源を確保しなければならない”(9条の3)とし、また、”生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利については、公益及び公の秩序に反しない限り”、最大限に尊重(13条)としていることから、徴兵制の導入や、公益や公の秩序に反した場合には、国民の生命、自由及び幸福追求の権利を制限することも可能になる。 
全体として、天皇を元首とし、国防軍を有し、防衛と共に国内の治安出動を可能にし、国民の生命、自由及び幸福追求の権利を制限することも可能にするなど、実体的に旧帝国憲法の下での専制国家を意図した憲法草案となっている。
 なお改正草案では、”国防軍に属する軍人その他の公務員がその職務の実施に伴う罪又は国防軍の機密に関する罪を犯した場合”のため、”国防軍に審判所を置く”としている。制服組及び背広組双方に、通常の裁判制度の外に軍事裁判所が置かれることになるが、これも軍が独自の審判所を持ち、内局の公務員も対象とし、睨みを利かすことにより、シビリアン・コントロールにも暗黙の影響を与えることとなろう。
 3、国民の自由、権利を制限する“公益”、“公の秩序”とは何か?         (その3に掲載)
4、憲法改正判断前に不可欠な1票の格差の解消           (その4に掲載)
(2013.5.12.)(All Rights Reserved.)(不許無断引用)
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シリーズ平成の本音―自民党憲法改正草案、これでは国はまとまらない! (その1)

2013-06-03 | Weblog
シリーズ平成の本音―自民党憲法改正草案、これでは国はまとまらない! (その1)
 自民党は、憲法改正草案を公表し、7月に予定されている参議院議員選挙において憲法改正を公約として訴えるとしている。
 自・公政権は、61年前の4月28日、サンフランシスコ講和条約が発効し(1952年)、主権が回復されたことを記念して、天皇皇后両陛下ご出席の下で記念式典を開催した。議事次第には載せていなかったが、閉会に際し“天皇陛下、万歳”を唱えた。これは、1947年5月3日に施行された憲法は、主権が奪われていた占領下で成立したもので、自分たちの意志ではなかったと言っているに他ならない。今回公表された同党憲法改正草案は、時計を戦前の帝国憲法に戻すような復古調が強く、保守政権の改正案とはなっても、これではとてもとても国論を纏められそうにない。
 現行憲法は、成立の経緯は別として、戦争の惨禍を経験した熟年層はもとより、戦後教育を受けた若年層から中堅層まで広く定着して来ているが、ここでは特に、現行憲法から乖離が著しい下記の3点について論点を提供したい。自民党憲法草案は、民主党政権時代の野党であった頃に、全自民党議員の参加の下で3年半を掛けて纏めたと言われており、国家のあり方や、基本的な国民の権利義務、統治機構などについて同党の本質、本音を文字化したものと言えるので、国民が慎重に判断し、選択することが必要のようだ。
 1、天皇の元首としての明文化は世襲元首の恒久化
 天皇を元首と明記しているが、これにより天皇家が世襲により国家元首となり、固定化され、天皇制を信奉する自民党を中心とする保守政党の長期独裁を可能にする。自民党とすれば、国家元首である天皇を擁護、支持する本流であるとして政権を維持し易くなる一方、これに反対する勢力や考え方に対しては憲法に違反するとして厳しい措置も可能になる。政権維持に天皇を利用する結果となり、「国民統合の象徴」が保守政権の守護神となり、天皇制の意味合いが帝国憲法時代に近くなり変容する。
 自民党が2012年12月の総選挙で、”日本を取り戻す”をスローガンとしていたが、そういう意図があったのだろう。また4月28日の“主権が回復の日”も、占領下時代に交付された現行憲法を見直すことを正当化するものでもあったのだろう。
 自民党改正草案では、天皇の地位は“主権が存する国民の総意に基づく”と規定しているが、“総意”ということは国民全体の総意(コンセンサス)を意味するので、国民のほとんどが、少なくても9割以上が支持する状態であることが望ましく、象徴天皇は政治的には中立であることが期待される。それを過半数で明文化するのはいささか乱暴であると共に、憲法改正を口実に保守政権を固定化する意図があるとみられよう。
