シリーズ平成の本音-中国習近平主席を反日にした訪日経験
中国の習近平主席は、3月22日から約10日間、オランダで開催された核安全サミットに出席すると共に、フランス、ベルギー、EU本部、ドイツを歴訪した。そして核安全サミットに際しては、米国、韓国などと2国間の首脳会談を行うなど首脳外交を展開したが、安倍首相との会談は行われなかった。
ドイツ訪問に際しては、習近平主席は3月28日、コルベール財団の講演において、「日本の軍国主義が起こした侵略戦争で中国の軍人、民間人3,500 万人が死傷する惨劇となった」とし、特に「南京市を侵略し、30万人余の中国軍と民衆を殺す惨状を犯した」などとして日本の過去の歴史を批判した。
習近平主席は、韓国の朴大統領の要請に応え、ハルピンに伊藤博文総理(当時、初代韓国統監)を暗殺した韓国で‘抗日義士’として知られている安重根の銅像建立に協力したり、日本統治に反対する朝鮮人の拠点であった西安に記念碑を建立することに協力するなど、歴史認識を巡り中韓の協力を進める姿勢を示している。
このような反日姿勢は、中国共産党1党支配にあって、人民軍を含め国内を引き締めるための政治・外交手法の一つと言えるが、習近平主席には訪日した際の苦い経験がある。
習主席は、2009年12月14日より国家副主席として日本を公式訪問したが、天皇陛下の拝謁を希望した。外交当局は、習副主席が次期主席との呼び声が高かったこともあり宮内庁に対し実現を要請した。しかし宮内庁側は、陛下拝謁は1ヶ月以上前の要請が原則とし、実現が困難な見通しとなったが、当時の鳩山民主党政権は中国側も実現を重視していたこともあり、拝謁実現を強く要請したことから、拝謁は実現した。しかし宮内庁の羽毛田長官(当時)は、その直後に、記者団に対し、従来陛下との会見は「1ヶ月前」の要請で行われて来たものであり、今回は特例であり「天皇陛下の政治利用」に当たるとして不快感を表明したことから、当時の野党自民党や一部紙が政府の対応を「政治利用」などとして問題視し、新聞、テレビを通じ報道し、波紋を広げた。この批判報道は当然習氏の耳にも届いたであろう。
折角陛下拝謁が和やかに行われたようであるのに、このような国内批判により習氏側に不快感を与える結果となった。習主席が、その時の不快感により宮内庁や野党自民党、一部マスコミに対し一定の感情を持ち、同主席の対日感に一定の影響を与えていてもおかしくはない。
他方、宮内庁が陛下のご公務が過重にならないよう配慮すること自体は理解できるところであるので、天皇が積極的で柔軟な外交活動の制約要因にならないよう、対外的には各国の王室等との交流に限定し、負担の軽減を図ることも必要なのかもしれない。(2014.4.15.)
中国の習近平主席は、3月22日から約10日間、オランダで開催された核安全サミットに出席すると共に、フランス、ベルギー、EU本部、ドイツを歴訪した。そして核安全サミットに際しては、米国、韓国などと2国間の首脳会談を行うなど首脳外交を展開したが、安倍首相との会談は行われなかった。
ドイツ訪問に際しては、習近平主席は3月28日、コルベール財団の講演において、「日本の軍国主義が起こした侵略戦争で中国の軍人、民間人3,500 万人が死傷する惨劇となった」とし、特に「南京市を侵略し、30万人余の中国軍と民衆を殺す惨状を犯した」などとして日本の過去の歴史を批判した。
習近平主席は、韓国の朴大統領の要請に応え、ハルピンに伊藤博文総理(当時、初代韓国統監)を暗殺した韓国で‘抗日義士’として知られている安重根の銅像建立に協力したり、日本統治に反対する朝鮮人の拠点であった西安に記念碑を建立することに協力するなど、歴史認識を巡り中韓の協力を進める姿勢を示している。
このような反日姿勢は、中国共産党1党支配にあって、人民軍を含め国内を引き締めるための政治・外交手法の一つと言えるが、習近平主席には訪日した際の苦い経験がある。
習主席は、2009年12月14日より国家副主席として日本を公式訪問したが、天皇陛下の拝謁を希望した。外交当局は、習副主席が次期主席との呼び声が高かったこともあり宮内庁に対し実現を要請した。しかし宮内庁側は、陛下拝謁は1ヶ月以上前の要請が原則とし、実現が困難な見通しとなったが、当時の鳩山民主党政権は中国側も実現を重視していたこともあり、拝謁実現を強く要請したことから、拝謁は実現した。しかし宮内庁の羽毛田長官(当時)は、その直後に、記者団に対し、従来陛下との会見は「1ヶ月前」の要請で行われて来たものであり、今回は特例であり「天皇陛下の政治利用」に当たるとして不快感を表明したことから、当時の野党自民党や一部紙が政府の対応を「政治利用」などとして問題視し、新聞、テレビを通じ報道し、波紋を広げた。この批判報道は当然習氏の耳にも届いたであろう。
折角陛下拝謁が和やかに行われたようであるのに、このような国内批判により習氏側に不快感を与える結果となった。習主席が、その時の不快感により宮内庁や野党自民党、一部マスコミに対し一定の感情を持ち、同主席の対日感に一定の影響を与えていてもおかしくはない。
他方、宮内庁が陛下のご公務が過重にならないよう配慮すること自体は理解できるところであるので、天皇が積極的で柔軟な外交活動の制約要因にならないよう、対外的には各国の王室等との交流に限定し、負担の軽減を図ることも必要なのかもしれない。(2014.4.15.)