シリーズ平成の本音―拝啓天皇陛下殿は不敬罪!?
山本太郎参議院議員が、10月31日、赤坂御苑で天皇皇后両陛主催で開催された園遊会で、福島原発事故での子供への放射能の影響などをしたためた書状を陛下に手渡した。園遊会には、宮内庁を含む各省庁や国会事務局が選んだ約2,000人が招かれている。
これに対し自民党などの一部議員が、‘不敬’であり、旧帝国憲法の下では‘不敬罪’に当たるなどとして、議員辞職を含む処分を検討するらしい。
またマスコミも場所柄をわきまえていない、天皇の政治利用だなどとして炎上状態になっている。確かに陛下も少々戸惑っておられる様子ではあったが、書状を受け取り、山本議員の言葉を聞いておられる様子だった。社交の場であるので、マナーをわきまえていないと言える。しかし山本議員も一定の距離をあけ、丁寧に書状を差し出している様子であった。そもそも招待された議員であり、その限りにおいて国民の代表ではあるので、両陛下に挨拶してはいけないというほどのことではないのではないか。また両陛下は、時々東北の被災地を視察等されており、ご関心があることは知られている。他方、山本議員は放射能汚染問題を中心的課題として来ているので、是非被災者や周辺住民の不安を知って頂きたいとの強い気持ちがあったのであろう。
両陛下は、その年に国民栄誉賞等を受賞した方々が一列に並んだ状態で、言葉を掛けながら回られるのがしきたりとなっている。両陛下にお会いする場合、宮内庁側から‘こちらからは決して質問などをしないように’などの注意があることが多い。その後苑内を回られるようであるが、話し掛けたりなどしてはいけないということなのであろう。そうであれば、始めて園遊会などに出席者に、‘声を掛けてはいけない’ことを徹底すべきであろう。
もっとも一定の国民の代表である議員が、両陛下が主催する園遊会などで、挨拶や声も掛けてもいけない、というのも違和感がある。それならば被招待者から議員や政治団体等を外し、大幅に縮小したらよい。そもそも招待しておいて、主催者に話し掛けるなというのも、一般社会では常識的ではない。両陛下を‘恐れ多い存在’としてたてまつり、国民から遠い存在としてしまうことが時の流れなのか、或いは国民の意識なのかも疑問が残る。
逆に両陛下をそのような‘恐れ多い存在’ とし、神格化すること自体にも政治的な思惑がありそうにも見える。政治利用しているのは天皇専制復帰を望む一部の保守層ではないのか。旧帝国憲法では、天皇は神格化された絶対的な存在として奉られ、取り巻きの天皇制擁護派が新聞を含め周囲を固め、陛下への国民層の苦しみ、世論を遮断し、大東亜戦争、太平洋戦争へと突っ込んで行ったのではないか。陛下の耳を塞ぎ、見ることを遮って何をしようとしているのだろうか。宮内庁は陛下の手からその書状をもぎ取り、返却に応じるとしている。放射能汚染で2年半以上も苦しんでいる県民の窮状や子供の健康問題より、陛下に対する礼儀の問題の方が大切だとでも言いたいのだろうか。同議員の行為が旧帝国憲法では不敬罪だ、議員を辞職しろとの声もあるようだが、もはや旧帝国憲法ではない。天皇制のあり方自体を考え直してみる必要もありそうだ。
同議員に陛下と接する場合には、マナーを失しないようにと注意すれば足りるのではないのだろうか。この騒動は異常で、滑稽でもある。
(2013.10.31.)(All Rights Reserved.)(不許無断引用)
山本太郎参議院議員が、10月31日、赤坂御苑で天皇皇后両陛主催で開催された園遊会で、福島原発事故での子供への放射能の影響などをしたためた書状を陛下に手渡した。園遊会には、宮内庁を含む各省庁や国会事務局が選んだ約2,000人が招かれている。
これに対し自民党などの一部議員が、‘不敬’であり、旧帝国憲法の下では‘不敬罪’に当たるなどとして、議員辞職を含む処分を検討するらしい。
またマスコミも場所柄をわきまえていない、天皇の政治利用だなどとして炎上状態になっている。確かに陛下も少々戸惑っておられる様子ではあったが、書状を受け取り、山本議員の言葉を聞いておられる様子だった。社交の場であるので、マナーをわきまえていないと言える。しかし山本議員も一定の距離をあけ、丁寧に書状を差し出している様子であった。そもそも招待された議員であり、その限りにおいて国民の代表ではあるので、両陛下に挨拶してはいけないというほどのことではないのではないか。また両陛下は、時々東北の被災地を視察等されており、ご関心があることは知られている。他方、山本議員は放射能汚染問題を中心的課題として来ているので、是非被災者や周辺住民の不安を知って頂きたいとの強い気持ちがあったのであろう。
両陛下は、その年に国民栄誉賞等を受賞した方々が一列に並んだ状態で、言葉を掛けながら回られるのがしきたりとなっている。両陛下にお会いする場合、宮内庁側から‘こちらからは決して質問などをしないように’などの注意があることが多い。その後苑内を回られるようであるが、話し掛けたりなどしてはいけないということなのであろう。そうであれば、始めて園遊会などに出席者に、‘声を掛けてはいけない’ことを徹底すべきであろう。
もっとも一定の国民の代表である議員が、両陛下が主催する園遊会などで、挨拶や声も掛けてもいけない、というのも違和感がある。それならば被招待者から議員や政治団体等を外し、大幅に縮小したらよい。そもそも招待しておいて、主催者に話し掛けるなというのも、一般社会では常識的ではない。両陛下を‘恐れ多い存在’としてたてまつり、国民から遠い存在としてしまうことが時の流れなのか、或いは国民の意識なのかも疑問が残る。
逆に両陛下をそのような‘恐れ多い存在’ とし、神格化すること自体にも政治的な思惑がありそうにも見える。政治利用しているのは天皇専制復帰を望む一部の保守層ではないのか。旧帝国憲法では、天皇は神格化された絶対的な存在として奉られ、取り巻きの天皇制擁護派が新聞を含め周囲を固め、陛下への国民層の苦しみ、世論を遮断し、大東亜戦争、太平洋戦争へと突っ込んで行ったのではないか。陛下の耳を塞ぎ、見ることを遮って何をしようとしているのだろうか。宮内庁は陛下の手からその書状をもぎ取り、返却に応じるとしている。放射能汚染で2年半以上も苦しんでいる県民の窮状や子供の健康問題より、陛下に対する礼儀の問題の方が大切だとでも言いたいのだろうか。同議員の行為が旧帝国憲法では不敬罪だ、議員を辞職しろとの声もあるようだが、もはや旧帝国憲法ではない。天皇制のあり方自体を考え直してみる必要もありそうだ。
同議員に陛下と接する場合には、マナーを失しないようにと注意すれば足りるのではないのだろうか。この騒動は異常で、滑稽でもある。
(2013.10.31.)(All Rights Reserved.)(不許無断引用)