 国歌を君が代とし、国家、国旗を尊重する義務なども規定されているが(3条)、一種の偶像崇拝的な規定であり、保守政権の固定化を狙ったものであろう。  
 なお、“君が代”の“君”は、“国民であるあなた達”であるなどと旧自民党政権は答えていたが、本来的には“我が君”、“君主様”を意味するものであり、国歌自体も時代錯誤的なものになっている。しかし天皇を元首と明記することにより、本来の“我が君”として使えることになる。
 他方、国家元首が世襲となることは、皇室が特別な階級、階層となり、平等性を損なう他、主権在民、国民主権に反するので、国民が元首として選ぶ大統領制や首相公選制を望む声が強くなろう。
 現在天皇は、憲法で、「国民統合の象徴」として「内閣の助言と承認」に基づき一定の儀礼的行為や儀式をするとして、10項目が定められている。そして外国使節である大使、公使を接受することとなっていることから、外国元首等の日本訪問に際しては、天皇の接見や皇居での晩餐会などが行われることが寒冷となっており、元首級の扱いとなっている。しかし天皇には定年制はないことから、高年齢となると健康上の問題もあり、公務が負担になっており、それが国・公賓招待や外国訪問その他の行事の妨げになっている面がある。その一例が、2009年12月に中国の習近平主席が副首相時代に訪日した際、次期主席と予想されていたことから中国側が天皇拝謁を希望し、実現したものの、当時の宮内庁長官が陛下の健康を気遣い、天皇拝謁等については1ヶ月以上の事前の要請がなければならないとして、記者団の前で苦言を呈したが、それは習近平氏の耳にも届いていたと見られ、折角接見していながら後味の悪い結果となった。習近平氏は、本年に国家主席となっているが、宮内庁側の健康を気遣う気持ちは十分分かるが、外交上は配慮に欠けたと言えるであろう。
 日本は今後世界にもっと積極的に首脳外交を展開することが期待されるが、国民が選ぶ大統領制や首相公選制にして、天皇は諸外国の王室との交流や文化分野等での活動に専心戴き、負担を軽減することを検討しても良いのかもしれない。それは国民が選ぶべきであろうが、過半数で天皇を元首と明文化し、国民の判断を縛るのは乱暴過ぎるし、そのような形で天皇を政治利用することはお気の毒であろう。
 2、9条改正で自衛権明確化と共に、軍の治安出動、国民の生命・自由の制限可能に  (その2に掲載
 3、国民の自由、権利を制限する“公益”、“公の秩序”とは何か?         (その3に掲載)
4、憲法改正判断前に不可欠な1票の格差の解消           (その4に掲載)
(2013.5.12.)(All Rights Reserved.)(不許無断引用)
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シリーズ平成の本音―自民党憲法改正草案、これでは国はまとまらない! (その1)

2013-06-03 | Weblog
シリーズ平成の本音―自民党憲法改正草案、これでは国はまとまらない! (その1)
 自民党は、憲法改正草案を公表し、7月に予定されている参議院議員選挙において憲法改正を公約として訴えるとしている。
 自・公政権は、61年前の4月28日、サンフランシスコ講和条約が発効し(1952年)、主権が回復されたことを記念して、天皇皇后両陛下ご出席の下で記念式典を開催した。議事次第には載せていなかったが、閉会に際し“天皇陛下、万歳”を唱えた。これは、1947年5月3日に施行された憲法は、主権が奪われていた占領下で成立したもので、自分たちの意志ではなかったと言っているに他ならない。今回公表された同党憲法改正草案は、時計を戦前の帝国憲法に戻すような復古調が強く、保守政権の改正案とはなっても、これではとてもとても国論を纏められそうにない。
 現行憲法は、成立の経緯は別として、戦争の惨禍を経験した熟年層はもとより、戦後教育を受けた若年層から中堅層まで広く定着して来ているが、ここでは特に、現行憲法から乖離が著しい下記の3点について論点を提供したい。自民党憲法草案は、民主党政権時代の野党であった頃に、全自民党議員の参加の下で3年半を掛けて纏めたと言われており、国家のあり方や、基本的な国民の権利義務、統治機構などについて同党の本質、本音を文字化したものと言えるので、国民が慎重に判断し、選択することが必要のようだ。
 1、天皇の元首としての明文化は世襲元首の恒久化
 天皇を元首と明記しているが、これにより天皇家が世襲により国家元首となり、固定化され、天皇制を信奉する自民党を中心とする保守政党の長期独裁を可能にする。自民党とすれば、国家元首である天皇を擁護、支持する本流であるとして政権を維持し易くなる一方、これに反対する勢力や考え方に対しては憲法に違反するとして厳しい措置も可能になる。政権維持に天皇を利用する結果となり、「国民統合の象徴」が保守政権の守護神となり、天皇制の意味合いが帝国憲法時代に近くなり変容する。
 自民党が2012年12月の総選挙で、”日本を取り戻す”をスローガンとしていたが、そういう意図があったのだろう。また4月28日の“主権が回復の日”も、占領下時代に交付された現行憲法を見直すことを正当化するものでもあったのだろう。
 自民党改正草案では、天皇の地位は“主権が存する国民の総意に基づく”と規定しているが、“総意”ということは国民全体の総意(コンセンサス)を意味するので、国民のほとんどが、少なくても9割以上が支持する状態であることが望ましく、象徴天皇は政治的には中立であることが期待される。それを過半数で明文化するのはいささか乱暴であると共に、憲法改正を口実に保守政権を固定化する意図があるとみられよう。
 国歌を君が代とし、国家、国旗を尊重する義務なども規定されているが(3条)、一種の偶像崇拝的な規定であり、保守政権の固定化を狙ったものであろう。  
 なお、“君が代”の“君”は、“国民であるあなた達”であるなどと旧自民党政権は答えていたが、本来的には“我が君”、“君主様”を意味するものであり、国歌自体も時代錯誤的なものになっている。しかし天皇を元首と明記することにより、本来の“我が君”として使えることになる。
 他方、国家元首が世襲となることは、皇室が特別な階級、階層となり、平等性を損なう他、主権在民、国民主権に反するので、国民が元首として選ぶ大統領制や首相公選制を望む声が強くなろう。
 現在天皇は、憲法で、「国民統合の象徴」として「内閣の助言と承認」に基づき一定の儀礼的行為や儀式をするとして、10項目が定められている。そして外国使節である大使、公使を接受することとなっていることから、外国元首等の日本訪問に際しては、天皇の接見や皇居での晩餐会などが行われることが寒冷となっており、元首級の扱いとなっている。しかし天皇には定年制はないことから、高年齢となると健康上の問題もあり、公務が負担になっており、それが国・公賓招待や外国訪問その他の行事の妨げになっている面がある。その一例が、2009年12月に中国の習近平主席が副首相時代に訪日した際、次期主席と予想されていたことから中国側が天皇拝謁を希望し、実現したものの、当時の宮内庁長官が陛下の健康を気遣い、天皇拝謁等については1ヶ月以上の事前の要請がなければならないとして、記者団の前で苦言を呈したが、それは習近平氏の耳にも届いていたと見られ、折角接見していながら後味の悪い結果となった。習近平氏は、本年に国家主席となっているが、宮内庁側の健康を気遣う気持ちは十分分かるが、外交上は配慮に欠けたと言えるであろう。
 日本は今後世界にもっと積極的に首脳外交を展開することが期待されるが、国民が選ぶ大統領制や首相公選制にして、天皇は諸外国の王室との交流や文化分野等での活動に専心戴き、負担を軽減することを検討しても良いのかもしれない。それは国民が選ぶべきであろうが、過半数で天皇を元首と明文化し、国民の判断を縛るのは乱暴過ぎるし、そのような形で天皇を政治利用することはお気の毒であろう。
 2、9条改正で自衛権明確化と共に、軍の治安出動、国民の生命・自由の制限可能に  (その2に掲載
 3、国民の自由、権利を制限する“公益”、“公の秩序”とは何か?         (その3に掲載)
4、憲法改正判断前に不可欠な1票の格差の解消           (その4に掲載)
(2013.5.12.)(All Rights Reserved.)(不許無断引用)
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